心のデボーション4661
「かくてヘロデ、ヨハネを殺さんと思へど、群衆を懼れたり。群衆ヨハネを預言者とすればなり。」 マタイ14:5 大正文語訳聖書
「そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。」 口語訳聖書
「恐れ」
国主ヘロデは自分を告発するバプテスマのヨハネを殺そうと欲したが、ユダヤの民衆と、民衆が認める預言者を恐れた。「恐れるφοβέομαι」を明治元訳聖書や大正文語訳聖書は「懼(おそれ)」をあてる。漢字「懼」は「鳥がおそれて目をキョロキョロさせてあたりを見回す」ことを指す。ヘロデの目は「懼れ」により落ちつかず、意志に反してヨハネの首を切り落とすも、イエスに「ヨハネの亡霊」を重ね見て怯える。
「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」(箴言29:25)
(心のデボーション4661)
心のデボーション4662
「さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり。」 マタイ6:2 大正文語訳聖書
「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」 口語訳聖書
「銀のラッパ」
偽善者が人のみているところで施しをするのは「自分の前でラッパを吹く」ようなもの。モーセは、人を集めたり、戦闘の合図のために「銀のラッパ」を作らせた。(民数記10:2) 偽善者は、群集の中で「銀のラッパ」を吹き、それからおもむろに施しをする。しかし、人の気配のない「荒野」でも、ラッパが吹き鳴らされるのを聞くことがある。人を集めるのでも、戦闘がはじまるのでもなく、ただ、ラッパの音だけが長くいつまでも響くのである。(マタイ6:2)
(心のデボーション4662)
心のデボーション4663
「虚偽の口を汝より棄さり 惡き口唇を汝より遠くはなせ」 箴言4:24 明治元訳聖書
「曲った言葉をあなたから捨てさり、よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。」 口語訳聖書
「魂の病院」
スイスの「聖ガレン修道院Sankt Gallen」の図書館は720年につくられ18万冊の貴重な蔵書をもち、現在も収集され、スイス最大の文献数をもつ図書館となっている。図書館の入口上部には「魂の病院」を意味する「ψΥXHΣ IATPEION」のプレートが掲げられている。特別に古く価値のあるものを除けば、ほとんどの本が申請すれば閲覧室でみることができるという。ことばの欠損は魂を病めしむ。
(心のデボーション4663)
心のデボーション4664
「このことは誰がおこなひしや たが成しや たが太初より世々の人をよびいだししや われヱホバなり 我ははじめなり終なり」 イザヤ41:4 明治元訳聖書
「だれがこの事を行ったか、なしたか。だれが初めから世々の人々を呼び出したか。主なるわたしは初めであって、また終りと共にあり、わたしがそれだ。」 口語訳聖書
「中間」
神は「初め」であり、「終わりとともに」ある。人はいつもその中間にいることができる。中間では、確実なものは一つもない。しかし、「神は終わりとともにある」ということばが、人を導く。この歩みは、ものごとの「初め」から出発して「終わり」に向かうというよりも、「終わり」から出発して「初め」に向かっているような気がする。
(心のデボーション4664)
心のデボーション4665
「試錬に耐ふる者は幸福なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に、約束し給ひし生命の冠冕を受くべければなり。」 ヤコブ1:12 大正文語訳聖書
「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」 口語訳聖書
「耐え忍ぶ」
「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである」。(ヤコブ1:12) 「耐え忍ぶὑπομένω」は「ὑπό 下に+μένωとどまる」からなり、「踏みとどまる、持ちこたえる」の意。「試練」の下に踏みとどまる者に「いのちの冠」が与えられる。
(心のデボーション4665)
心のデボーション4666
「汝らの受くべき恩惠を預言したる預言者たちは、この救につきて具に尋ね査べたり。」 Ⅰペテロ1:10 大正文語訳聖書
「この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。」 口語訳聖書
「つふさに調べる」
預言者は自ら預言したことばについて「たずね求め、かつ、つぶさに調べた」。(Ⅰペテロ1:10) 「つふさに調べるἐξεραυνάω」は「丹念に調べる」で「調査し、探索する」ことである。神のことばを「つふさに調べよἐξεραυνάω」。その業が空しく終わることは決してない。
(心のデボーション4666)
心のデボーション4667
「勞する者はその食ふところは多きも少きも快く睡るなり 然れども富者はその貨財の多きがために睡ることを得せず」 伝道5:12 明治元訳聖書
「働く者は食べることが少なくても多くても、快く眠る。しかし飽き足りるほどの富は、彼に眠ることをゆるさない。」 口語訳聖書
「ここちよい眠り」
この場合、「働く者」とは労働で体を酷使する人のことである。昼間の労働で体を使うことが睡眠の質をよくする。これに対して、「富む者」はもてるものへの気づかいがストレスになって、安眠を妨げられる。床に入ったら一分もしないうちに眠れる人は、何が不足していても感謝すべきである。眠れない夜は、眠らなければと焦らないことだ。眠りは眠りを忘れた時やって来る。
(心のデボーション4667)
心のデボーション4668
「かくて汝らは我らの主なる救主イエス・キリストの永遠の國に入る恩惠を豐に與へられん。」 Ⅱペテロ1:11 大正文語訳聖書
「こうして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。」 口語訳聖書
「天の御国の福音」
主は「主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵み」を豊かに与え給う。(Ⅱペテロ1:11) 「御国Βασιλεία」は「統治、支配、主権、王国」の意。救主イエス・キリストによる「永遠の御支配」に入る恵みである。
(心のデボーション4668)
心のデボーション4669
「なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然するにあらずや」 マタイ5:46 大正文語訳聖書
「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。」 口語訳聖書
「愛の報い」
「自分に好意をもつ人を愛する」のは、すでにその「報いμισθός(労賃、賃銀、報酬、報い)」の支払いを受けている。「報いμισθός」の支払いのないところでこそ愛はよく行為する。
(心のデボーション4669)
心のデボーション4670
「『われ彼を知る』と言ひて其の誡命を守らぬ者は僞者にして眞理その衷になし」 Ⅰヨハネ2:4 大正文語訳聖書
「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。」 口語訳聖書
「イエスを知る」
主イエスを「知っている」と言いながら、「その戒め〔ことば〕を守らない者は「偽り者であって、真理はその人のうちにない」。(Ⅰヨハネ2:4) 「イエスを知るἔγνωκα αὐτόν」は「イエスと知り合う、イエスのなかに生きること」である。
(心のデボーション4670)
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