心のデボーション460

デボーション1
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心のデボーション4591

「答へて言ひ給ふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」と録されたり』」 マタイ4:4  大正文語訳聖書

「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」 口語訳聖書

 「人はパンだけで」

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」。(マタイ4:4)ラゲ訳聖書は「パン」を「麪」と訳して「ぱん」と読ませる。「麪」は訓読み「むぎこ」で小麦粉を練ってつくる食材を意味し、日本では「うどん、そば」である。「人は麺だけで生きるものではなく」と読んでも差し支えない。山浦玄嗣訳ケセン語訳聖書は「人ァ飯(まんま)でばり生ぎるもんでァねァ」と訳す。

(心のデボーション4591)

心のデボーション4592

「なんぢら愼みをののきて罪ををかすなかれ 臥床にておのが心にかたりて默せ」 詩篇4:4  明治元訳聖書

「あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい」 口語訳聖書

 「思いわずらい」

フランシスコ会訳は「恐れおののけ、そして罪を犯すな」を「思いわずらうあまり罪を犯すな」と訳す。思いわずらいが消えることはない。しかし、思いわずらいや心配も、過ぎれば罪になる。神にも人にもより頼むことができないのが罪である。思いわずらいに気もふさぐ日には、床の上で「自分を調べ」「泣け」と聖書は語る。慰めを拒んではいけない。

(心のデボーション4592)

心のデボーション4593

「世は去り世は來る 地は永久に長存なり」 伝道1:4  明治元訳聖書

「世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。」 口語訳聖書

 「泳ぎを覚えたければ」

「泳ぎを覚えたければ、水に入るしかない」。(林秀彦『日本を捨てて、日本を知った』草思社1999.6より) その際入るべき「水」は「ぬるま湯」なのではなく、「汚れた激流」であるという。溺れないように、しかし大胆に入らねばならない。

(心のデボーション4593)

心のデボーション4594

「白髮の人の前には起あがるべしまた老人の身を敬ひ汝の神を畏るべし我はヱホバなり」 レビ19:32  明治元訳聖書

「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」 口語訳聖書

 「白髪の老人」

二世代同居の老人になぜか自殺が多いという。家族の中に自分の居場所が見つけられない。そうなると、一緒に暮らす人が多いことが、かえって老人をさみしい存在にする。「敬うτιμή 」には「重い、重んじる」という意味がある。しかし、人は年をとるにつれ、どんどん軽くなる。大切なことは、その軽さを哀しいものとしてではなく「重いもの」として敬う心である。

(心のデボーション4594)

心のデボーション4595

「ここにイエス弟子たちに言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて、我に從へ。』」 マタイ16:24  大正文語訳聖書

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」 口語訳聖書

 「自分より大切なもの」

自分よりも大切なものがある。それは「自分を捨てる」ところから現れてくる。その時、人は自分を忘れ、自分を無視している。「捨てるἀπαρνέομαι 」は「負う」ことである。つらいものであれ、それを自分として「負う」とき、自分というものが捨てられる。そのようにして、人は自分にいのちを見いだす。それが「自分より大切なもの」である。  

(心のデボーション4595)

心のデボーション4596

「一切のこと愛をもて行へ」 Ⅰコリント16:14  大正文語訳聖書

「いっさいのことを、愛をもって行いなさい。」 口語訳聖書

 「愛に高尚な者」

「愛に高尚な者は、すべての賜物の上に出で只我に於いてのみ安息する、そして賜物そのものに依頼することない」。(アケンピス「基督のまねび」内村達三郎訳 春秋社昭和21年2月より) 賜物を求めるよりも、自己を知ることを求めよ。

(心のデボーション4596)

心のデボーション4597

「われ新しき誡命を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。」 ヨハネ13:34  大正文語訳聖書

「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」 口語訳聖書

 「わが子のいやらしさ」

A子さんは自分の子どもの性格にがまんできないという。二才半になる娘は大人の顔色をうかがうようなところがあって、そのとき見せる目つきが子どもというよりも、いやらしい女のそれだという。しかし、A子さんが娘に感じる「いやらしさ」は、そういう女になりたくないというA子さんが、娘のなにげないしぐさのかに見ている自分自身の「いやらしさ」かもしれない。子育てがつらいのではなく、娘に自分自身を見るのがつらいのかもしれない。

(心のデボーション4597)

心のデボーション4598

「彼は萬の物より先にあり、萬の物は彼によりて保つことを得るなり。」 コロサイ1:17  大正文語訳聖書

「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。」 口語訳聖書

 「万物は彼にあって成り立つ」

「万物は彼〔御子〕にあって成り立っている」。(コロサイ1:17) 「成り立つσυνίστημι」は「一緒に立つ、存続する」の意。すべてのことは御子と一緒に成り立ち、存続する。

(心のデボーション4598)

心のデボーション4599

「『なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし』と云へることあるを汝等きけり」 マタイ5:43 大正文語訳聖書

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。」 口語訳聖書

 「隣人」

「わが隣とは誰なるか」と尋ねる律法の専門家に、イエスはよきサマリヤ人の例えを話され「汝いかに思ふか、此の三人のうち、孰(いづれ)か強盜にあひし者の隣(となり)となりしぞ」と問われた。(ルカ10:25-37)

「隣人πλησίον」とは「今助けを必要としている人」である。

(心のデボーション4599)

心のデボーション4600

「『なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし』と云へることあるを汝等きけり」 マタイ5:43 大正文語訳書

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。」 口語訳聖書

 「親しみ狎れる」

「勿論、私共はすべての人に愛を抱くべきである。けれども親しみ狎れるは宜しくない」。(アケンピス「基督のまねび」内村達三郎訳 春秋社昭和21年2月より)愛は「親しみ狎れる」と、しばしば人を傷つける。しかも自分が相手を損なっていることに気づかない。愛は礼儀深い。

(心のデボーション4600)

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