心のデボーション4871
「わが目うれへによりておとろへ もろもろの仇ゆゑに老ぬ」 詩篇6:7 明治元訳聖書
「わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだのゆえに弱くなった。」 口語訳聖書
「老いはてる」
「もろもろのあだのゆえに弱くなった」。(詩篇6:7) LXX ἐπαλαιώθην ἐν πᾶσιν τοῖς ἐχθροῖς μου(敵の真っただ中で老いはてた)と訳す。明治元訳聖書「もろもろの仇ゆゑに老ぬ」。「弱くなったπαλαιόω」は「古くなる、年を取る」の意である。罪を犯したダビデの魂は「敵の真っただ中で老いはてた」。
(心のデボーション4871)
心のデボーション4872
「我に對ひて主よ主よといふ者、ことごとくは天國に入らず、ただ天にいます我が父の御意をおこなふ者のみ、之に入るべし。」 マタイ7:21 明治元訳聖書
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」 口語訳聖書
「主よ」
「中心となって働く」ことを「主」と言う。神を「主」とお呼びするのは、神が私の中心にあって働かれるからである。「主よ、主よ」と言いながら天の御国に入れない人とは、主を中心においても、その働きを受けない人のことではないか。「おゝ、主よ」と涙を流して祈りながら、神の働きを少しも受けない、そんな器用なことが人にはできる。そのとき、神が「主」ではなく、私が「主」になっているに違いない。
(心のデボーション4872)
心のデボーション4873
「我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシヤ人にも、凡て信ずる者に救を得さする神の力たればなり。」 ロマ1:16 大正文語訳聖書
「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」 口語訳聖書
「無一物」
「すべて信じる者に、救を得させる神の力である」。(ロマ1:16) 「信仰は何をも携えゆかず、ただ神の與うるものを受取るのである」。(M・A・バーネット「ロマ書注解」福音伝道教団出版部 昭和21年1月) 神に携えてゆくものなど何一つないと知る者に、神は「救い」をお与えくださる。
(心のデボーション4873)
心のデボーション4874
「得に時あり失ふに時あり 保つに時あり棄るに時あり」 伝道3:6 明治元訳聖書
「捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、」 口語訳聖書
「自分探しの旅」
自分を探して旅に出る。しかし、旅先で見るのは、そこにいたのでは気づかない自分の現実の部分ではないか。そこで出会うのは、別人の姿の知りつくした親しい人ではないだろうか。人は日常的なものの中でしか自分を感じることができない。旅に出ると自分が、慣れ親しんだ関係の中で自分探しをしているのに気づくかもしれない。
(心のデボーション4874)
心のデボーション4875
「エス言ひ給ふ「なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし」」 マタイ22:37 大正文語訳聖書
「イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。」口語訳聖書
「御大切」
1600年頃刊行のキリシタン教理書『ドチリナ・キリシタン』に「万事にこえてデウスをご大切に思ひ奉る事と、我が身を思ふ如くポロシモ(隣人)となる人を大切に思ふ事これなり」とある。聖書の「愛」は「御大切」と訳される。キリシタンの部落にはコンフラリアconfraria(組,講)と呼ばれる小さな集団がつくられ、「御大切」が実践された。(広辞苑で「御大切」をひくと(キリシタン用語)愛「デウスの御大切の火」とあるが、「デウスの御大切の火」はヘブル12:29「我らの神は燒き盡す火なればなり」からのものか)
(心のデボーション4875)
心のデボーション4876
「請ふ汝過にし代の人に問へ 彼らの父祖の尋究めしところの事を學べ」 ヨブ8:8 明治元訳聖書
「先の代の人に問うてみよ、先祖たちの尋ねきわめた事を学べ。」 口語訳聖書
「1000億個」
人の脳の神経細胞は他の細胞のように分裂して増えることはなく、一日に10万個が失われるという。(20万という説もある)10万もの神経細胞が毎日なくなれば少々心配にもなるが、脳の神経細胞は1000億個あるので、心配はない。1000億という数は、一日10万としても90年で失われるのは全体の3%に過ぎないからで、むしろ、脳は毎日数を減らすことで、無駄なエネルギーを消費しないようにしているとさえ考えられるのである。失うことよりも、使わないことのほうを気にするほうがよさそうだ。
(心のデボーション4876)
心のデボーション4877
「われら強き者はおのれを喜ばせずして、力なき者の弱を負ふべし」 ロマ15:1 大正文語訳聖書
「わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない」 口語訳聖書
「弱さをになう」
植村直己さんによると、犬ゾリは力の強い雄犬だけで引かせると、すごい勢いで走り出すけど、すぐに息切れし、へばってしまうそうである。そこで、力の弱い雌犬を混ぜてやると、いつまでも走り続けるというのです。強いだけの群れよりも、弱さの混ざった群れの方がすぐれている。「力のない人たちの弱さをになう」ことによって、群れは力を出し、走り続けることができる。
(心のデボーション4877)
心のデボーション4878
「王の怒は死の使者のごとし 智慧ある人はこれをなだむ」 箴言16:14 明治元訳聖書
「王の怒りは死の使者である、知恵ある人はこれをなだめる。」 口語訳聖書
「切歯扼腕」
非常に悔しい思いを「切歯扼腕」という。「切歯」は歯ぎしりすること、「扼腕」は左手で右腕を握りしめて悔しがることである。「王」が怒り、切歯扼腕するときは危険である。それをなだめることが「知恵ある人」だと箴言は教える。
(心のデボーション4878)
心のデボーション4879
「さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり」 マタイ6:2 大正文語訳聖書
「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」 口語訳聖書
「慈善」
「慈善をするとき、自分のまへにラッパを鳴らしなさるな。自家廣告をやりなさるな」 (藤井武 『信仰生活』)
(心のデボーション4879)
心のデボーション4880
「慾孕みて罪を生み、罪成りて死を生む。」 ヤコブ1:15 大正文語訳聖書
「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。」 口語訳聖書
「欲」
「欲がはらんで罪を生み」。(ヤコブ1:17) 「孕むσυλλαμβάνω」は「つかまえる、逮捕する、身ごもる」の意をもつ。「欲」につかまると、「欲」が「罪」を捕まえ(逮捕し)、「罪」を身ごもり、「死」を生む。
(心のデボーション4880)
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