心のデボーション491

デボーション1
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心のデボーション4901

「往て人の是非をいふ者は密事を洩し 心の忠信なる者は事を隱す」 箴言11:13  明治元訳聖書

「人のよしあしを言いあるく者は秘密をもらす、心の忠信なる者は事を隠す。」 口語訳聖書

 「豆がこぼれる」

英語でspill the beans「豆がこぼれる」は「秘密を漏らす」の意である。その由来には諸説あるが、一説によると、古代ギリシャの秘密結社で新しいメンバーを選ぶときに、白と黒の豆をいれた壺(袋、鍋)を回し、賛成には白、反対は黒の石を投票箱に入れたが、誤って投票の途中に豆を落としてしまい、秘密が知られてしまうことから来たという。(この説にも多くのバリエーションがあり細部はそれぞれに異なる) ミスを装って故意に豆をこぼすこともあり、「手の内が分かった」と思うのも危険である。

(心のデボーション4901)

心のデボーション4902

「然れど哀なる者を慰むる神は、テトスの來るによりて我らを慰め給へり」 Ⅱコリント2:6  大正文語訳聖書

「しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。」 口語訳聖書

 「気落ちする日」

気分は潮の満ち干きのよう。明るくなったり暗くなったり、満ちたり引いたりする。気分が沈む時には、無理に明るくなどしないこと。暗い気分はいじるとよけいに暗くなる。沈みは放っておくことだ。すると、やがて気持ちが晴れてくる。パウロにも「気落ちする日」があった。パウロは暗い気分を「慰めてくださる神」のみ手に自分を放置したのだと思う。「うちしおれている者ταπεινός」は「謙遜な者、身を低くする者」の意である。

(心のデボーション4902)

心のデボーション4903

「われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ。」 コロサイ1:24  大正文語訳聖書

「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。」 口語訳聖書

 「喜びの務め」

「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており」。(コロサイ1:22) リビングバイブル「あなたがたのために苦しむことも、私の務めです」。「喜ぶχαίρω」は「喜んで~する」で、「喜びの務め」をあらわす。「かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた」者たちが「ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないように」仕えることはパウロの「喜びの務め」であった。

(心のデボーション4903)

心のデボーション4904

「ヱホバよ聽たまへ われを憐みたまへ ヱホバよ願くはわが助となりたまへ」 詩篇30:10  明治元訳聖書

「主よ、聞いてください、わたしをあわれんでください。主よ、わたしの助けとなってください」と。」 口語訳聖書

 「回復」

アルコール依存症は、自分がアルコールに対してまったく無力であり、意志の力ではどうにもならないと認めるところから回復がはじまる。不思議なことだが、意志の力を信じ、自分で何とか治せると思っている間は、どうにもならない部分が多くなっていく。自分を放棄するところに出会いがある。「主よ。私の助けとなってください」という祈りが「大きな心」に導く。この「大きな心」につながって、はじめて、苦しみを受容し、回復が始まる。

(心のデボーション4904)

心のデボーション4905

「神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。」 ロマ1:17  大正文語訳聖書

「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。」 口語訳聖書

 「神の義」

「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる」。(ロマ1:17) 「神の義δικαιοσύνη θεοῦ」、「義δικαιοσύνη」とは「自分の責務を充分に果たした人の道徳的位置を意味する」。(M・A・バーネット「ロマ書注解」福音伝道教団出版部 昭和21/1より) 神は「福音」に「自分の責務を余すところなく充分に果たされ」、信じる者を「信仰に始まり信仰に至らせる」。

(心のデボーション4905)

心のデボーション4906

「我は尚この幕屋に居るあいだ、汝らに思ひ出させて勵ますを正當なりと思ふ。」 Ⅱペテロ1:13  大正文語訳聖書

「わたしがこの幕屋にいる間、あなたがたに思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。」 口語訳聖書

 「この幕屋にいる間」

「わたしがこの幕屋にいる間ἐν τούτῳ τῶ σκηνώματι」は「自分がこの体を仮の宿としている間」(新共同訳聖書訳)の意。人は地の旅人であり、身体を「借りの幕屋(住まい)」とし、やがて「仮の宿」を脱ぎ捨てて神の御国に至る。ペテロはそれまでの日々を、「大いなる約束が、わたしたちに与えられ、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者とされたこと」を人々と共に「思い起させて、奮い立たせたい」と強く願う。(Ⅱペテロ1:13)

(心のデボーション4906)

心のデボーション4907

「我は植ゑ、アポロは水灌げり、されど育てたるは神なり。」 Ⅰコリント3:6  大正文語訳聖書

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」 口語訳聖書

 「橋」

「人生に橋をかけ、渡り終えると自らの手で橋を壊して生きてきました」と語る人がいる。常に前に進むのが、この人の人生である。それはそれで潔い生き方である。しかし、また、せっかくかけたのだから、橋は全部残しておく生き方もある。あるいは、橋をかけるのは人に任せて、自分は渡ることに専念する人がいてもいい。どの人も、成長に欠かすことのできない存在である。

(心のデボーション4907)

心のデボーション4908

「その御言を守る者は誠に神の愛、その衷に全うせらる。之によりて我ら彼に在ることを悟る。」 Ⅰヨハネ2:5  大正文語訳聖書

「しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。」 口語訳聖書

 「御言を守る者」

「御言を守る者τηρῇ αὐτοῦ τὸν λόγον」、「守るτηρέω」は「見張る、見守る、観察する、保つ」の意。御言葉を常時、見張り、観察し、見守り、保つ人の内に「神の愛が真に全うされる」。(Ⅰヨハネ2:5)

(心のデボーション4908)

心のデボーション4909

「さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり」 マタイ6:2 大正文語訳聖書

「だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている」 新共同訳聖書

 「飛ぶ鳥の献立」

「飛ぶ鳥の献立」とは、飛んでいる鳥を見て、どう料理しようかと献立を考えること。まだ捕まえてもいないのにあれこれ想像する。「穴の貉(むじな)の算段」である。偽善者はまだ得られもしない「褒め言葉」を想像しながら街角で施しをする。意外とそれが楽しい。

(心のデボーション4909)

心のデボーション4910

「そは公平の途をたもち その聖徒の途すぢを守りたまへばなり」 箴言2:8  明治元訳聖書

「公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。」 口語訳聖書

 「公正の道」

「畦(あぜ)から行くも、田から行くも同じ」は、同じ目的地にゆくのなら、畦を行くも、田の中を行くも、同じという意味だが、これには異議もある。畦は田の境にあって人の歩く道でもあるが、田は稲が植わっていて、やたらと歩くものではない。目的地にゆきたいなら、正しい道を選ぶ必要がある。多少近いからとって田を歩けば稲を踏みつけてしまう。

(心のデボーション4910)

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