心のデボーション463

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心のデボーション4621

「なんぢら知らぬか、己を献げ僕となりて、誰に從ふとも其の僕たることを。或は罪の僕となりて死に至り、或は從順の僕となりて義に至る。」 ロマ6:16  大正文語訳聖書

「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。」 口語訳聖書

 「従順」

「あまり従順すぎるということで人々を責めなければならない場合も、珍しくない。それは、不信仰と同様に。自然な悪徳で、同じように危険である」。(パスカル「パンセ」254 前田陽一・由木康訳 中央公論社1973より)

「従順ὑπακοη」はὑπακούω「耳を傾ける」からきており、「主に耳を傾ける、聞き入る」である。聞くことをせずに従う者は、「不信仰と同様に、自然な悪徳で危険な、「死に至る罪の僕」である。

(心のデボーション4621)

心のデボーション4622

「この故にわれらヱホバをしるべし切にヱホバを知ることを求むべしヱホバは晨光(あしたのひかり)のごとく必ずあらはれいで雨のごとくわれらにのぞみ後の雨のごとく地をうるほし給ふ」 ホセア6:3 明治元訳聖書

「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。口語訳聖書

 「知らん顔」

どんな時にも「自分にはわからないことがある」と思えることが気づきをおこす。わからないことは無理に知ろうとしないことだ。わからないことをが含んだ状況こそが、未知の新しい経験に導いてくれるからである。それは「主を知る」ことと矛盾しない。「自分にはわからないことがある」と知る人だけが「主を知る」。「わからないこと」は、いつかそちらから近づいてくる。それまでは「知らん顔」をしていたらよい。

(心のデボーション4622)

心のデボーション4623

「イエス寂しき處に退きて祈り給ふ」 ルカ5:16  大正文語訳聖書

「しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。」 口語訳聖書

 「砂漠の修屋」

「修道僧」を意味するギリシャ語μοναχόςは元来「単独の」の意からきている。彼らの多くは、内的静寂を求めて単身で砂漠につくられた修屋(独房)にこもり、祈りの生活をおくった。ひとりになって神のまえに立つ場が「砂漠の修屋」である。

(心のデボーション4623)

心のデボーション4624

「その子女みな起てかれを慰むれどもその慰謝をうけずして我は哀きつつ陰府にくだりて我子のもとにゆかんといふ斯その父かれのために哭ぬ」 創世記37:35  明治元訳聖書

「子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。」 口語訳聖書

 「慰めを拒む」

兄弟たちがヨセフをミデヤンの商人に売り、父ヤコブには野獣にかみ殺されたと偽りの報告をした時、ヤコブは着物を引き裂いて悲しむ。子どもが死んでいく時、両親は「慰められるのを拒み」泣く。この時両親は、不幸にして死んだ子どもと同一化して、自分に厳しい罪意識をもちやすい。子どもは、短くても歩むべき道のりを終えて逝ったのだ。両親の罪ではない。わが子の短い人生の意味を知って、人に伝えることが残された者の務めではないか。

(心のデボーション4624)

心のデボーション4625

「この故に、天國はその家來どもと計算をなさんとする王のごとし。」 マタイ18:23  大正文語訳聖書

「それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。」 口語訳聖書

 「カレンダー」

「カレンダーcalendar」はラテン語calendariumカレンダリウム「帳簿」とcalendaeカレンダエ「月初」から来ている。Calendaeはcalo「叫ぶ」からきて、古代ローマでは新月から初めての月が見えると「月が見えた」と叫んで知らせ、その日を税金の支払いや借金の清算日とした。その際に使われる帳簿がcalendariumである。初代ローマ皇帝アウグストゥス(在位BC27年—AD14年)はcalendariumを暦法に転用し、普及させたところからカレンダーが生まれた。新し日は決算とともに始まる。

(心のデボーション4625)

心のデボーション4626

「我らは、凡ての事を御意の思慮のままに行ひたまふ者の御旨によりて預じめ定められ、キリストに在りて神の産業とせられたり。」 エペソ1:11  大正文語訳聖書

「わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。」 口語訳聖書

 「主の目的の下に」

「目的」と訳されるギリシャ語はπρόθεσιςで、「供えのパン」の意であり、「目的、計画」の意味を併せ持つ語である。「供えのパン」は幕屋の前室におかれた種なしパンで、出エジプトを記念して神の前に供えたパンで、祭司だけが食べることがゆるされた。(Ⅰサムエル21:4) 人は目標なくしては生きない。人は神の御計画に存在の意味と目標を見出し、救いのパンにより、その道を終わりまで進む力を得る。

(心のデボーション4626)

心のデボーション4627

「この故に我らはキリストの教の初歩に止ることなく、再び死にたる行爲の悔改と神に對する信仰との基、」 へブル6:1  大正文語訳聖書

「そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、」 口語訳聖書

 「成熟を目ざして」

聖書で「完成」は「成熟τελειωτής」を意味し、「終わりに達する」で、ひとつをなし終えることである。ということは、そこに到達することは決してないということになる。人に許されるのは、ただ「成熟を目ざして進む」のみだからである。自分の未熟を知ることが「成熟に向かう未知」で、未だ「終わり」に達していない、だから、うれしい。

(心のデボーション4627)

心のデボーション4628

「バルナバはマルコと稱ふるヨハネを伴はんと望み、」 使徒15:37  大正文語訳聖書

「そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた」 口語訳聖書

 「小さく変わる」

悪い所を一度にすべて取り除こうとしないこと。変わる前の自分と変わってからの自分をうまく繋ぐことが出来ないと心は不安になる。マルコにはバルナバという心の良き理解者がいた。「成長させて下さるのは、神である」。(Ⅰコリント3:6)

(心のデボーション4628)

心のデボーション4629

「これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」 マタイ5:45 大正文語訳聖書

「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」 口語訳聖書

 「同じ恵み」

神が「正しき者にも正しくない者にも」太陽を昇らせ、雨を降らせられるのならば、神の子は「正しき者も正しくない者も」同じ恵みの下に居ることを認めなければならない。それは不公平ではなく公平である。他の人が自分より恵まれていることを厭うのは嫉妬である。

(心のデボーション4629)

心のデボーション4630

「われ汝らと偕に在りし時、これらの事を告げしを汝ら憶えぬか」 Ⅱテサロニケ2:5  大正文語訳聖書

「わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。」 口語訳聖書

 「思い出す」

「思い出すμνημονεύω」は「心にとめる、忘れずに覚えておく」の意。繰り返し語られたことは「忘れずに覚える」必要がある。そうしなければ、どのような恵みも、直に忘れてしまうものだ。

(心のデボーション4630)

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