心のデボーション4841
「心の苦みは心みづから知る其よろこびには他人あづからず」 箴言14:10 明治元訳聖書
「心の苦しみは心みずからが知る、その喜びには他人はあずからない。」 口語訳聖書
「地か洞窟」
スペインの女性アルピニスト、ベアトリス・フラミニさんは2021年11月20日から2023年4月12日
まで、スペインのグラナダ大学・ムルシア大学・アルメリア大学の科学者チームの監視のもと、たった一人で地か洞窟に500日間を外界とのコンタクトを完全に遮断して過ごすという実験を実行し、極限状態での人間の反応に貴重なデータをもたらした。洞窟に入る前に、スポーツ心理学者のデボラ・ゴドイは彼女に、「幻覚に恐怖を感じないよう、幻覚の見分け方のコツを伝授し、現実感を維持するために洞窟の中では思考を言語化するといい」とアドバイスしたという。極限状態ばかりでなく、孤独(μονάξια)への一つの有効なアドレスかもしれない。
(心のデボーション4841)
心のデボーション4842
「汝此を執は善しまた彼にも手を放すなかれ 神を畏む者はこの一切の者の中より逃れ出るなり」 伝道7:18 明治元訳聖書
「あなたがこれを執るのはよい、また彼から手を引いてはならない。神をかしこむ者は、このすべてからのがれ出るのである。」 口語訳聖書
「もう一つ」
一つをつかんだら、その反対側の「もう一つ」を忘れるなと伝道者は語る。かしこくなりたかったら、「愚か」を手放さないこと。急ぐなら、遠回りしてみよ。あせるなら、何もするな。美しくなりたかったら、醜さを隠すな。富を得たかったら、貧しさも得よ。降りる技術を身につけている人だけがより高くのぼることができる。神を恐れる者は「この両方を会得している」と伝道者は語る。
(心のデボーション4842)
心のデボーション4843
「我は卑賤にをる道を知り、富にをる道を知る。また飽くことにも、飢うることにも、富むことにも、乏しき事にも、一切の秘訣を得たり」 ピリピ4:12 大正文語訳聖書
「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。」 口語訳聖書
「体力」
「知るには、知るだけの強さがいる。3000メートルの山を登るのは、それなりの体力をつけなければならない。あるいは、成熟しなければならない。知る権利と同時に必要な体力を、この社会は、きちんと養成してきたか」。(養老孟司「涼しい脳味噌」文芸春秋1991/10より) 「知る」、「成熟する」にも、「知的体力、心的体力」というものがありそうだ。
(心のデボーション4843)
心のデボーション4844
「なんぢ右にゆくも左にゆくもその耳に これは道なりこれを歩むべしと後邊にてかたるをきかん」 イザヤ30:21 明治元訳聖書
「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。」 口語訳聖書
「転落ゾウ」
多摩動物公園で、一頭のゾウが誤って堀に転落してしまった。深い堀で、自力ではい出るのはむずかしく、かといって重いゾウを引き上げるのは大変である。すると、堀を見ていたもう一頭のゾウが自分から堀に落ちたという。このゾウは以前堀に落ちたことがあって、苦労して脱出したことがある。そのやり方をしてみせると、先のゾウは四時間後に堀から自力で脱出できたそうである。手は出さず、自分でやって見せるのが自然の知恵である。
(心のデボーション4844)
心のデボーション4845
「人の誘はるるは己の慾に引かれて惑さるるなり。」 ヤコブ1:14 大正文語訳聖書
「人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。」 口語訳聖書
「欲にひかれる」
「人が誘惑に陥るのは」、「欲に引かれ、さそわれるからである」。(ヤコブ1:14) 「引かれるἐξέλκω」は「引き出す、引きずる」の意。「欲」が人を引きずってゆく。引きずられる人はほとんど抵抗できない。
(心のデボーション4845)
心のデボーション4846
「即ち彼らは己が中に在すキリストの靈の、キリストの受くべき苦難および其の後の榮光を預じめ證して、何時のころ如何なる時を示し給ひしかを査べたり。」 Ⅰペテロ1:11 大正文語訳聖書
「彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。」 口語訳聖書
「調べる」
初代教会は「キリストの苦難とそれに続く栄光」について、「あらかじめあかしされた時」について、「それは、いつの時、どんな場合をさしたのか」を「調べた」。(Ⅰペテロ1:11) 「調べたδηλόω」は「明らかにする、明るみに出す」の意。「苦難と栄光を明るみに出すのは「うちにいますキリストの霊」である。
(心のデボーション4846)
心のデボーション4847
「我この一切の事を見また日の下におこなはるる諸の事に心を用ひたり時としては此人彼人を治めてこれに害を蒙らしむることあり」 伝道8:9 明治元訳聖書
「わたしはこのすべての事を見た。また日の下に行われるもろもろのわざに心を用いた。時としてはこの人が、かの人を治めて、これに害をこうむらせることがある。」 口語訳聖書
「人を支配する」
いつも、こまかいところまで指図したり、自分が指示しなければ気のすまない人は、他人を信頼できないのかもしれない。自分で全てをコントロールしないと不安なのだ。そして、自分がコントロールできないと感じると切り捨てようとする。他人を支配したがるのは、自信があるからではなく、低い自己評価を隠すため。自分への信頼と自尊心を取り戻すことができれば、人を支配する間違いに気づく。人は支配されるよりも、自尊心に訴えられる方がよほど動くものだ。
(心のデボーション4847)
心のデボーション4848
「妻たる者よ、汝らもその夫に服へ。たとひ御言に遵はぬ夫ありとも、汝らの潔く、かつ恭敬しき行状を見て、言によらず妻の行状によりて救に入らん爲なり。」 Ⅰペテロ3:2 大正文語訳聖書
「あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。」 口語訳聖書
「無気力」
「無気力」を意味する英語lethargyは「長期にわたる心的・身体的不活発」で、後期ラテン語lethargia「昏睡状態」、ギリシャ語λήθαργια「忘れ果てる」に由来する。「何もしたくない、ずっと寝ていたい」という気分」である。無気力は乱れた生活を整えるとよい。私はいつも無気力を感じると身辺に積まれているメモなどを整理して、身の回りをすっきりすることにしている。
(心のデボーション4848)
心のデボーション4849
「さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり」 マタイ6:2 大正文語訳聖書
「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」 口語訳聖書
「ほめられようとして」
「人からほめられようとしてὅπως δοξασθῶσιν ὑπὸ τῶν ἀνθρώπων」は「τῶν ἀνθρώπων人々に」であり、偽善者は複数の人々からほめられ、認められようとしてラッパを吹き、自分の所在と、自分の為すことを知らせようとする。観客の集まりの悪い所ではやりたがらない。そして、彼の聴衆がそのまずい演技にうんざりしていることにも気がつかない。
(心のデボーション4849)
心のデボーション4850
「白髮は榮の冠弁なり 義しき途にてこれを見ん」 箴言16:31 明治元訳聖書
「しらがは栄えの冠である、正しく生きることによってそれが得られる。」 口語訳聖書
「腰かけ」
現実の社会に常に腰かけのように生きて、いつになっても本格的に生きようとせず、気づけば、万事が「一時的」なものとなり、それがこの世の生き方となっている。「正しく生きるδικαιοσύνης εὑρίσκεται」とは、どういう生き方か。
(心のデボーション4850)
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