心のデボーション489

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

心のデボーション4881

「何事にまれ、徒黨また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。」 ピリピ2:3  大正文語訳聖書

「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。」 口語訳聖書

 「これを隠して」

「子よ、汝に敬虔の聖寵あつたなら、これを隠して決して高ぶる思ひするな」。(アケンピス「基督のまねび」第7章 内村達三郎訳 春秋社昭和21年2月より) アケンピスは「敬虔を高ぶるな」、「決して他に吹聴するな」と警告する。「これが敬虔」と内に隠すとき、すでに高ぶりは始まっている。真の敬虔は、神の身元に身を隠し、意識されることもない。

(心のデボーション4881)

心のデボーション4882

「我はいとたかき神によばはん わがために百事をなしをへたまふ神によばはん」 詩篇57:2  明治元訳聖書

「わたしはいと高き神に呼ばわります。わたしのためにすべての事をなしとげられる神に/呼ばわります。」 口語訳聖書

 「高い目標」

高い目標にチャレンジしている人には輝きがある。しかし、目標を実現させる気のない人が、実現しそうもない目標をもつのは問題である。一方では理想も目標もない人生は意味がないといいながら、自分は目標を実現させるつらい日々から逃げている。こういう人はたとえ目標が実現できなくても、少しもつらくない。神が与える目標は、その人の日常から生まれる。日常を深めていけば、目標だけでなく、それを「成し遂げて下さる(τελειόω)神」とも出会う。

(心のデボーション4882)

心のデボーション4883

「もし語るならば、神の言をかたる者のごとく語り、事ふるならば、神の與へたまふ能力を受けたる者のごとく事へよ。是イエス・キリストによりて事々に神の崇められ給はん爲なり。榮光と權力とは世々限りなく彼に歸するなり、アァメン。」 Ⅰペテロ4:11  大正文語訳聖書

「語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。」 口語訳聖書

 「ビマリスタン」

「ビマリスタン」はペルシャ語で「病院」を意味する。伝承によれば西暦627年、戦場に医療品、食糧、水を運ぶテントの移動病院であったが、後に薬草、食品、医師、薬剤師を備える巨大病院に進化し、人種、宗教、市民権、性別に関係なく、すべての人々に無償で医療を提供するイスラムの病院となった。患者は病が回復するまで入院することができ、講堂、台所、薬局、図書館、モスクを備え、時にはキリスト教徒の患者のための礼拝堂も建てられた。医療団はムスリムだけでなく、キリスト教、ユダヤ教の医師などによって構成された。「ビマリスタン」の経費は主に裕福な者たちによる寄付によってまかなわれた。

(心のデボーション4883)

心のデボーション4884

「爰にヱホバ、アブラムに言たまひけるは汝の國を出で汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さん其地に至れ」 創世12:1  明治元訳聖書

「時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」 口語訳聖書

 「移り住む」

父の家を出て神の示される地に移り住むのがアブラハムの生涯であった。そこには古くからの住人もいて、水や草についてややこしい取り決めがあった。必ずしも移住を歓迎しない人々と忍耐強く交渉しなければならなかった。父の家にとどまれば、安全で豊かな生活が約束されている。しかし、何もかも準備された生活では、自分を生きる工夫もなく、したがって神と出会う機会もないのではないか。人は人生の中で幾度かアブラハムに与えられたと同じ神のことばを聴く。

(心のデボーション4884)

心のデボーション4885

「彼等はその勤むるところ己のためにあらず、汝らの爲なることを默示によりて知れり。即ち天より遣され給へる聖靈によりて福音を宣ぶる者どもの、汝らに傳へたる所にして、御使たちも之を懇ろに視んと欲するなり。」 Ⅰペテロ1:12  大正文語訳聖書

「そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。」 口語訳聖書

 「栄光から栄光へ」

初代教会の人々は「キリストの苦難とそれに続く栄光」について、「いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べた」。(Ⅰペテロ1:11)それは「自分たちのためではなく」、他の人々へのための「奉仕」でもあった。調べて知り得た「キリストの苦難と栄光」は他の人と分かち合うことによって、さらに深みを増す。

(心のデボーション4885)

心のデボーション4886

「ヱホバは彼がわづらひの床にあるをたすけ給はん なんぢかれが病るときその衾裯をしきかへたまはん」 詩篇41:3  明治元訳聖書

「主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。」 口語訳聖書

 「ストーカー」

「ストーカーstaiker」は「密猟者、狩猟者、野生の獣をこっそり追う人」を意味する英語stalkに由来する。自分の思いを直接伝えることで傷つくことを恐れ、異性との生身の関わりを持つことができない。遠くから相手を見つめ、妄想の愛を募らせ、それが愛だと勘違いする。秘かに獲物を追い、陰で待ち伏せる。現実を直視するのが怖い。ストーカーは愛の病である。人生には相手以外の「愛の対象としての世界」もあると気づくことができれば、相手への思いを手放すこともできるようになる。

(心のデボーション4886)

心のデボーション4887

「なんぢら邪曲をおこなふ者ことごとく我をはなれよ ヱホバはわが泣こゑをききたまひたり」 詩篇6:8  明治元訳聖書

「すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。」 口語訳聖書

 「涙」

悲しくてこぼす涙とタマネギをむいて流す涙では成分が違うという。涙の研究家、ウイリアム・フレーによると、感情的な涙にはストレスホルモンが含まれていて、心を浄化するのを助けてくれるというのである。「切なる願い」とともに流す涙は悲しみを浄化する。時には子どものように、声をあげて泣いたらよい。涙と一緒にストレスも流れて、心が晴れる。

(心のデボーション4887)

心のデボーション4888

「なんぢ生命の道をわれに示したまはん なんぢの前には充足るよろこびあり なんぢの右にはもろもろの快樂とこしへにあり」 詩篇16:11  明治元訳聖書

「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。

 「クマムシ」

「クマムシ」は大学入学共通テストの外国語・英語リーディングに出題たことで知られ、地球で最も生命力の強い動物である。体長0.1~1ミリほどの8本脚の動物で、食べ物や水がなくても最長30年間生きることができ、氷点下272度、最高150度の高温、深海底の6倍の圧力にも耐える。致命的な濃度の放射線を受けても死なず、宇宙の真空状態におかれても、元の状態にもどせば生き延びる。クマムシは身近なところにいくらでも見つけられる普通の生き物である。神は「いのち」に、途方もない耐性をお与えになられた。

(心のデボーション4888)

心のデボーション4889

「さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり」 マタイ6:2 大正文語訳聖書

「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」 口語訳聖書

 「街衢(ちまた)」

「施濟を行とき人の榮を得ん爲に會堂や街衙にて僞善者の如く箛を己が前に吹しむる勿れ」。(明治元訳聖書)

「街衢(ちまた)」(明治元訳)は「四方に別れた道」で、人の行き交うにぎやかな街である。銀座4丁目の交差点で「施し」をするようなものだ。ラッパを吹かずとも、すでに鳴り響いている。

(心のデボーション4889)

心のデボーション4890

「明哲はこれを持つものに生命の泉となる 愚なる者をいましむる者はおのれの痴是なり」 箴言16:22  明治元訳聖書

「知恵はこれを持つ者に命の泉となる、しかし、愚かさは愚かな者の受ける懲らしめである。」 口語訳聖書

 「面ファスナー」

河川敷を歩くとオナモミの実が服にくっついて往生することがある。スイス人ジョジュル・デ・ミストラルGeorge de Mestralは服に張り付いたゴボウの実からヒントを得て、面ファスナー(マジックテープ)を発明し「ベルクロ」の商標で売り出した。「ベルクロ(日本では現クラレ)」はフランス語「velourビロード+crochet鍵」の合成語である。厄介なものからも有益なものが生まれる。

(心のデボーション4890)

コメント