心のデボーション4581
「我らは此のキリストを傳へ、知慧を盡して凡ての人を訓戒し、凡ての人を教ふ。これ凡ての人をしてキリストに在り、全くなりて神の前に立つことを得しめん爲なり。」 コロサイ1:28 大正文語訳聖書
「わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。」 口語訳聖書
「キリストにある全き者」
「キリストにある全き者ἄνθρωπον τέλειον ἐν χριστῶ」。(コロサイ1:28) TEVは「a mature individual in union with Christ. (キリストと結びついた成熟した個人)」と訳す。英語individual(個人)は「in否定+dividuus分けられる」に由来し、「それ以上分けることができない」が原意である。キリストにあって(結びついて)、人は「完全な個人(完全な人、全き者τέλειος「成し遂げられた者、実現された者、成熟した者、成就した者」)」である。
(心のデボーション4581)
心のデボーション4582
「答へて言ひ給ふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」と録されたり』」 マタイ4:4 大正文語訳聖書
「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」 口語訳聖書
「ダイエット」
ダイエットという英語dietはギリシャ語δίαιτα「生き方、生活習慣」に由来する。ダイエットとは、正しくは「生き方を変える」ことである。神のことばに、どう自分をととのえ、生活のスタイルを変えていくかという視点を欠くと、ダイエットは食べるパンの量の問題になってしまう。
(心のデボーション4582)
心のデボーション4583
「光の結ぶ實はもろもろの善と正義と誠實となり」 エペソ5:9 大正文語訳聖書
「光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである」 口語訳聖書
「善意の押しつけ」
善意の人でありたい。しかし、押しつけられた善意ほど扱いにくいものはない。善良な人なのだが、思いこみが激しく、思い通りにいかないと不機嫌になるのが目に見えている。自分の思いを相手に伝えるには、その人のために自分の心を使うことだ。相手の心にある喜びや悲しみが感じられるようになれば、こちらの思いを押しつけなくても、相手はわかってくれるようになる。それでも、善意を押しつけられたら、黙って受け取るのも善意ではないか。
(心のデボーション4583)
心のデボーション4584
「なんぢの屋のゆたかなるによりてことごとく飽ことをえん なんぢはその歓樂のかはの水をかれらに飮しめたまはん」 詩篇36:8 明治元訳聖書
「あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。」 口語訳聖書
「楽しみの川の水」
詩人はエルサレムの神殿を「あなたの家」と呼び、その恵みの豊かさを「心ゆくまで飲む」。神のつくられたいのちの泉は詩人の心にある。そこから湧き上がる「楽しみの流れ」は、想像以上に力強く、そして、途絶えることがない。神の恵みは、岩からしたたり落ちる雫。飲むには、両手を差し出して、手に受けなければならない。この泉を荒らしたり、汚したりしないことだ。(箴言25:26「正しい者が悪い者の前に屈服するのは、井戸が濁ったよう、また泉がよごれたようなものだ」)
(心のデボーション4584)
心のデボーション4585
「見るものの目はくらまず 聞ものの耳はかたぶけきくをうべし」 イザヤ32:3 明治元訳聖書
「こうして、見る者の目は開かれ、聞く者の耳はよく聞き、」 口語訳聖書
「傾聴」
「聞く者の耳はよく聞き」。(イザヤ32:3) 漢字「聴」は「耳+𢛳(とく)」からなり、𢛳(真直ぐに)耳を傾けること。「聴くἀκούω」は「聞き従う」で、「真直ぐに耳を傾ける、傾聴」は「聞いて従う」の意である。
(心のデボーション4585)
心のデボーション4586
「汝らは價をもて買はれたる者なり、然らばその身をもて神の榮光を顯せ。」 Ⅰコリント6:20 大正文語訳聖書
「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」 口語訳聖書
「古代オリンピック」
古代オリンピアにおいて、「体育」はもともと「よりよき戦士」をつくることと結びつき、古代オリンピックには戦車競走、重装歩兵の競争などの種目があった。オリンピックの期間中は一切の戦争が禁止された。しかし、それは平和のためというよりも、強い戦士を育てる祭典をさまたげないための定めであり、祭典が終われば競技者はそれぞれの戦場に戻された。競技の勝利者に与えられたのはオリーブの冠だけだった。
(心のデボーション4586)
心のデボーション4587
「されば今萬軍のヱホバかく曰たまふ 汝等おのれの行爲を省察べし」 ハガイ1:5 明治元訳聖書
「それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。」 口語訳聖書
「現状をよく考えよ」
現実から逃げる一つの方法は、問題を単純化して、不都合なことの原因がすべてここにあると思いこむことであろう。この人さえいなければ、あのことさえ起こらなければすべてうまくいったのにと考えたりする。しかし、それは、現実を直視して、真の原因が自分にあると認めることからの逃避ではないか。少し距離を置くと、自分の現状が見えてくる。一歩をさがる心の静けさが、不都合なことにも向きあう力を与えてくれる。
(心のデボーション4587)
心のデボーション4588
「我らの先祖に憐憫を垂れ、その聖なる契約を思し、」 ルカ1:7 大正文語訳聖書
「こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、」 口語訳聖書
「よき祖父」
古代アテネの貴族政ポリスを担った貴族は自らをエウパトリダイεὐπατορίδαι「よき祖父をもつ者、高貴な家系」と呼んだ。「良き父祖」にふさわしくあってこそ、その名で呼ばれるに似つかわしい。
(心のデボーション4588)
心のデボーション4589
「なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな」 マタイ5:42 大正文語訳聖書
「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」 口語訳聖書
「与える」
「あなたから借りるδανείζω」は「(利息を払って)金を借りる」である。「利子を払うから貸して」と乞われて、貸さないことは罪だろうか? 今は、銀行に断られた人が、金を貸して欲しいとやってくる。彼は「利子を払う」こともできない人なのである。「貸す」というよりも「与える」ことができるのなら「貸せば」よい。それができないなら「貸すべき」ではない。それは「借りようとする者に、背を向ける」ことを意味するものではない。
(心のデボーション4589)
心のデボーション4590
「義者ませば民よろこび 惡きもの權を掌らば民かなしむ」 箴言29:2 明治元訳聖書
「正しい者が権力を得れば民は喜び、悪しき者が治めるとき、民はうめき苦しむ。」 口語訳聖書
「周辺の民」
スパルタでは被征服民はπερίοικοι「周辺の民」と呼ばれ、従軍の義務を負わされたが、完全な市民権は与えられず、通常は商工業に従事した。いつの時代にも軍事を支え、戦いの犠牲になったのはこのような下層民であった。
(心のデボーション4590)
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