心のデボーション4651
「汝また此民にヱホバかくいふと語るべし視よわれ生命の道と死の道を汝らの前に置く」 エレミヤ21:8 明治元訳聖書
「あなたはまたこの民に言いなさい、『主はこう仰せられる、見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く。』」 口語訳聖書
「命の道」
神は常に、わたしの目の前に「命の道と死の道」を置かれ、「選べ」と言われる。「命の道」を選ばない者があろうか? わたしは死の床にあっても、「命の道」を選ぶ。それが神が人に吹き込まれた「いのちの息」だからである。
(心のデボーション4651)
心のデボーション4652
「汝もし我儕とともに往ばヱホバの我儕に降したまふところの福祉を我儕また汝にもおよぼさん」 民数記10:32 明治元訳聖書
「もしあなたが一緒においでくださるなら、主がわたしたちに賜わる幸福をあなたにも及ぼしましょう」 口語訳聖書
「あなたのおしあわせを祈ります」
黒柳徹子さんがマドラスの小児科病棟で十才くらいの、いま死のうとしている男の子に出会ったとのことである。黒柳さんは日本語で「がんばって、生きようとしてね」と言った。すると破傷風で喉も口も舌も、筋肉が硬直してものの言えないその子が懸命に声を出そうとした。何と言おうとしているのか看護師に聞くと、あの子は「あなたのおしあわせを祈っています」と言っているという答だった。これほど美しい祈りを私は知らない。
(心のデボーション4652)
心のデボーション4653
「なんぢの承諾を經ずして斯くするを好まざりき、是なんぢの善の止むを得ざるに出でずして心より出でんことを欲したればなり。」 ピレモン1:14 大正文語訳聖書
「しかし、わたしは、あなたの承諾なしには何もしたくない。あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。」 口語訳聖書
「強制されたよき行い」
「強制されてἀνάγκη」行う「良き行い」は実を結ばない。ἀνάγκηは「どうしてもそうしなければならなくて為す行為」で「責め苦」の意味もある。善き行いは「苦しみつつ」なされるものではない。
(心のデボーション4653)
心のデボーション4654
「望を得ること遅きときは心を疾しめ 願ふ所旣にとぐるときは生命の樹を得たるがごとし」 箴言13:12 明治元訳聖書
「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。」 口語訳聖書
「いのちの木」
自分が何をしたいのかわからないという人は、期待が大きすぎるのかもしれない。箴言は「期待が長びくと心は病む」と語る。求めるからしがみつきたくなり、しがみつくからよけいに不安になる。望みは手放せば、望みの方から近寄ってくる。つまり、何をしたいかわからないままに、何かをしていれば、望みがかなうということである。何をしたいかわからない時にも、「いのちの木」は育つ。
(心のデボーション4654)
心のデボーション4655
「而して汝これらを袍のごとく疊み給はん、 これらは衣のごとく變らん。 されど汝はかはり給ふことなく 汝の齡は終らざるなり』 と言ひたまふ。」 へブル1:12 大正文語訳聖書
「それらをあなたは、外套のように巻かれる。これらのものは、衣のように変るが、/あなたは、いつも変ることがなく、/あなたのよわいは、尽きることがない」/とも言われている。」 口語訳聖書
「天と地を創られた神」
地は「外套のように巻かれ(ἑλίσσω)」(へブル1:12)、天は「巻物が巻かれる(ἑλίσσω)ように消えていき」(黙示6:14)、「これらのものは滅びてしまう」。(へブル1:11) しかし、「あなた〔天と地を創られた神〕は、いつも変ることがなく、/あなた〔創造の神の〕のよわいは、尽きることがない」。(へブル1:12)
(心のデボーション4655)
心のデボーション4656
「言語(ことば)を出して時に適うはいかに善(よ)からずや」 箴言 15:23 明治元訳聖書
「人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。」 口語訳聖書
「時にかなう」
「彼は時が来るまで、言葉を秘めておく。/そのうち、多くの人々の唇が彼の分別を語るようになる。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:24 聖書協会共同訳聖書) 知恵ある人は「時が来るまで、言葉を秘めておく」、しかし、何時までもではない。その人は「時」を知るからである。「時」を知らない人には過去も未来も見えず、現在だけがある。そして、その口に「ことば」がない。
(心のデボーション4656)
心のデボーション4657
「我は全し 然ども我はわが心を知ず 我生命を賤む」 ヨブ9:21 明治元訳聖書
「わたしは罪がない、しかしわたしは自分を知らない。わたしは自分の命をいとう。」 口語訳聖書
「私は潔白だ」
少年による驚くべき犯罪が続く。「私は潔白だ。しかし、私には自分自身がわからない」というヨブのことばと少年の叫びが重なって聞こえる。その根底にあるのは「神は潔白な者をも悪者をも共に滅ぼされる」という無意味感であろう。ヨブもそんな自分の「いのちをいとう」という。しかし、人を殺めることが自分を確認する唯一の手段として残されてしまうところが少年とヨブの違いかもしれない。ヨブは意味を問うことをやめない
(心のデボーション4657)
心のデボーション4658
「われ聲をあげてヱホバによばはればその聖山より我にこたへたまふ」セラ 詩篇3:4 明治元訳聖書
「わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。」〔セラ〕 口語訳聖書
「孤独になれる所」
人があまりに密接に集まる閉鎖的空間では、人間関係はむしろ親密さを失い自閉的傾向が強まる。過密を避けて孤独になれるところがあるとよい。神に出合うのは、そのような所だ。
(心のデボーション4658)
心のデボーション4659
「これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」 マタイ5:45 大正文語訳聖書
「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」 口語訳聖書
「子となる」
「子となる γίνομαι」は、子としての「存在を始める、生まれる、~とされる」こと。「敵を愛し、迫害する者のために祈る」者の内に「神の子」たる存在がはじまる。
(心のデボーション4659)
心のデボーション4660
「妬と黨派心とある所には亂と各樣の惡しき業とあればなり。」 ヤコブ3:16 大正文語訳聖書
「ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。」 口語訳聖書
「混乱」
イソップ寓話のある漁師が川をせき止め、網をはり、石を投げて漁をした。水が濁り、困った村人が漁師を咎めると、漁師は「川の水を濁さなければ私は餓えて死んでしまう」と言う。イソップは「国家の扇動家たちは、その祖国を搔き乱すとき、そういう風なことをやるものです」と結ぶ。(「イソップ寓話集」27 山本光雄訳 岩波書店1942/2)混乱は、意図的に起こされることもある。
(心のデボーション4660)
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