心のデボーション496

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心のデボーション4951

「然るに汝らは「人もし父また母にむかひ、我が汝に對して負ふ所のものは、コルバン即ち供物なりと言はば可し」と言ひて、」 マルコ7:11  大正文語訳聖書

「それだのに、あなたがたは、もし人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、」 口語訳聖書

 「コルバン」

「コルバンκορβᾶν」は「神への供え物」の意。「これはコルバンです」と言えば、それ以外の用途に付することはできなかった。そこで、「人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば」、両親に差し出すことを回避することができ、神には「いずれその時がきたら」と言えば、捧げることも回避できた。これは道理にあわないことを強引に正当化する詭弁である。「詭弁」という漢字「詭」は会意会意形声文字で、「言」+ 音符「危」から「巧みな言葉で相手を危うくすること」である。詭弁を意味するギリシャ語はσοφιστικήであるが、この言葉は元来「賢人」を意味したが、次第に故意になされる虚偽の議論をさすようになった。詭弁の技術など磨く必要はない。

(心のデボーション4951)

心のデボーション4952

「供物を祭壇のまへに遺しおき、先づ往きて、その兄弟と和睦し、然るのち來りて、供物をささげよ。」 マタイ5:24  大正文語訳聖書

「その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」 口語訳聖書

 「危険な試練」

結婚は相手と生活を分かち合うことである。しかし、その二人にも「やがて、互いの友人を共有しなければならない日がやって来る」。そして、ある人は「それは、もっとも危険に満ちた試練である」と警告する。相手には家族や親戚、そして多くの友人がおり、「自分が選んだのではない」この人たちを「共有」することになる。相手だけでなく、これらの人たちにも自分を開き、「分かち合う」ことができれば、そう「危険な試練」ではなく、むしろ祝福である。

(心のデボーション4952)

心のデボーション4953

「我ら即ちパウロ、シルワノ、テモテが汝らの中に傳へたる神の子キリスト・イエスは、然りまた否と言ふが如き者にあらず、然りと言ふことは彼によりて成りたるなり」 Ⅱコリント1:19  大正文語訳聖書

「なぜなら、わたしたち、すなわち、わたしとシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」となると同時に「否」となったのではない。そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである。」 口語訳聖書

 「約束の実現」

「神の子キリスト・イエスは、「しかり」となると同時に「否」となったのではない。そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである」。(Ⅱコリント1:19) 「この方においては「然り」だけが実現したのです」。(新共同訳聖書) 神の約束は「ことごとく、彼〔イエス・キリスト〕において「しかり」となった」、「だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである」。(Ⅱコリント2:20)

(心のデボーション4953)

心のデボーション4954

「終に言はん、兄弟よ、汝ら喜べ、全くなれ、慰安を受けよ、心を一つにせよ、睦み親しめ、然らば愛と平和との神なんぢらと偕に在さん。」 Ⅱコリント13:1  大正文語訳聖書

「最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」 口語訳聖書

 「カタルシス」

哲学者アリストテレスは悲劇を見て涙を流し、心にある思いを吐き出して、それを「カタルシス」(浄化)と呼んだ。「カタルシスcatharsis」の語源はギリシャ語κάθαρσηで、もともと、種をまく前に畑を整えることを意味することばである。雑草を抜き、土を柔らかくしないと種が芽を出さないように、心にたまっている感情を吐き出してしまわないと、ことばは発芽しないのである。聖書は、心にあるわだかまりを吐き出して、種を受け入れる準備のできた人を「完全な人καταρτίζω」と呼ぶ。

(心のデボーション4954)

心のデボーション4955

「之を聞きて、言ひたまふ『健かなる者は醫者を要せず、ただ、病める者これを要す』」 マタイ9:12  大正文語訳聖書

「イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」 口語訳聖書

 「コンプライアンス」

患者が医師の指示に従うことを「コンプライアンスcompliance」、従わないことを「ノンコンプライアンスnon-compliance」と呼ぶ。急性疾患の場合は医師の指示によく従うことが多いが、慢性疾患の場合はノンコンプライアンスの問題が発生する傾向がある。コンプライアンス、ノンコンプライアンスをめぐっては、単純に良し悪しを決めることはできない。医師と患者がそれぞれの立場で「病」と向き合うことから「良き医師」にして「良き患者」、「良き患者」にして「良き医師」の信頼関係が生まれるのかもしれない。

(心のデボーション4955)

心のデボーション4956

「この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。」 Ⅱコリント4:16  大正文語訳聖書

「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」 口語訳聖書

 「日ごとに新しい」

「人間を良く理解する方法は、たった一つしかない。彼らを判断するのに決して急がないことだ」。(シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴCharles Augustin Sainte-Beuve 1804-1869) サント=ブーヴの助言は「自分を理解する」ことにも有益である。なぜなら、「わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」からである。(Ⅱコリント4:16)「新しくされるἀνακαινίζω」は「起き上がる、再び新たにする」の意。自分の内には日々新しく起き上がるいのちが宿っている。判断を急ぐ必要はない。

(心のデボーション4956)

心のデボーション4957

「汝わが今日汝に命ずるところの事を守れ視よ我アモリ人カナン人ヘテ人ペリジ人ヒビ人ヱブス人を汝の前より逐はらふ」 出エジプト34:11  明治元訳聖書

「わたしが、きょう、あなたに命じることを守りなさい。見よ、わたしはアモリびと、カナンびと、ヘテびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとを、あなたの前から追い払うであろう。」 口語訳聖書

 「明日がんばろう」

「明日からは、もう吸わない」と書いてある灰皿があったという。この灰皿を愛用する限り、禁煙はできそうにない。それどころか、禁煙しなければと思っている人には手離せない灰皿になるかもしれない。「明日からがんばろう」は「今日はいいよ」と自分を許すことだからである。「せめて、その一本だけ火を消そう」と書いたら、少しは禁煙の役に立つかもしれない。今日という日は、今日の中にしかない。

(心のデボーション4957)

心のデボーション4958

「われ野をその家となし 荒野をその住所となせり」 ヨブ39:6  明治元訳聖書

「わたしは荒野をその家として与え、/荒れ地をそのすみかとして与えた。」 口語訳聖書

 「修道院」

男子修道院はmonastery、女子修道院はconbentと呼ばれる。Monasteryはギリシャ語「μοναστήριον(μόνος単独の、一人の)」に由来し、ラテン語monasterium から英語monasteryになった。語根monは「孤立した、分離した」の意である。一人神と向き合う人々である。Conbentの語根conは「共に」をあらわし、国のあちこちからやって来て共に暮らす人々をあらわず。修道院は一人神と向き合うために共に生活する所である。

(心のデボーション4958)

心のデボーション4959

「汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな」 マタイ6:3 大正文語訳聖書

「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」 口語訳聖書

 「祝福の右手」

「祝福の右手」が「することποιέω (造る、こしらえる、建てる、生み出す)」ものには注意しなければならない。「祝福」とは別のものが「準備されている」ことがあるからである。「左手」がそれを知っている。

(心のデボーション4959)

心のデボーション4960

「なんぢら早くおき遅くいねて辛苦の糧をくらふはむなしきなり 斯てヱホバその愛しみたまふものに寝をあたへたまふ」 詩篇127:2  明治元訳聖書

「あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」 口語訳聖書

 「眠る幸福」

「どんな幸福も、場所がなくては存在しない。そして、私が眠る幸福を感ずるのも、身体においてである」。(アラン「思想と年齢」角川文庫882 昭和30/6より) ダビデは敵に囲まれる時にも主から「眠る幸福」を得た。「わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ」。(詩篇3:5)

(心のデボーション4960)

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