心のデボーション497

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心のデボーション4961

「御言を記憶すべきなり」 使徒20:35  大正文語訳聖書

「主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」 口語訳聖書

 「アルマ・クリスティ」

「アルマ・クリスティ(ARMA CHRISTI)」は十字架などイエスの受難を象徴するものの象徴で、20以上の品目があるという。受難を忘れないように身につけたものである。「信心具」には、人々の信仰への思いがこめられている。

(心のデボーション4961)

心のデボーション4962

「彼らは念暗くなりて、其の内なる無知により、心の頑固によりて神の生命に遠ざかり、」 エペソ4:18  大正文語訳聖書

「彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、」 口語訳聖書

 「ポーロス」

ポーロスと呼ばれる大理石のような硬い石がある。ポーロスのような心を「ポーローシス・かたくなな心」と言う。心が固まって、悲しいのに泣かず、くやしいのに怒れないだ。心が石化してしまったのである。そんなとき、一人になってワーッと叫ぶ。ポーロスが砕けていくような気がする。これをするには周りに誰もいないのを確かめたほうがいい。「心の硬化πώρωσις」は「石のように固い、頑固、無情の心」の意。

(心のデボーション4962)

心のデボーション4963

「基みなやぶれたらんには義者なにをなさんや」 詩篇11:3  明治元訳聖書

「基が取りこわされるならば、正しい者は何をなし得ようか」と。」 口語訳聖書

 「基がやぶられる時」

「基がやぶられる」。(詩篇11:3) 「基‎שׁ‏ָת」は「拠り所、土台、支柱」。社会の基が破壊され、秩序が失われること。リビングバイブル「法も秩序もあったものじゃない」、フランシスコ会訳聖書「基が崩れているのだから」。

だから、人は「鳥のように山にのがれよ」という。しかし、詩人は「正しくいまして、正しい事を愛される主のみ顔を仰ぎ見る」。(詩篇11:7)

(心のデボーション4963)

心のデボーション4964

「モーセにいひけるは汝われらに語れ我等聽ん唯神の我らに語りたまふことあらざらしめよ恐くは我等死ん」 出エジプト20:19  明治元訳聖書

「彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」」 口語訳聖書

 「神に聞く」

イスラエルの民は神のことばを直接聞くのを恐れて、モーセから聞きたいと考える。しかし、神のことばは直接心に受けるのが、聞くことの原則である。人を通して聞く必要がないというのではなく、一人神の前に立つために、人に聞くのである。聞くことは従うこと。従うことは、また、聞くことがなければならない。聞いても従わないのは、結局、聞いていないのである。

(心のデボーション4964)

心のデボーション4965

「人多くの年生ながらへてその中凡て幸福なるもなほ幽暗の日を憶ふべきなり 其はその數も多かるべければなり 凡て來らんところの事は皆空なり」 伝道11:8  明治元訳聖書

「人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である。」 口語訳聖書

 「覚語よき者」

「百歳の童、十歳の翁と云て、覚語よきものは十歳にても学問を能して、百歳の年寄より分別・試案よきもの多し」。(「百姓伝記」古島敏夫校注 岩波文庫1977/4より) 「覚語」は「覚悟」の古語で、「目覚めて、心を整える」の意。「覚語よき十歳」が百歳になって、何に「覚語」するだろうか?

(心のデボーション4965)

心のデボーション4966

「人の垣の内にて油を搾め また渇きつつ酒醡を踐む」 ヨブ24:11  明治元訳聖書

「悪人のオリブ並み木の中で油をしぼり、酒ぶねを踏んでも、かわきを覚える。」 口語訳聖書

 「傷ついた者の魂」

「傷ついた者の魂」は「着る物がなく、裸で歩き、飢えつつ麦束を運び」、「酒ぶねを踏んでも、かわきを覚える」。(ヨブ24:10-11) しかし、「神はその力をもって、強い人々を生きながらえさせられる。彼らは生きる望みのない時にも起きあがる。神が彼らに安全を与えられるので、彼らは安らかである。神の目は彼らの道の上にある」。(ヨブ24:22-23)

(心のデボーション4966)

心のデボーション4967

「喜ぶ者と共によろこび、泣く者と共になけ。」 ロマ12:15  大正文語訳聖書

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」 口語訳聖書

 「愛しみ」

山の好きな青年が山で亡くなった。父親は息子を奪った山を見たくはなかった。しかし、「息子に代わって愛するために」、その山に行くようになった。悲しみと対峙するよりも、その中に入っていく。「悲しみ」は「哀しみ」と「愛しみ」の混ざった感情である。それは人と自分を許し、愛する作業であるのかもしれない。父親は今も山を歩いている。

(心のデボーション4967)

心のデボーション4968

「されど我があたふる水を飮む者は、永遠に渇くことなし。わが與ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命の水湧きいづべし』」 ヨハネ4:14  大正文語訳聖書

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」 口語訳聖書

 「活ける水」

「すべて、小なるもの大なるもの、又は貧しきもの富めるもの、みな活ける泉ともして、我より活ける水を汲むのである」。(アケンピス「基督のまねび」九章二 内村達三郎訳 春秋社昭和21/ 2より) 「小なるもの、貧しきもの」からも「活ける水」が出る。

(心のデボーション4968)

心のデボーション4969

「汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな」 マタイ6:3 大正文語訳聖書

「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」 口語訳聖書

 「集中」

何かをするときには、していることだけをせよ。それ以外は余分である。

(心のデボーション4969)

心のデボーション4970

「イエス百卒長に『ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ』と言ひ給へば、このとき僕いえたり。」 マタイ8:13 大正文語訳聖書

「それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。」 口語訳聖書

 「よい恐れ」

「よい恐れは、希望に結ばれている。なせなら、それは信仰から生まれ、信じている神に希望を置くからである」。(パスカル「パンセ」262  前田陽一・由木康訳 中央公論社1973)イエスが百卒長に「あなたの信じたとおりになるように」と言われたとき、希望が試され、百卒長は「よい恐れ」をもってイエスに応えた。

(心のデボーション4970)

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