心のデボーション462

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心のデボーション4611

「王者いくさびと多をもて救をえず勇士ちから大なるをもて助をえざるなり」 詩篇33:16  明治元訳聖書

「王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。」 口語訳聖書

 「陶片追放」

「貝殻追放」はギリシャ語オストラキモスὀστρακισμόςの誤訳で、正しくは「陶片追放」とされる。古代アテネで僭主の出現を妨げるために、市民が陶片στρακονに僭主になる恐れのある人物の名を書いて投票し、国外追放とした制度にその名がつけられたものである。追放されるのは、その名を書かれた最多得票者一人だけで、追放期間は10年と定められ、その後は帰還が認められたことから、アテネの時代には平和を保つために有効な手段とされた。

(心のデボーション4611)

心のデボーション4612

「憤ほり易きものは爭端をおこし 怒をおそくする者は爭端をとどむ」 箴言15:18  明治元訳聖書

「憤りやすい者は争いをおこし、怒りをおそくする者は争いをとどめる。」 口語訳聖書

 「きちんと聞く」

相手への不満をきちんと伝えられるのが本当の関係である。それには、まず、自分への不満をきちんと聞けるようになることだ。それは「相手に感じられている自分」というものとの新しい出会いである。そのようにして、自分の知らない自分と出会いながら、私たちは「相手」と出会っている。不思議なことに、相手への不満の大半は、そのところで消えている。「怒りを遅くする」ことができたのか。

(心のデボーション4612)

心のデボーション4613

「王の榮は民の多きにあり 牧伯の衰敗は民を失ふにあり」 箴言14:28  明治元訳聖書

「王の栄えは民の多いことにあり、君の滅びは民を失うことにある。」 口語訳聖書

 「デモクラシー」

「デモクラシー(民主主義)」の語源は、ギリシャ語 δημοκρατίαである。δημοκρατίαは「δῆμος民衆、人民+κράτος権力」で市民、もしくは市民によって選ばれた代表により、市民としての義務を果たす、市民に開かれた統治形態である。民主主義の対義語は権威主義である。

(心のデボーション4613)

心のデボーション4614

「録して 『視よ、我つまづく石さまたぐる岩をシオンに置く、 之に依頼む者は辱しめられじ』 とあるが如し。」 ロマ9:33  大正文語訳聖書

「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」と書いてあるとおりである。」 口語訳聖書

 「つまずきの石」

キリストはここで、「つまずきの石、妨げの岩」と呼ばれる。キリストに従う人は、どこかでキリストにつまずくのではないか。つまずいてはじめて、人は自分が、自らの力や行為によって生きるのではなく、愛によって生かされている存在であることを知る。キリストは「つまずきの石λίθον προσκόμματος」であると同時に、「御霊の岩」である。(Ⅱコリント10:4) つまずきの痛みは、「御霊の岩」から飲むことによって癒される。

(心のデボーション4614)

心のデボーション4615

「我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシヤ人にも、凡て信ずる者に救を得さする神の力たればなり。」 ロマ1:16  大正文語訳聖書

「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」 口語訳聖書

 「きまり悪さ」

「わたしは福音を恥としない」。(ロマ1:16) 明治元訳聖書「我は福音を耻とせず」。「耻」は「恥」であり、「心+耳」で、「耳(柔らかい部分)」から「心がやわらかくいじける」の意。福音を伝えることの戸惑いは、福音の力を自己に閉じ込める「きまり悪さ」からくるのかもしれない。

(心のデボーション4615)

心のデボーション4616

「此の世の淫行の者、または貪欲のもの、奪ふ者、または偶像を拜む者と更に交るなと言ふにあらず(もし然せば世を離れざるを得ず)」 Ⅰコリント5:10  大正文語訳聖書

「それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。」 口語訳聖書

 「略奪」

「略奪する者」と完全に交際を断つことはできない。この世に「略奪者」はそれほどに多いからである。日本人は「略奪者」を疑うことを知らず、彼らの思うがままに犠牲者になる。聖書は「略奪者とは、交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない」と教える。(Ⅰコリント5:11) 「略奪者ἅρπαξ 」は「熱望する者、泥棒」である。

(心のデボーション4616)

心のデボーション4617

「カインと其供物をば眷み給はざりしかばカイン甚だ怒り且其面をふせたり」 創世4:5  明治元訳聖書

「しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」 口語訳聖書

 「カイン・コンプレックス」

聖書で最初の殺人はカインとアベルの兄弟間でおきたことから、心理学者ユングは、兄弟間に生じる強い敵対感情を「カイン・コンプレックスCain Complex」と呼んだ。二人の兄弟のうち弟が兄よりも優れているような場合、兄は絶えず年下の弟と比較されることから劣等感を強化され、危険な兄弟関係を形成することがある。この場合、兄弟間の敵対感情だけでなく、家族という複合的な人間関係の全体的な構図をみる必要がある。兄弟の中で特定の一人を「変わった子」として扱うことで、他の子を「いい子」にする危険はどの家庭にもある。

(心のデボーション4617)

心のデボーション4618

「我なんぢらを遣して孤兒とはせず、汝らに來るなり」 ヨハネ14:18  大正文語訳聖書

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。」 口語訳聖書

 「神の関心」

「愛」の対義語は「憎しみ」ではなく「無関心」であるという。神は決してあなたに無関心ではおられない。神が関心をむけられるところを深く掘れ。

(心のデボーション4618)

心のデボーション4619

「されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」 マタイ5:44 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」 口語訳聖書

 「剣(つるぎ)なき世」

たちあがれいざ主のつわもの みはたはたかく 見よ上がれり
あたの息の根 絶やすまでは 先立ちたまわん 主なるイエスは  (聖歌303番)

子どもの頃から親しんだ、聖歌303番は、考えてみれば怖い賛美歌である。イエスが「仇を息の根を絶やす戦い」に先立たれることは決してないからだ。そこで、次のように変えてみたらいかがなものであろうか。

たちあがれいざ主のつわもの みはたはたかく 見よ上がれり
剣(つるぎ)なき世の 来(きた)りますまで 先立ちたまわん 主なるイエスは

(心のデボーション4619)

心のデボーション4620

「ヱホバよわれ知る人の途は自己によらず且歩行む人は自らその歩履を定むること能はざるなり」 エレミヤ10:23 明治元訳聖書

「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」 口語訳聖書

 「人生の地図」

リビングバイブルは本節を「神様。人は自分の力で人生の地図をつくり、進路を決めることはできないことを、私は知っています」と訳す。神は人をその人生の地図とともに創造され、その進路を備えられる。

(心のデボーション4620)

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