心のデボーション457

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心のデボーション4561

「得に時あり失ふに時あり 保つに時あり棄るに時あり」 伝道3:6  明治元訳聖書

「捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、」 口語訳聖書

 「流転」

「持っているものがみな流れ去ってしまうのを感じるのは、恐ろしいことだ」(パスカル「パンセ」212 前田陽一・由木康訳 中央公論社1973) しかし、恐ろしいからと握りしめても無駄であろう。持っているものが流れ去るなら、そこにこれまで持てなかったものが流れ来る。

(心のデボーション4561)

心のデボーション4562

「世人はいかなるものなればこれを聖念にとめたまふや 人の子はいかなるものなればこれを顧みたまふや」 詩篇8:4 

「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」 口語訳聖書

 「意外なカップル」

いわゆる深窓の令嬢タイプの人が少し崩れた影のある男性に魅かれることは少なくない。「私がいないと、この人はだめになる」と本気で考える。こういう女性はだめな男性に、過保護に育てられた自分のあやうさを感じて近づくところがある。何とかしなければならないのは男性ではなく、彼女自身ではないか。人の役に立つということは、「私とは、何者なのでしょう」という問いへの答でなければならない。

(心のデボーション4562)

心のデボーション4563

「世と世の慾とは過ぎ往く、されど神の御意をおこなふ者は永遠に在るなり。」 Ⅰヨハネ2:17  大正文語訳聖書

「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」 口語訳聖書

 「土の中の金貨」

古代ローマの神殿は神々の永遠象徴するため半円形の巨大ドームが建設された。石組みのドームは土台から、その中を土で埋めながら、少しずつ積み上げて完成した。建築者はドームの中の土に金貨をばらまいて埋めておき、神殿の石組みが完成すると、だれでも、土を外に掻きだし、金貨は見つけた者のものに与えるとした。人々は進んで神殿の土を掻きだし、またたくまに神殿は完成されたという。(竹下節子『聖者の宇宙』青土社1998/7より) 「馬に人参」のような話ではある。

(心のデボーション4563)

心のデボーション4564

「泣く者は泣かぬが如く、喜ぶ者は喜ばぬが如く、買ふ者は有たぬが如く、」 Ⅰコリント7:30  大正文語訳聖書

「泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、」 口語訳聖書

 「金銭のある人」

聖書の「金銭φιλαργυρία」は「用いる」ということばからきている。「金銭」は使うためにあるものであった。だからといって、使うことはそのまま「用いる」ことになるのでもない。「金銭のある人は、ない人のように使え」というのが聖書の教えである。しかし、金銭のない人ほど、ある人のように使うところがあるので、単純に真似すると、とんでもないことになる。ケチにならず、用いすぎもしない、自分というものが試されるところである。

(心のデボーション4564)

心のデボーション4565

「是わが名に頼りて汝らがバプテスマを受けしと人の言ふ事なからん爲なり。」 Ⅰコリント1:15  大正文語訳聖書

「それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。」 口語訳聖書

 「イエス・キリストの福音」

コリントの教会に信仰の分派が起こり、誰からバプテスマを受けるかで対立が生じた。福音は伝える者の権威によらず、御霊によって伝えられたイエス・キリストの福音である。

(心のデボーション4565)

心のデボーション4566

「されど母の胎を出でしより我を選び別ち、その恩惠をもて召し給へる者」 ガラテヤ1:15  大正文語訳聖書

「ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、」 口語訳聖書

 「母の胎内にある時から」

「母の胎内にある時からἐκ κοιλίας μητρός μου」は「生まれ落ちた時から、まだ胎内にいる時に」。「恵みχάρις」は「受ける資格ない者に対する彼〔神〕の愛顧と祝福」(祥訳聖書)である。この祝福を受けないいのちはひとつもない。

(心のデボーション4566)

心のデボーション4567

「然るに彼はこれに言ふ汝の言ところは愚なる婦の言ところに似たり 我ら神より福祉を受るなれば災禍をも亦受ざるを得んやと 此事においてはヨブまつたくその唇をもて罪を犯さざりき」 ヨブ記2:10 明治元訳聖書

「しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。」 口語訳聖書

 「わざわいの中の幸い」

傘屋が「どうぞ明日は雨になって傘が売れますように」と祈る。するとその隣で靴屋が「明日は晴れになってお客がたくさん来ますように」と祈っている。雨が降って喜ぶ人もいれば、それでは困る人もいる。幸いとわざわいは背中合わせにやって来る。それは、幸いの中にあるわざわい、わざわいの中にある幸いに気づかせるためではないか。

(心のデボーション4567)

心のデボーション4568

「イエス答へて言ひ給ふ『なんぢら呟き合ふな、』」 ヨハネ6:43  大正文語訳聖書

「イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。」 口語訳聖書

 「つぶやき」

「つぶやくγογγύζω」は「ぶつぶつ言う」こと。陰に隠れて仲間を求める非難の一種。つぶやく人は、人に対してつぶやくのではなく、主につぶやくのであり、それは「罪」(民数記21:7)である。(出エジプト16:8)

(心のデボーション4568)

心のデボーション4569

「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」 マタイ5:39 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」 口語訳聖書

 「頬」

「頬」には右と左の二つがある。打つ者にも、打たれる者にもこの二つがある。打つ者には両方打つ誘惑となり、打たれる者には守るべき一つになる。いかに、打つ者の誘惑を鎮め、もう一つを守るか、そのためにイエスの「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」がある。

(心のデボーション4569)

心のデボーション4570

「絶えず汝らのために感謝し、わが祈のうちに汝らを憶え、」 エペソ1:16  大正文語訳聖書

「わたしの祈のたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝している。」 口語訳聖書

 「感謝が止まない」

「絶えずあなたがたのために感謝しているοὐ παύομαι εὐχαριστῶν ὑπὲρ ὑμῶν」は直訳「あなたがたのために感謝することを止めない」。「絶えずあなたがたのために感謝する」は「祈りのたびごとに、あなたがたのための感謝が止まない」である。

(心のデボーション4570)

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