心のデボーション4781
「われなんぢを挨望むねがはくは完全と正直とわれをまもれかし」 詩篇25:21 明治元訳聖書
「どうか、誠実と潔白とが、わたしを守ってくれるように。わたしはあなたを待ち望んでいます。」 口語訳聖書
「誠実と潔白」
「誠実と潔白とが、わたしを守ってくれるように」。(詩篇25:21) May my goodness and honesty. (TEV) 「潔白」は「honesty」と訳される。ヘブル語「יֹשֶׁר」は「まっすぐなこと、正しさ、実直、正直」の意。LXXεὐθύς
「まっすぐ、平らかな」。神の誠実と潔白」が「わたしを守ってくれますように」。
(心のデボーション4781)
心のデボーション4782
「水に照せば面と面と相肖るがごとく 人の心は人の心に似たり」 箴言27:19 明治元訳聖書
「水にうつせば顔と顔とが応じるように、人の心はその人をうつす。」 口語訳聖書
「心を映す」
女性が鏡を見るのは化粧を直すばかりではない。平静ではいられないようなことがあると、鏡に自分を映して、自分自身を取り戻そうとする。そこで確認するのは「見られている自分」である。鏡の前で確認してほしいもう一つは、自分の心である。心は、「あなた」として映し出されていると聖書はいう。心は、見られているという意識がはずされた時に表情に出てくるものである。心は装わないから美しい。
(心のデボーション4782)
心のデボーション4783
「それ心より惡しき念いづ、すなはち殺人・姦淫・淫行・竊盜・僞證・誹謗、」 マタイ15:19 大正文語訳聖書
「というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、」 口語訳聖書
「ミュルミドーン人」
英語でmyrmidonは「(命令を容赦なく遂行する)鬼のような手下」の意である。Myrmidonの語源はギリシャ語Μυρμιδώνミュルミドーン人で、その名はμύρμηξ蟻に由来する。ミュルミドーン人は古代テッサリアθετταλίαの住人で、アキレウスに率いられてトロイア戦争に参加した精鋭部隊と伝えられている。忠実で疑問を抱かない従者であり、テロを実行するのはそのような人かもしれない。
(心のデボーション4783)
心のデボーション4784
「然はあれどヱホバを俟望むものは新なる力をえん また鷲のごとく翼をはりてのぼらん 走れどもつかれず歩めども倦ざるべし」 イザヤ40:31 明治元訳聖書
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」 口語訳聖書
「鷲のように」
内からつき動かされるような衝動がきて、わけもわからず動いてしまうことがある。衝動がおさまってみれば、思ったほどの成果もない。しかし、少ない結果にがっかりすることはない。その熱狂がなければ、どんなに小さな成果も生まれはしないからである。先に結果を見て何もはじめないよりも、愚かでも結果の見えない衝動に動かされる方がずっと楽しいと思える。
(心のデボーション4784)
心のデボーション4785
「聖書はみな神の感動によるものにして、教誨と譴責と矯正と義を薫陶するとに益あり。」 Ⅱテモテ3:16 大正文語訳聖書
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」 口語訳聖書
「神の霊感」
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」。(Ⅱテモテ3:16) 「神の霊感θεόπνευστος」は「神から吹き込まれる」の意。英語inspirationはラテン語「in中+spirare呼吸する」に由来し「息を吹き込む、霊感による着想」をあらわす。神の霊感を受けた神のことばは、神の霊によって人に吹き込まれ、「人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」。
(心のデボーション4785)
心のデボーション4786
「わが義をまもりたまふ神よ ねがはくはわが呼るときに答へたまへ わがなやみたる時なんぢ我をくつろがせたまへり ねがはくは我をあはれみ わが祈をききたまへ」 詩篇4:1 明治元訳聖書
「わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。」 口語訳聖書
「私の義」
神は祈りに応えられることによって、「わたしの正しさを証ししてくださる神」(詩篇4:1フランシスコ会訳聖書)である。神は、私の神への「信頼が正しいことを、人々に示される」(フランシスコ会訳聖書詩篇4:1欄外注解)お方である。正しさは、神が人々に示されるまで、静かに祈れ。
(心のデボーション4786)
心のデボーション4787
「われなんぢの訓諭をもとめたるにより障なくしてあゆまん」 詩篇119:45 明治元訳聖書
「わたしはあなたのさとしを求めたので、自由に歩むことができます。」 口語訳聖書
「ふたりの老女」
ウェルマー・ウォーリスの「ふたりの老女」(Velma Wallis「ふたりの老女」亀井よし子翻訳 草思社1995/2)はアラスカの厳しい寒気の中で飢えた集団に捨てられた二人の老女の物語である。二人は凍てつく大地で生きようとする。木切れを集めて火をおこし、ウサギにワナをしかける。「ワナをしかけたら定期的に様子を見に行け。それをおこたると運が逃げる」というのが、彼女たちが教わった狩りのルールであった。よろよろと足をひきずりながら、二人はワナを見に出かけ、ほとんど毎日「ウサギ一匹のご褒美」を持ち帰るのだった。こうして二人は雪にとざされる厳寒の冬を乗り切り、自分たちを見捨てた群れが戻って来ると、その窮地を助ける。
(心のデボーション4787)
心のデボーション4788
「汝田野にて穀物を刈る時もしその一束を田野に忘れおきたらば返りてこれを取べからず他國の人と孤子と寡婦とにこれを取すべし然せば汝の神ヱホバ凡て汝が手に作ところの事に祝福を降したまはん」 申命24:19 明治元訳聖書
「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう。」 口語訳聖書
「畑の一束」
律法は、「畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない」と定める。「畑から持ち帰るのを忘れた穀物の一束」は「寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない」。(申命24:19) 「忘れ物」が貧しい人たちの役に立つなら、いつまでも覚えていてはいけない。
(心のデボーション4788)
心のデボーション4789
「汝ら見られんために己が義を人の前にて行わぬよう心せよ。然らずば、天にいます汝らの父より報いを得じ」マタイ6:1 大正文語訳聖書
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」 口語訳聖書
「報い」
「報いμισθός」は「労賃、賃銀、報酬、報い、給料、手当、代償」。「善行δικαιοσύνη(正義、正直、信仰の義)」に対して、神は「労賃」を支払われる。それ以外のものは何もいらない。「信仰の義」としての「善行」は、「神の労賃」以外に期待するものはなにもない。神がくださる「報いμισθός」に対して、「それもいらない」と言ってはならない。
(心のデボーション4789)
心のデボーション4790
「イエスかれが泣き居り、共に來りしユダヤ人も泣き居るを見て、心を傷め悲しみて言ひ給ふ、」 ヨハネ11:33 大正文語訳聖書
「イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、」 口語訳聖書
「心に憤りを覚え」
病んでいたラザロが亡くなり、「彼女〔マリヤ〕が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、イエスは「激しく感動され」た。「激しく感動するἐμβριμάομαι」は「憤る、うめく」の意で、新共同訳聖書は「心に憤りを覚え」と訳す。イエスは愛する者を取り去り、悲しみをもたらすものに「心に激しい憤りを覚え、涙を流された」のである。
(心のデボーション4790)
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