心のデボーション477

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

心のデボーション4761

「われら感謝をもてその前にゆき ヱホバにむかひ歌をもて歓ばしきこゑをあげん」 詩篇95:2  明治元訳聖書

「われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。」 口語訳聖書

 「認知症と信仰」

アルツハイマー病Alzheimer diseaseは、ドイツの神経病理学者A・Alzheimer(アロイス・アルツハイマー)が1906年に亡くなったアウグステという55歳の患者さんの女性の脳組織の変化(脳の神経細胞が減り、脳が小さく萎縮する症状)を報告し、ドイツの精神科医E・クレベリンがこの患者の病名をアルツハイマー病Alzheimer diseaseと呼んだことからその名がある。認知症の原因の一つとされる。

認知症は人間の終わりではなく、そこにも神との親しい交わりがあり、むしろ新しい世界を教えてくれるのではないか。

(心のデボーション4761)

心のデボーション4762

「アブラム、ヱホバを信ずヱホバこれを彼の義となしたまへり」 創世記15:6  明治元訳聖書

「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。」 口語訳聖書

 「信じる」

疑いたくないから信じるというのは、信じることだろうか。疑うのが嫌なので、「信じる」と言いながら、目をそらしているだけかもしれない。「信じる」とは、相手に何かを「渡す」ことである。アブラハムは、大いなる国民となるという約束にもかかわらず、跡継ぎの子どもがいないという矛盾した現実を神に「渡す」。神を信じた時、何を神に「渡した」だろうか。

(心のデボーション4762)

心のデボーション4763

「神の子イエス・キリストの福音の始。」 マルコ1:1  大正文語訳聖書

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」 口語訳聖書

 「イエス・キリストの福音」

「イエス・キリストの福音τοῦ εὐαγγελίου ᾽Ιησοῦ Χριστοῦ」。原文は「イエスキリストがもたらされた福音(よい知らせ)」の意。「異なるイエス・キリストἄλλον ἰησοῦν κηρύσσει」を宣べ伝えるのは「異なる福音」である。「異なるἄλλος」は「もう一つの、違った、反対の」の意。

(心のデボーション4763)

心のデボーション4764

「なんぢら祈るとき、僞善者の如くあらざれ。彼らは人に顯さんとて、會堂や大路の角に立ちて祈ることを好む。誠に汝らに告ぐ、かれらは既にその報を得たり。」 マタイ6:5  大正文語訳聖書

「また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている」 口語訳聖書

 「偽善者」                                                        

「偽善者ὑποκριτής」という言葉は、仮面をつけて演じる古典ギリシャ語の「役者」から来ている。偽善者をあらわす英語hypocriteはギリシャ語ὑποκριτήςラテン語hypocritaを語源とし、「役割を果たす、ふりをする」の意である。本当の偽善者は、いかにも偽善者らしい装いをしていないものだ。目立たず、謙虚にふるまうが、その仮面の下には、自分を常に正しいところにおき、他人を冷たく裁く心が隠されている。仮面をかぶることが問題なのではなく、舞台から下りても仮面をはずさず、まだその役を演じようとすることが問題ではないか。仮面が顔に張りつき、偽善がその人の人格になってしまったのである。

(心のデボーション4764)

心のデボーション4765

「人もし汝に惡を爲さずば故なく之と爭ふこと勿れ」 箴言3:30  明治元訳聖書

「もし人があなたに悪を行ったのでなければ、ゆえなく、これと争ってはならない。」 口語訳聖書

 「紛争を起こすもの」

「紛争を起こすものは、Greed(強欲)、Hubris(おごり)、Bigotry(無知・無恥)だ」と言われる。「紛争」を意味する英語conflictは「con一緒に+fligereを打つ」からなるラテン語conflictus「対立」を語源とし、利害の衝突にも、心に生じる「相反する矛盾した感情conflicting」にもつかわれる。いずれにも「Greed(強欲)、Hubris(おごり)、Bigotry(無知・無恥)」が深く関わっている。

(心のデボーション4765)

心のデボーション4766

「彼をして己が時に至りて顯れしめんために、彼を阻めをる者を汝らは知る。」 Ⅱテサロニケ2:6  大正文語訳聖書

「そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。」 口語訳聖書

 「不法な者のあらわれを阻止するもの」

「不法な者」が現れようとしているが、その現われを「阻止してるものがある」とパウロは言う。(Ⅱテサロニケ2:6) 「不法の秘密の力」が、すでに働いている。しかし、今は阻止されている。現在、「不法の秘密の力」の働く時代のように思われるが、なお、決定的な「不法な者」の現れは「阻止κατέχω」されているという意味か。κατέχωは「阻止する、抑圧する、監禁する」の意。

(心のデボーション4766)

心のデボーション4767

「人もし汝に惡を爲さずば故なく之と爭ふこと勿れ」 箴言3:30  大正文語訳聖書

「もし人があなたに悪を行ったのでなければ、ゆえなく、これと争ってはならない。」 口語訳聖書

 「これは失礼」

メダカは仲間とぶつかりそうになると、双方がパッと離れる。相手の大きい小さいは関係ない。とにかく双方で、これは失礼といった感じで離れる。その距離もわずかなもので、相手をやり過ごせば、平然としたものだ。衝突を避けるのは、弱い魚が群れて生きるための知恵なのかもしれない。たいていの争いは避けようとすれば避けられるものだ。軽くやり過ごすという知恵もある。

(心のデボーション4767)

心のデボーション4768

「然るに我が憐憫を蒙りしは、キリスト・イエス我を首に寛容をことごとく顯し、この後、かれを信じて永遠の生命を受けんとする者の模範となし給はん爲なり。」 Ⅰテモテ1:16  大正文語訳聖書

「しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。」 口語訳聖書

 「限りない寛容」

人が今もなおキリストに留まるのは、「キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示された」からである。「限りない寛容τὴν ἅπασαν μακροθυμίαν」は「あらん限りの、際限のない忍耐」である。「キリストの寛容」によらないキリスト者は一人としていない。

(心のデボーション4768)

心のデボーション4769

「さらば汝らの天の父の全きが如く、汝らも全かれ」 マタイ5:48 大正文語訳聖書

「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」 口語訳聖書

 「完全主義」

マタイ5:48は完全主義Perfectionisumへの招きではない。神が自らの存在に「完全」であるように、人は自らの

存在、すなわち「神ではない人間」としての不完全さを保つことにおいて「完全」でなければならない。「完全」

を否定することにおいて「完全」である。聖書の「完全τέλειος」は「(自分で自分の意図、計画を)完成する、

成し遂げる、実現する、完了する、達成する、成就する、終わらせる」の意である。

(心のデボーション4769)

心のデボーション4770

「願はくは主オネシポロの家に憐憫を賜はんことを。彼はしばしば我を慰め、又わが鎖を恥とせず。」 Ⅱテモテ1:16  大正文語訳聖書

「どうか、主が、オネシポロの家にあわれみをたれて下さるように。彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、」 口語訳聖書

 「恥とせず」

「オネシモの家の者達」がパウロの「鎖を恥ἐπαισχύνομαιとも思わなかった」のは、彼らが「皆ひとりのかたから出て〔いることを知り〕」、それゆえに主が、「彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされなかった」からである。(へブル2:11) 神は私を恥と思われない、それゆえに私は兄弟に起こることを恥とは思わないのである。

(心のデボーション4770)

コメント