心のデボーション4511
「なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。」 マタイ6:6 大正文語訳聖書
「汝は祈るに己が室に入りて戸を閉ぢ、隠れたるに在りて汝の父に祈れ、然らば隠れたるに見給ふ汝の父は汝に報い給ふべし。」 口語訳聖書
「個性を育む」
「個性を育むにはそれにふさわしい場が必要である。それは言うならば神聖な場所であり、秘密の場所なのだ」。(河合隼雄 柳田邦男『心の深みへ』講談社2002/9より) キリスト者にとって、「自分の奥まった部屋」でのデボーションが、「個性を育むにふさわしい場」であるのは論を待たない。
(心のデボーション4511)
心のデボーション4512
「されど妄なる談と老いたる女の昔話とを捨てよ、また自ら敬虔を修行せよ」 Ⅰテモテ4:7 大正文語訳聖書
「しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。」 口語訳聖書
「空想」
パウロは「俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい」と言うが、空想はことのほか楽しいものだ。空想が足りないと人生はモノトーンの底に沈む。ただ、困ったことに、空想は勝手気ままにふるまう野生児で、汚れた足で聖なる所をベタベタと歩き回る。しかし、このお行儀悪さをあまりきつく叱らないことだ。そうすれば、いつか分別をわきまえた野生児になると思う。「空想μῦθος」は「神話」でもある。
(心のデボーション4512)
心のデボーション4513
「惰者はおのれの猟獲たる物をも燔ず 勉めはたらくことは人の貴とき寳なり」 箴言12:27 明治元訳聖書
「怠る者は自分の獲物を捕えない、しかし勤め働く人は尊い宝を獲る。」 口語訳聖書
「ジャック」
ポルトガルの諺に「森の中のジャクよりも、皿の上のチコチコがまさる」という。ジャックは鶏のように大きな鳥、チコチコは雀くらいの小鳥だ。まだ手に入らない森のジャックよりも、皿の上の、今腹を満たすチコチコのようがいい。だからといって、皿の上のチコチコを食い終わった猟師は弓矢を担いで、森の中に入っていく。「森の中のジャクよりも、皿の上のチコチコがまさる」は、その日もジャックを仕留められなかった猟師が悔し紛れにいう言葉だ。
(心のデボーション4513)
心のデボーション4514
「目に觀る事物は心のさまよひ歩くに愈るなり 是また空にして風を捕ふるがごとし」 伝道6:9 明治元訳聖書
「目に見る事は欲望のさまよい歩くにまさる。これもまた空であって、風を捕えるようなものである。」 口語訳聖書
「あこがれ」
「今」に満足できないので、人はあこがれるのだろうか。伝道者は、今与えられているものに満足する方が、まだ手に入らないものにあこがれるよりもまさっていると言う。今与えられているものに満足できて、はじめて、まだ手に入らないものにあこがれることができる。いずれにしても、今与えられているものに満足できない人は、あこがれることにも満足できない。(伝道6:9)
(心のデボーション4514)
心のデボーション4515
「『兄弟たちよ、イエスを捕ふる者どもの手引となりしユダにつきて、聖靈ダビデの口によりて預じめ言ひ給ひし聖書は、かならず成就せざるを得ざりしなり』」 使徒1:16 大正文語訳聖書
「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。」 口語訳聖書
「ユダの罪」
ユダの裏切りは「聖霊がダビデの口をとおして預言した」ことであり、「その言葉は、成就しなければならなかった」。(使徒1:10 詩篇69:24-28) ユダはあらかじめ預言されたようにイエスを裏切り、「いのちの書」から消し去られた。しかし、ユダは預言の定めに従って自害したのではない。ユダはダビデと共に「わたしは悩み苦しんでいます。神よ、あなたの救がわたしを高い所に置かれますように」、(詩篇69:29)と祈るべきであった。
(心のデボーション4515)
心のデボーション4516
「それ神の怒は、不義をもて眞理を阻む人の、もろもろの不虔と不義とに對ひて天より顯る。」 ロマ1:18 大正文語訳聖書
「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」 口語訳聖書
「真理を阻む」
神の怒りは「不義をもって真理をはばむ者」にあらわされる。悪をもって真理を阻み、悔いることがない。
「阻むκατέχω」は「阻止する、抑圧する、監禁する」の意。しかし、いかなる人間も不義をもって真理を閉じ込めることはできない。
(心のデボーション4516)
心のデボーション4517
「汝ら見られんために己が義を人の前にて行わぬよう心せよ。然らずば、天にいます汝らの父より報いを得じ。」 マタイ6:1 大正文語訳聖書
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」 口語訳聖書
「隠れておられる神」
誰にも告げず、誰にも悟られずにしたいことがある。見せびらかす、ただそれだけで意味が失われる。しかし、人がそこにいたら、しようとしていることを止めるべきだろうか。「見せること」になるから止めるという善は、しようとした善を止めてしまう悪に他ならない。そこに人がいても構わない。ただ、隠れておられる神の現れに心をとめたい。
(心のデボーション4517)
心のデボーション4518
「我は感謝す、クリスポとガイオとの他には、我なんぢらの中の一人にもバプテスマを施さざりしを。」 Ⅰコリント1:14 大正文語訳聖書
「わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。」 口語訳聖書
「無名者」
パウロは「自分はパウロの名によってバプテスマを受けた」と誇る者がいるなら、むしろ「あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けなかったことを感謝する」という。(Ⅰコリント1:14)パウロは神と人の前で、「無名の者」であろうとする。ただ、ひたすらに神に栄光を帰す。
(心のデボーション4518)
心のデボーション4519
「なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな」 マタイ5:42 大正文語訳聖書
「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」 口語訳聖書
「与える」
「あなたから借りるδανείζω」は「(利息を払って)金を借りる」である。「利子を払うから貸して」と乞われて、貸さないことは罪だろうか。今は、銀行に断られた人が、金を貸して欲しいとやってくる。彼は「利子を払うこともできない人なのである。「貸す」というよりも「与える」ことができるのなら「貸せば」よい。それがでないなら「貸す」べきではなく、それは「借りようとする者に、背を向ける」ことではない。
(心のデボーション4519)
心のデボーション4520
「この確信をもて先づ汝らに到り、再び益を得させ、」 Ⅱコリント1:15 大正文語訳聖書
「この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいので、まずあなたがたの所に行き、」 口語訳聖書
「祝福を持ちゆく器」
パウロは自分が行くことが「もう一度恵みを得させる」ことになると確信してコリント行きを計画する。(Ⅱコリント1:15) たとえ困難が予想されても、相手の恵みの増し加えられるよう行動せよ。キリスト者は祝福を持ちゆく器である。
(心のデボーション4520)
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