心のデボーション455

デボーション1
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心のデボーション4541

「風逆ふに因りて、弟子たちの漕ぎ煩ふを見て、夜明の四時ごろ、海の上を歩み、その許に到りて、往き過ぎんとし給ふ。」 マルコ6:48  大正文語訳聖書

「ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。」 口語訳聖書

 「主に従う道」

弟子たちはイエスに強いられて舟に乗り、向こう岸に渡っていた。主に従う道は、時に私たちを嵐に巻き込む。しかし、主は決して起こり得ない方法で私たちに接近してこられ、事態を変えられる。

(心のデボーション4541)

心のデボーション4542

「婦の產む人はその日少なくして艱難多し」 ヨブ14:1  明治元訳聖書

「女から生れる人は日が短く、悩みに満ちている。」 口語訳聖書

 「日は長い」

ヨブは悩みの中で「日は短い」と訴える。心がかき乱されることでいっぱいで、時はむなしく過ぎていく。しかし、意味に気づけば、「日は短く」ても、なすべきことは多く、そのための「日は長い」と分かる。何が私の心をかき乱し、その耳に「日は短い」とささやくのだろうか。意味に気づけば、あの十字架につけられた強盗の一人のように、最後の五分間でキリストに出会うこともできる。

(心のデボーション4542)

心のデボーション4543

「日出で熱き風吹きて草を枯らせば、花落ちてその麗しき姿ほろぶ。富める者もまた斯くのごとく、その途の半にして己まづ消え失せん。」 ヤコブ1:11  大正文語訳聖書

「たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。」 口語訳聖書

 「手に何ものも持たぬ貧しき者」

「太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす」ように、ことの終わりは必ず来る。「富んでいる者」が愚かなのではない。彼は「旅半ば」に及んで、なお、「富める自己」のみに生き、「手に何ものも持たぬ貧しき者」たる自己を知しらないことである。人は自らが「手に何ものも持たぬ貧しき者」と知ってはじめて神を求めることを始める。

(心のデボーション4543)

心のデボーション4544

「わが世にあらん限りはかならず恩惠と憐憫とわれにそひきたらん 我はとこしへにヱホバの宮にすまん」 詩篇23:6  明治元訳聖書

「わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。」 口語訳聖書

 「めぐり峠」

甲州街道はけわしい山を通り、行けども行けども抜けられず、同じところをぐるぐる巡っているのではないかと思ってしまう難所があった。旅人は、そんな山道を「めぐり峠」と呼んだ。人生で「めぐり峠」にさしかかったら、先を急いで走り出したり、不安になって引き返したりしないことだ。「峠」は登り切れば、あとはだいたい下り道です。ここは「主が共におられる」と歌いながら歩く道である。

(心のデボーション4544)

心のデボーション4545

「汝らの受くべき恩惠を預言したる預言者たちは、この救につきて具に尋ね査べたり。」 Ⅰペテロ1:10  大正文語訳聖書

「この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。」 口語訳聖書

 「預言者」

預言者の時代に、預言者はまだ見ぬキリストの救いについて、「たずね求め、かつ、つぶさに調べた」。(Ⅰペテロ1:10) 現代、わたしたちは成就した預言について「たずね求め、かつ、つぶさに調べる」のである。「つぶさに

(心のデボーション4545)

心のデボーション4546

「我彼らに我のヱホバなるを識るの心をあたへん彼等我民となり我彼らの神とならん彼等は一心をもて我に歸るべし」 エレミヤ24:7  明治元訳聖書

「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。」 口語訳聖書

 「与えらえていること」

「お前に与えられた掟をよく考えよ。隠されていることは、お前にとって必要ではない。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:22  フランシスコ会訳聖書) 「与えられていることを熟考せよ」。「隠されていること」は「今はお前にとって必要ではない」。あれこれ迷う魂は、何事もなさぬうちに終わる。

(心のデボーション4546)

心のデボーション4547

「我心に謂けらく 愚者の遇ふところの事に我もまた遇ふべければ 我なんぞ智慧のまさる所あらんや 我また心に謂り是も亦空なるのみと」 伝道2:15  明治元訳聖書

「わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。」 口語訳聖書

 「ブドウ園のキツネ」

ユダヤ人のお話。お腹をすかせた一匹のキツネがブドウ園を見つけた。ブドウ園には柵があって中に入れない。そこでキツネは、三日間断食し、やっと柵からもぐり込むことができた。たらふくブドウを食べて帰ろうとすると、今度はふくれた腹がじゃまして出られない。そこでキツネは三日間断食して、やっと外に出ることができた。キツネはムダなことをしたのだろうか? それとも賢い経験をしたのだろうか?

(心のデボーション4547)

心のデボーション4548

「この故に兄弟よ、ますます勵みて汝らの召されたること、選ばれたることを堅うせよ。若し此等のことを行はば躓くことなからん。」 Ⅱペテロ1:10  大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。」 口語訳聖書

 「堅固(かとう)せよ」

神の「召しと、選び」を「確かなものにせよ」。(Ⅱペテロ1:10) 「確かなものにするβέβαιος」は「しっかり固める、頼れるものにする、有効にする」の意。明治元訳聖書は「堅固(かとう)せよ」。

(心のデボーション4548)

心のデボーション4549

「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」 マタイ5:39 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」 口語訳聖書

 「長く続くいやな痛み」

頬を打つ者にも痛みはある。打つと打たれるは、両者に、痛みが消えた後にはじまり、長く続くいやな痛みがある。

(心のデボーション4549)

心のデボーション4550

「我らその誡命を守らば、之によりて彼を知ることを自ら悟る。」 Ⅰヨハネ2:3  大正文語訳聖書

「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。」 口語訳聖書

 「誡め」

もし「神の戒めを守るなら」、「それによって神を知っていることを悟る」。(Ⅰヨハネ2:3) 「誡めἐντολή」は「命令、定め、教え」の意。人は御言葉によって神を知る。

(心のデボーション4550)

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