心のデボーション469

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心のデボーション4681

「多の友をまうくる人は遂にその身を亡す 但し兄弟よりもたのもしき知己もまたあり」 箴言18:24  明治元訳聖書

「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」 口語訳聖書

 「秘密を守る友」

「愚か者と相談するな。彼は秘密を守ることができないからだ」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵8:17 新共同訳聖書)

「秘密を守ることができない友」は「見せかけの友」、「秘密を守ることができる友」は「兄弟よりもたのもしい」。

(心のデボーション4681)

心のデボーション4682

「かれらは劍のごとくおのが舌をとぎ その弓をはり矢をつがへるごとく苦言をはなち」 詩篇64:3  明治元訳聖書

「彼らはその舌をつるぎのようにとぎ、苦い言葉を矢のように放ち、」 口語訳聖書

 「苦いことばの矢」

「その一言」がすべてを壊す。少し言いすぎたかなと感じた時、相手はしばらく前から耳をふさいでいるものだ。「苦いことばの矢」は、無意識のうちに放たれて、相手の心を深く射ぬく。隠れたところから「苦いことばの矢」を射かけないためには、相手への思いやりに導かれなければならない。思いやりが、ことばの適切な分量を教えてくれる。そして、沈黙すべき時にことばをひかえるやさしさを教えてくれる。

(心のデボーション4682)

心のデボーション4683

「ヱホバはわが巌 わが城 われをすくふ者 わがよりたのむ神 わが堅固なるいはほ わが盾 わがすくひの角 わがたかき櫓なり」 詩篇18:2  明治元訳聖書

「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」 口語訳聖書

 「敵より遥かに残酷な友人」

イソップ寓話の海に棲む「カワセミ」は人間を恐れて磯辺の岩に巣をつくる。海に突き出た岩に巣を作ったが、カワセミが海に餌を漁りに出かけた後に、激しい海波が岩を洗って巣をさらってしまった。イソップは「こういうように人間でもある人々は敵を避けながら、知らず識らず敵より遥かに残酷な友人の手に降りるものだ」と言う。(「イソップ寓話集」28 山本光雄訳 岩波書店1942/2)

(心のデボーション4683)

心のデボーション4684

「われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず、」 Ⅱコリント4:8  大正文語訳聖書

「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。」 口語訳聖書

 「望みを失わず」

悩む人は、意外と簡単にあきらめてしまうものだ。もうだめだと自分を追いつめておきながら、だめに導いたやり方をなおも繰り返して、ますます身動き取れなくしてしまう。四方八方をがんじがらめに取り囲まれても、なお、上を見上げることはできる。変化しないなら、何もしないでほっておくのもひとつの方法である。そのうち状況の方から変化してくるかもしれない。どんな状況にも、「方法はまだある」。

(心のデボーション4684)

心のデボーション4685

「銀の如くこれを探り 秘れたる寳の如くこれを尋ねば」 箴言2:4  明治元訳聖書

「銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、」 口語訳聖書

 「神に対する正しき目的」

「如何なる原因により生じ来るとも、外よりする幻想に汝混乱せられるな。只堅固に汝の決心と、及び神に対する正しき目的とを確守せよ」。(アケンピス「基督のまねび」内村達三郎訳 春秋社昭和21年2月) 神から来る「正しい目的」を「「銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるなら」、人はいかなる「外よりする幻想」に混乱せられることがない。

(心のデボーション4685)

心のデボーション4686

「かくしてキリストに事ふる者は神に悦ばれ、人々に善しとせらるるなり。」 ロマ14:18  大正文語訳聖書

「こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。」 口語訳聖聖書

 「オテル・デュー」

「Hôtel-Dieu(オテル・デュー)」は中世ヨーロッパに創設された施療院である。語源は「ラテン語で「もてなしをする人」を意味するhospes、hospitis+Dieu 「神のこと」から「神の宿」と訳される。教会に付属して建設され、巡礼者や貧者に無料で医療と宿泊が提供された。修道女たちが午前3時半に起床し、治療と救助を必要とする人々のために献身的な奉仕をした。「Hôtel-Dieu(オテル・デュー)」はキリストの愛が行為される修行の場であった。

(心のデボーション4686)

心のデボーション4687

「偖その育てられ給ひし處のナザレに到り、例のごとく安息日に會堂に入りて、聖書を讀まんとて立ち給ひしに、」 ルカ4:16  大正文語訳聖書

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。」 口語訳聖書

 「一年に一メートル」

子どもと母親は、一年に一メートルずつ離れていければいいのだそうである。最初の一年はゼロメートル、一才で一メートル、二才で二メートル、母親から離れて行動できればよい。その後は、子どもがどんどん距離を離していく。母親があまりに早い時期に距離をかせごうとするところから問題の子どもができるのかもしれない。この中で一番大切なのは、最初のゼロメートルの時期である。

(心のデボーション4687)

心のデボーション4688

「おのが恥を湧き出す海のあらき波、さまよふ星なり。彼らの爲に暗き闇、とこしへに蓄へ置かれたり。」 ユダ1:13  大正文語訳聖書

「自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。」口語訳聖書

 「海の泡」

愛もなく不敬虔に人の心を搔き乱す者は、実は「自分の恥をあわにして出す海の荒波」である。彼が内に深く隠す恥は、海の底をかき混ぜ、湧き上がる泡となる。

(心のデボーション4688)

心のデボーション4689

「なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然するにあらずや」 マタイ5:46 大正文語訳聖書

「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。」 口語訳聖書

 「神の愛」

神は「報いμισθός(報酬、支払い)を期待して私を愛されるのではない。母鳥が雛を抱くように、愛の翼で私を覆われるのである。

(心のデボーション4689)

心のデボーション4690

「われ振反りて我に語る聲を見んとし、振反り見れば七つの金の燈臺あり。」 黙示1:12  大正文語訳聖書

「そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。」 口語訳聖書

 「ふりむく」

ヨハネは「主の日に御霊に感じ、うしろの方で、ラッパのような大きな声がする」のを聞き、「その声を見ようとしてふりむいた」。「見るβλέπω」は「見分ける、分かる」で、「ふりかえるἐπιστρέφω」は「向きなおす、本来あるべき方に心を向ける」の意。神のことばを聞いたら、それを「見分けようとして、〔再び〕向き直る」ことが必要である。

(心のデボーション4690)

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