心のデボーション461

デボーション1
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心のデボーション4601

「さらば如何、外貌にもあれ、眞にもあれ、孰も宣ぶる所はキリストなれば、我これを喜ぶ、また之を喜ばん」 ピリピ1:18  大正文語訳聖書

「すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう。」 口語訳聖書

 「互に交わりをもち」

初代教会にも様々な信仰の形がうまれ、立場の異なる者達の間に対立があった。しかし、パウロは「見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのがキリストであるなら」、「わたしはそれを喜ぶ」という。(ピリピ1:18) キリストが正しく受け入れられ、正しく伝えられるところには、立場の違いはあっても「対立」はない。「神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」。(Ⅰヨハネ1:7)

(心のデボーション4601)

心のデボーション4602

「われ艱難のうちにヱホバをよびまたわが神に龥れりヱホバ其殿よりわが聲をききたまひわが喊呼其耳にいりぬ」 Ⅱサムエル22:7  明治元訳聖書

「苦難のうちにわたしは主を呼び、またわが神に呼ばわった。主がその宮からわたしの声を聞かれて、わたしの叫びはその耳にとどいた。」 口語訳聖書

 「底まで沈め」

川でおぼれたら「底まで沈め」と言われる。いたずらに浮き上がろうとすると舟にぶつかってかえって危ない、ここが川底と思ったら思いっきり蹴れば水面に浮かび上がって助かるというのである。苦しい時は自分を追いつめることです。その叫びは必ず主に届きます。ただ、主のみ声を聞いたら「一蹴り」を忘れないこと。浮かび上がるタイミングを誤ると、底に沈んだままになりかねない。足が何かに触れたら、そこが「底」だ。まだ、「底」があると、「底」を目指して沈んだりしてはならない。

(心のデボーション4602)

心のデボーション4603

「而して彼はその體なる教會の首なり、彼は始にして死人の中より最先に生れ給ひし者なり。これ凡ての事に就きて長とならん爲なり。」 コロサイ1:18  大正文語訳聖書

「そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。」 口語訳聖書

 「最初の者」

キリストは「すべてのことにおいて第一の者ἐν πᾶσιν αὐτὸς πρωτεύων」である。(コロサイ1:18) 「第一の者πρωτεύω」は「第一位をしめる者」、十字架の死からよみがえられた「最初の者」であり、「すべてのいのちの最初に置かれる者」である。

(心のデボーション4603)

心のデボーション4604

「この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。」 マタイ6:34  大正文語訳聖書

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」 口語訳聖書

 「悲しみの先取り」

やがて、もっと悲しい経験が来る、しかもそれを避けることはできないという場合もある。先取りされた悲しみは、耐えがたくふくらむ。そして、予想される悲しみのあまり、今の希望が押しつぶされる。悲しみは、先取りしてまでもつものではない。その日一日分だけ悲しめば充分だ。明日には、明日にしかできない悲しみがある。

悲しみはその日暮らしでよい。

(心のデボーション4604)

心のデボーション4605

「我らは汝らの知るごとく何時にても諂諛の言を用ひず、事によせて慳貪をなさず(神これを證し給ふ)」 Ⅰテサロニケ2:5  大正文語訳聖書

「わたしたちは、あなたがたが知っているように、決してへつらいの言葉を用いたこともなく、口実を設けて、むさぼったこともない。それは、神があかしして下さる。」 口語訳聖書

 「へつらいの言葉」

「へつらいの言葉ἐν λόγῳ κολακείας」。(Ⅰテサロニケ2:5) 「へつらいκολακεα」は「おべっかい、御機嫌取り」の意。相手に配慮して、耳に優しく語られる神のことばは、「いばらの中に蒔かれた種」のごとく、「世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばない」。(マタイ13:22)

(心のデボーション4605)

心のデボーション4606

「それ金を愛するは諸般の惡しき事の根なり、ある人々これを慕ひて信仰より迷ひ、さまざまの痛をもて自ら己を刺しとほせり。」 Ⅰテモテ6:10  大正文語訳聖書

「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」 口語訳聖書

 「貨幣(かね)こそは人」

鋳造貨幣で、発見された最古のものは紀元前670年、小アジア西岸のリディア王国で造られた「エレクロラム硬貨」である。その後、前7世紀中にアテネの南アイギナの島で銀貨がつくられ、他のポリスにひろまり、「貨幣(かね)こそは人」という格言がうまれた。聖書は「金銭を愛することは、すべての悪の根である」(Ⅰテモテ6:10)と教える。「金銭を愛する者φιλαργυρία」は「φιλία(愛を)追い求める+ἀργύριον銀、金銭」からなり、「金銭欲、貪欲」の意。「金銭を愛する者φιλαργυρία」は「信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおす」。

(心のデボーション4606)

心のデボーション4607

「凡そ人は各自おのれの善を誇る されど誰か忠信なる者に遇しぞ」 箴言20:6  明治元訳聖書

「自分は真実だという人が多い、しかし、だれが忠信な人に会うであろうか。」 口語訳聖書

 「親切」

親切をしたあとで、そっと周囲を見る。誰かが自分の親切に気づいてくれまいかというさもしさに、急にうろたえる。それにくらべれば、堂々と「自分の親切を吹聴する」人は、意外と素朴で良い人かもしれない。ふりかえりもしないで去って行けるのが本当の親切である。その人は、「親切をした」とも思っていない。

(心のデボーション4607)

心のデボーション4608

「我らは血肉と戰ふにあらず、政治・權威、この世の暗黒を掌どるもの、天の處にある惡の靈と戰ふなり。」 エペソ6:12  大正文語訳聖書

「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」 口語訳聖書

 「戦い」

スパルタの重装歩兵は長槍と盾を武器にして密集隊をくみ、敵に向かって整然と行動し、無敵の軍隊として恐れられた。戦いでは第一列で戦死する兵士に名誉が与えられた。しかし、その勇敢な兵士の多くは武器の大量生産により武器を買うことが可能になった農夫であった。

(心のデボーション4608)

心のデボーション4609

「されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」 マタイ5:44 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」 口語訳聖書

 「親しい敵」

「友」とは「親しい敵」である。「友」になるということは、「親しき敵」を愛することができるということである。「友と呼べない敵」をもってはいけない。

(心のデボーション4609)

心のデボーション4610

「老人には自ら制することと謹嚴と謹愼とを勸め、また信仰と愛と忍耐とに健全ならんことを勸めよ。」 テトス2:2  大正文語訳聖書

「老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、」 口語訳聖書

 「老人の経験」

「若者は空想と推論に明け暮れ、老人は経験に頼って生きるといわれる」。(バートラン・ラッセル『人生についての断章』みすず書房1979/2より) 老後に頼れる経験とは老後の現実に「空想と推論」を生み出して止まない経験であろう。

(心のデボーション4610)

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