心のデボーション449

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心のデボーション4481

「兄弟よ、我らの汝らに到りしことの空しからざりしは、汝ら自ら知る。」 Ⅰテサロニケ2:1  大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。あなたがた自身が知っているとおり、わたしたちがあなたがたの所にはいって行ったことは、むだではなかった。」 口語訳聖書

 「むだではない」

第二回伝道旅行でパウロとシラスとテモテは御霊に導かれてマケドニアに渡り、そこで占いの霊に取りつかれた女奴隷から悪霊を追い出したことから、女奴隷から金もうけをしていた主人が騒動を起こし、捕らえられ鞭打たれた。その夜の大地震により釈放され、パウロ達は釈放されテサロニケに来た。(使徒16章)パウロはそのような困難な宣教の旅を「わたしたちがあなたがたの所にはいって行ったことは、むだではなかった」。(Ⅰテサロニケ2:1)と書き送る。「むだκενός」は「空の、中身のない、空虚な」の意。行く先を閉ざされ、導かれたところに待ち受けた困難にかかわらず、主に従う者は「すべてが中身のない空虚ではなく、むしろ益」である。

(心のデボーション4481)

心のデボーション4482

「わが愛する兄弟よ、汝らは之を知る。されば、おのおの聽くことを速かにし、語ることを遲くし、怒ることを遲くせよ。」 ヤコブ1:19  大正文語訳聖書

「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」 口語訳聖書

 「手に負えない人」

「聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそく」と言われる。それができるのが知恵者である。「聞くにおそく、語るにおそく、怒るにおそい」のは、融通のきかないところはあるが、辛抱強い。「聞くに早く、語るに早く、怒るに早い」のは、失敗してもすぐに反省する人で、愛すべき人である。「聞くにおそく、語るに早く、怒るに早い」は、打つ手のない困ったタイプで、最近増えているようだ。「怒るに遅いβραδὺς εἰς ὀργήν」は「怒りに鈍い人」の意。

(心のデボーション4482)

心のデボーション4483

「彼らは、主の御顔から、またその御力の栄光から退けられ、永遠の滅びという裁きを受けるのです。」 Ⅱテサロニケ1:9  大正文語訳聖書

「そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。」 口語訳聖書

 「永遠の滅びに至る刑罰」

「永遠の滅びに至る刑罰ὄλεθρος」とは「主のみ顔とその力の栄光から退けられる(新改訳聖書「切り離される」)」ことである。弟を殺害したカインのごとく、神から切り離された魂は「地上をさまよい歩くさすらい人」(創世記4:12新改訳聖書)となる。

(心のデボーション4483)

心のデボーション4484

「ヱホバ宣給くわが思はなんぢらの思とことなり わが道はなんぢらのみちと異なれり 天の地よりたかきがごとく わが道はなんぢらの道よりも高く わが思はなんぢらの思よりもたかし」 イザヤ55:8-9  明治元訳聖書

「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」 口語訳聖書

 「思いを放す」

神の思いは、人と異なり、それはいつも「高い」。ここで考えたいのは、そこで言われる「高さ」の内容である。人はいつも、自分を特別な存在と思いたがる。しかし、神は人を「普通の人」という「高み」に引き上げられる。この「高み」に生きるには、自分の思いを放さなければならない。この「高み」から見る世界は、本当に美しい。

(心のデボーション4484)

心のデボーション4485

「而して我らの主の恩惠は、キリスト・イエスに由れる信仰および愛とともに溢るるばかり彌増せり。」 Ⅰテモテ1:14  大正文語訳聖書

「その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。」 口語訳聖書

 「主の恵み」

「キリスト・イエスにある信仰と愛」に「神の恵み」は宿り、「ますます増し加えられる」。(Ⅰテモテ1:14) 「ますます増し加えられるὑπερπλεονάζω」は「ありあまる、溢れ出す」の意。神の恵みは大河のごとく私に流れきて私から溢れ出る。

(心のデボーション4485)

心のデボーション4486

「汝キリスト・イエスにある信仰と愛とをもて我より聽きし健全なる言の模範を保ち、」 Ⅱテモテ1:13  大正文語訳聖書

「あなたは、キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもって、わたしから聞いた健全な言葉を模範にしなさい。」 口語訳聖書

 「略図を描く」

「キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもって、わたしから聞いた健全な言葉を模範にしなさい」。(Ⅱテモテ1:13) 「模範ὑποτύπωσις」は「ὑποτυπόω略図を描く」からきた言葉である。神の御言葉を手本にして信仰と愛の略図を描け。

(心のデボーション4486)

心のデボーション4487

「モーセ、ヱホバの命に依りその旅路にしたがひてこれが發程を記せりその發程によればその旅路は左のごとくなり」 民数記33:2

「モーセは主の命により、その旅路にしたがって宿駅を書きとめた。その宿駅にしたがえば旅路は次のとおりである。」 口語訳聖書

 「いまこそ成長のとき」

千葉敦子さんはガンと闘いながら一九八七年ニューヨークで亡くなったフリーランサーである。彼女はその日記に「困難に出会ったとき『それを、いまこそ自分が成長する機会なのだ』ととらえなかったら、何年生きたって人間は成長しないのではないか」と書いている。(千葉敦子『死の準備』朝日文庫1989/10より) 今こそ自分の成長する機会だと思えるなら、私たちは死の病からでも出発できる。モーセのように、その出発地点を書きしるすことが旅程を支えてくれる。

(心のデボーション4487)

心のデボーション4488

「彼らがユダヤ人の昔話と眞理を棄てたる人の誡命とに心を寄することなく、信仰を健全にせん爲なり。」 テトス1:14  大正文語訳聖書

「ユダヤ人の作り話や、真理からそれていった人々の定めなどに、気をとられることがないようにさせなさい。」 口語訳聖書

 「気をとられる」

信仰を健全に保つには、「ユダヤ人の作り話や、真理からそれていった人々の定めなどに、気をとられる」ことのないようにしなければならない。(テトス1:14)「気をとられるπροσέχω」は「心を向ける、目をとめる、耳を傾ける、傾聴する」の意であり、誤った方向に深い関心を寄せることである。

(心のデボーション4488)

心のデボーション4489

「なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな」 マタイ5:42 大正文語訳聖書

「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」 口語訳聖書

 「借りる」

「借りるδανείζω」は「(利息を払って)金を借りようとする」である。ユダヤの法律は同胞から利息をとることを禁じている。(レビ25:37) しかし、ユダヤ人以外からは利息をとることが認められていた。(申命記23:20)

したがって、この「(利息を払って)金を借りようとする者」は異国人である。同胞でもない異教の民が求めてきたのである。神の民はこのような人々にも「背を向けてはならない」。

(心のデボーション4489)

心のデボーション4490

「我は彼をわが許に留めおきて、我が福音のために縲絏にある間、なんぢに代りて我に事へしめんと欲したれど、」 ピレモン1:13  大正文語訳聖書

「わたしは彼を身近に引きとめておいて、わたしが福音のために捕われている間、あなたに代って仕えてもらいたかったのである。」 口語訳聖書

 「引き留める」

パウロがピレモンの逃亡奴隷オネシモを身元に引き留めたのは、パウロが福音のために捕らわれている間、ピレモンに代わって仕えて欲しかったからである。「引き留めるβούλομαι」は「熟考のすえの決心」をあらわず。そうすることがオネシモの信仰の成長になり、ひいてはオネシモの役に立つと確信したからであった。

(心のデボーション4490)

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