心のデボーション480

デボーション1
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心のデボーション4791

「われ心をつくして汝をたづねもとめたり 願くはなんぢの誡命より迷ひいださしめ給ふなかれ」 詩篇119:10  明治元訳聖書

「わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。わたしをあなたの戒めから/迷い出させないでください。」 口語訳聖書

 「望ましい困難」

「望ましい困難Desirable difficulties」はロバート・ビョークRobert A.Bjork(スタンフォード大学心理学博士)が1994年の研究「人間の訓練における記憶とメタ記憶の考察」で導入した用語で「知識をさまざまな状況に使用できる効果的な学習」のことである。学生は「望ましい困難Desirable difficulties」に遭遇することで思考し、「知識」の有効性を通してその本質を確認し、より創造的なスキルを身につけることができる。聖書の学びの前提に「望ましい困難」を置いてみたい。

(心のデボーション4791)

心のデボーション4792

「我ら天にいます神にむかひて手とともに心をも擧べし」 哀歌3:41  明治元訳聖書

「われわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう。」 口語訳聖書

 「手をも心をも」

手は祈りのかたちをとっていても、心が神に向かわない時のあることを哀歌の記者は知っていた。手をあげて祈っていても、思いは祈りから離れて彷徨う。けれども、私はその感じが嫌いではない。祈りの手はそのままに、思いが漂うに任せる。思いの底からわきあがるもの、それが心である。その思いをことばにするのは「手をも心をも」の祈りではないだろうか。

(心のデボーション4792)

心のデボーション4793

「信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歡喜のために、恥をも厭はずして十字架をしのび、遂に神の御座の右に坐し給へり」 へブル12:2  明治元訳聖書

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」 口語訳聖書

 「イエスを仰ぎ見つつ」

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」。(へブル12:2) 「仰ぎ見つつ」は新改訳聖書「目を離さないで」、新共同訳聖書「見つめながら」。「目を離さないでἀφοράω」は「目を注ぐ」、すなわち「分かる、見極める」の意である。イエスを「分かる、見極める」まで「じっとイエスを凝視する」こと。

(心のデボーション4793)

心のデボーション4794

「彼なほ語りをるとき、視よ、光れる雲かれらを覆ふ。また雲より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり、汝ら之に聽け』」 マタイ17:5  大正文語訳聖書

「彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」 口語訳聖書

「かわいい」

おとうさん だいすき おかあさん だいすき          
だって、りょうほうともかわいんだもん   (まりな四歳 出典不明)

「かわいさ」は子どもが「今」を生きるのに大切な条件になっているようだ。しかし、母親が子どもにおしゃれなDCブランドを着せるのが、母親が自分自身の「かわいさ」を期待してのことなら、あまりかわいいこととは思えない。「あなたはわたしの愛する子、そのままで、わたしの喜び」と言えればいいと思う。   

(心のデボーション4794)

心のデボーション4795

「祭司長・學者ら之を聞き、如何にしてかイエスを亡さんと謀る、それは群衆みな其の教に驚きたれば、彼を懼れしなり。」 マルコ11:18  大正文語訳聖書

「祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教に感動していたので、イエスを恐れていたからである。」 口語訳聖書

 「感動」

「群衆がみなその〔イエス・キリストの〕教に感動していた」。「感動したἐκπλήσσω」は「茫然自失する、アッと驚く」の意。群衆の「驚き」は必ずしも信仰と結びつくものではなかった。神の霊感(θεόπνευστοςⅡテモテ3:16)による静かな感動が人を動かす。

(心のデボーション4795)

心のデボーション4796

「汝等のうち誰にても或は殺人、あるひは盜人、あるひは惡を行ふ者、あるひは妄に他人の事に干渉する者となりて苦難に遭ふな。」 Ⅰペテロ4:15  大正文語訳聖書

「あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。」 口語訳聖書

 「ヘリコプターペアレント」

「Helicopter Parent(ヘリコプターペアレント)」は1969年に出版されたHaim Ginott博士の著書「Between Parent & Teenager」から徐々にアメリカに広まった「過干渉の親」を意味する言葉とされる。ヘリコプターのように上空から子どもを見張り、問題を見つけると降下して、うるさく子どもに先まわりして干渉する。子どもが親から自立する年齢に達しても一向にヘリコプターを止めない「管理過剰」な親である。最近は監視の技術もすすんで、音もなくドローンを飛ばしたりする。

(心のデボーション4796)

心のデボーション4797

「ここにイエス茨の冠冕をかむり、紫色の上衣をきて出で給へば、ピラト言ふ『視よ、この人なり』」 ヨハネ19:5  明治元訳聖書

「イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。口語訳聖書

 「エッケ ホモ」

ピラトはイエスに「いばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで」外に立たせ、「見よ、この人だ」と言った。「見よ、この人だ」はギリシャ語「ἰδοὺ ὁ ἄνθρωπος」、ラテン語「Ecce homo」でKing James Bibleは「Behold the Man! この人を見よ」と訳す。ラテン語homoは「人、人間」を意味し、ピラトは群衆にイエスを「〔神の子などではなく〕見よ、同じ人間(homo)だ」と言ったのだろう。しかし、「エッケ・ホモ この人を見よ」はイエスの復活の後にイエスの受難と栄光をあらわす言葉となった。

(心のデボーション4797)

心のデボーション4798

「惰者よ蟻にゆき其爲すところを觀て智慧をえよ」 箴言6:6  明治元訳聖書

「なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。」 口語訳聖書

 「橋をつくる蟻」

中央アフリカに生息する軍隊蟻は群れで橋を作って河を渡る。橋をつくるのは蟻の組織の下層に属するマイナーと呼ばれる土木担当の蟻で互いの身体を顎で咬んで連結して橋として、泳げない仲間を渡らせる。マイナーの三分の二は水に沈むが水に浮く三分の一と適宜交代して、息継ぎをするという。マイナーの働き蟻にリーダーがいるわけではなく、その時がくると身をもって橋となり仲間を渡す。蟻の社会では役割のない者は一人もいない。

(心のデボーション4798)

心のデボーション4799

「汝ら見られんために己が義を人の前にて行わぬよう心せよ。然らずば、天にいます汝らの父より報いを得じ」マタイ6:1 大正文語訳聖書

「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」 口語訳聖書

 「神の労賃」

ゼベダイ(ヤコブとヨハネの父)の母は息子たちと一緒にイエスに来て「王座に着かれるとき、自分の二人の息子の一人を右に、一人を左に座らせると約束してください」と密かに願った。(マタイ20:21) そして、これを知った残りの10人の弟子はそのことで「腹を立て」た。「神の労賃μισθός」が何かを考えるべきでない。それは考える途端にどこかに消えてしまう。

(心のデボーション4799)

心のデボーション4800

「ヱホバよなんぢに義者にさいはひし盾のごとく恩惠をもて之をかこみたまはん」 詩篇5:13  明治元訳聖書

「主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。」 口語訳聖書

 「恵みの大盾」

「恵みの盾‎ צִנָּה」は丸型の小型の盾ではなく、全身を隠す「大盾」である。神の恵みは敵の攻撃から全身を覆い、危険を防ぐ。

(心のデボーション4800)

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