心のデボーション4701
「主人かれを呼びて言ふ「わが汝につきて聞く所は、これ何事ぞ、務の報告をいだせ、汝こののち支配人たるを得じ」」 ルカ16:2 大正文語訳聖書
「そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』 口語訳聖書
「よき家令」
「家令οἰκονομία」は「家οἶκος+νέμω管理する」からなる言葉で、家のすべてを任された管理人であった。「経済」を意味する英語economyはギリシャ語「家οἶκος+νόμος法」を語源とし、ラテン語「eco +nomia」からeconomyとなった。キリスト者は神の家を管理する「よき管理人」として、家計をよく管理しなければならない。
(心のデボーション4701)
心のデボーション4702
「なんぢわが燈火をともし給ふべければなり わが神ヱホバわが暗をてらしたまはん」 詩篇18:28 大正文語訳聖書
「あなたはわたしのともしびをともし、わが神、主はわたしのやみを照されます。」 口語訳聖書
「ともしび」
さみしいと感じたら、部屋をもう一段明るくしてみる。そんな時、デパートに行ったりすると、安らぐものだ。気持ちが暗くなると、人は明りにひかれる。さみしい時には、ともしびに手をかざす。心がともしびにさらされて、いのちが戻ってくる。「主のことば」が、私たちの「ともしび」である。ギリシャ語「ともしびλαμπάς(たいまつ)」は英語lampランブの語源であり、lampは「(心、知識の)光明」の比喩に使われる。
(心のデボーション4702)
心のデボーション4703
「もし神の光のうちに在すごとく光のうちを歩まば、我ら互に交際を得、また其の子イエスの血、すべての罪より我らを潔む。」 Ⅰヨハネ1:7 大正文語訳聖書
「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」 口語訳聖書
「ユーサイキア」
心理学者マズローは「千人の自己実現者が外部からいっさい干渉を受けない島に暮らした所に生まれる理想的な社会」をユーサイキアEupsychiaと呼んだ。Eupsychiaはギリシャ語「εὖよい+ Ψυχή心、魂+-ia場所」で「最良の心の状態」を意味するマズローの造語である。マズローは人格的成熟の到達点に、人々が互いに創造性を高めあう人格的交わりを見ている。
(心のデボーション4703)
心のデボーション4704
「ヱホバよ我はなんぢの審判のただしく又なんぢが眞實をもて我をくるしめたまひしを知る」 詩篇119:75 大正文語訳聖書
「主よ、わたしはあなたのさばきの正しく、また、あなたが真実をもって/わたしを苦しめられたことを知っています。」 口語訳聖書
「幸せな人」
「ボクはクツ下をガビョウで止められるんだ」と仲間に自慢した義足をつけた少年がいた。この気持ちがある限り、人は輝きを失わない。自分が育っていないと「人並み」であろうとし、そうなれない自分に不安を感じる。幸せな人は自分自身に幸せを感じていて、自分が幸せかどうかで、人と自分を比較する必要もない。悩みが幸せなのではなく、その自分を通して神の真実を知ったことが幸せなのである。
(心のデボーション4704)
心のデボーション4705
「各人の能力に應じて、或者には五タラント、或者には二タラント、或者には一タラントを與へ置きて旅立せり。」 マタイ25:15 大正文語訳聖書
「すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。」 口語訳聖書
「人生の有用さ」
「人生の有用さはその長さにあるのではなく、使い方にある。長生きをしてもほとんど生きなかった者もある」。(モンテーニュ「エセー」p66 原二郎訳 筑摩書房昭和43年) 神はすべての人に、その人に相応しい「タラント」を与えられた。問題はタラントの量や質ではなく、その「使い方」である。
(心のデボーション4705)
心のデボーション4706
「何なればもろもろの國人はさわぎたち諸民はむなしきことを謀るや」 詩篇2:1 明治元訳聖書
「なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。」 口語訳聖書
「兵力を数える」
「もろもろの民はむなしい事をたくらむ」をフランシスコ会訳聖書昭和43/12版は「もろもろの民は兵力を数えるのか」と訳す。諸々の国々の民は「兵力を数え」、金持ちは「金を数える」。共に「むなしい騒ぎ」である。
(心のデボーション4706)
心のデボーション4707
「終に言ふ、汝らみな心を同じうし、互に思ひ遣り、兄弟を愛し、憐み、へりくだり」 Ⅰペテロ3:8 大正文語訳聖書
「最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。」 口語訳聖書
「謙遜」
謙遜になるのはむずかしい。謙遜になれたと思う瞬間に、それを失っている。自分は謙遜を欠いていると思えるとき、その人は謙遜になっている。ギリシャ語で「謙遜ταπείνωσις」は「低くする」の意である。自分が謙遜かどうかを忘れるくらいに心を低くした人を「謙遜な人」と呼ぶ。腰の低い人は、心が低く、心優しい。
(心のデボーション4707)
心のデボーション4708
「イエス起きて風をいましめ、海に言ひたまふ『默せ、鎭れ』乃ち風やみて、大なる凪となりぬ。」 マルコ4:39 大正文語訳聖書
「イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。」 口語訳聖書
「默せ、鎭れ」
「静まれ、黙れ」。(マルコ4:39) 「黙るφιμόω」は「(牛に)くつこをかける」こと。神の前に、口に「くつこ」をかけて黙せよ。神が語られる。
(心のデボーション4708)
心のデボーション4709
「ヱホバわが磐わが贖主よ わがくちの言わがこころの思念なんぢのまへに悦ばるることを得しめたまへ」 詩篇19:14 明治元訳聖書
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。」 口語訳聖書
「主はわたしの岩」
「わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように」、フランシスコ会訳聖書は「わたしの口の言葉があなたの望みにかない、わたしの心の思いがみ旨にかないますように」。(詩篇19:14) 「わたしの口の言葉があなたの望みにかない、わたしの心の思いがみ旨にかなう」のは、主が「わたしの岩、私の贖い主」であることによる。
(心のデボーション4709)
心のデボーション4710
「聖書はみな神の感動によるものにして、教誨と譴責と矯正と義を薫陶するとに益あり。」 Ⅱテモテ3:16 大正文語訳聖書
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」 口語訳聖書
「神の霊感」
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたもの」である。(Ⅱテモテ3:16) トマス・アクィナス「神学大全」は「聖書はすべて神感(divinitus inspirate「神から受けた神の霊によって照らされること」「神学大全」脚注より)による」と記す。「霊感θεόπνευστος」は「神から吹き込まれる」の意で、人間の知に対置される。
(心のデボーション4710)
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