心のデボーション448

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心のデボーション4471

「然るに神かれに「愚なる者よ、今宵なんぢの靈魂とらるべし、さらば汝の備へたる物は、誰がものとなるべきぞ」と言ひ給へり。」 ルカ12:20  大正文語訳聖書

「すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。」 口語訳聖書

 「愚かな者」

「危険の最中ではなく、危険の外にあるときに死を恐れること。なせなら人間でなければならないから」。((パスカル「パンセ」215  前田陽一・由木康訳 中央公論社1973) この金持ちは「愚か者」ではない。作物をよくつくり、収穫を蓄える場所が狭いと知ると倉を取り壊しもっと大きな倉をたて、何年分の穀物をおさめた。たくわえるだけでなく、それを楽しもうともした。しかし、これだけ備える人が魂のためにすこしの備えもしなかったことが「愚か」であった。

(心のデボーション4471)

心のデボーション4472

「標準を指して進み、神のキリスト・イエスに由りて上に召したまふ召にかかはる褒美を得んとて之を追ひ求む。」 ピリピ3:14  大正文語訳聖書

「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」 口語訳聖書

 「アブハチとらず」

あるところに一匹のおなかをすかせたクモが獲物をまっていた。するとそこに、一匹のアブがクモの巣にかかった。クモが獲物目がけて動こうとすると今度はハチが巣に飛び込んできた。「今日はなんてすばらしい日だ」とクモは喜び、二匹の獲物をからめようとアブとハチの間を忙しく動いた。しかし、ハチにかかわる間にアブが逃げようとし、アブをおさえようとするとハチが逃げてしまう。「一心に走るδιώκω」は一つを追求することである。

(心のデボーション4472)

心のデボーション4473

「冥府の繩われをとりまき死の機檻われにのぞめり」 Ⅱサムエル22:6  明治元訳聖書

「陰府の綱はわたしをとりかこみ、死のわなはわたしに、たち向かった。」 口語訳聖書

 「鯨からシラスまで」

「或る漁師が海から漁の網を引き上げましたときに、大きな魚どもは捕らえることができて、これを陸の上に列べました。しかし、小さい魚どもは網の目から海に中に逃れました」。イソップはそう言って、「普通の身分の人々は容易に助かるが、名声の高い人々は危険を免れることが稀」と教えた。(「イソップ寓話集」25漁師(と大きい魚どもと小さい魚ども) 山本光雄訳 岩波書店1942/2)

しかし、鯨からシラスまで根こそぎ捕れる現代では、普通の人々も名声の高い人々と同様の危険に晒される。

(心のデボーション4473)

心のデボーション4474

「われヱホバに依賴めり なんぢら何ぞわが霊魂にむかひて鳥のごとくなんぢの山にのがれよといふや」 詩篇11:1  明治元訳聖書

「わたしは主に寄り頼む。なにゆえ、あなたがたはわたしにむかって言うのか、「鳥のように山にのがれよ。」 口語訳聖書

 「鳥のように」

夕方、日が暮れる少し前に、すずめがエサ場に集まる。それは楽しそうに、大騒ぎしながらエサを食べる。食べることも忘れて遊びほうけて、急におなかの空いていたのを思い出した子どものようだ。一刻の喧騒が収まると、明るさの残っているうちにすずめは山に飛んでいく。一日が終わって、私たちの「たましい」がはねを休めて飛んでいく「山」はどこにあるのだろうか。

(心のデボーション4474)

心のデボーション4475

「我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり。」 ピリピ4:13  大正文語訳聖書

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」 口語訳聖書

 「わたしを強くして下さるかた」

「我が弱きを思ふて為し得ずと信ぜん乎、我は為し得ざるべし、神の強きに頼り得べしと信ぜん乎、我は為すを得ん、「汝等の信ずる如く汝等に成るべし」と主は曰ひ給へり。(マタイ9:29)」(内村鑑三『内村鑑三随筆集』(35,10) 岩波文庫832-833) 「わたしを強くして下さるかたἐνδυναμόω」は「わたしを力で満たすかた」。

(心のデボーション4475)

心のデボーション4476

「これは我らが受くべき嗣業の保證にして、神に屬けるものの贖はれ、かつ神の榮光に譽あらん爲なり。」 エペソ1:14  大正文語訳聖書

「この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。」 口語訳聖書

 「神の国の内金」

「聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証」である。(エペソ1:14) 「保証ἀρραβών」は商業用語で「手付金、内金」の意。神は聖霊をつかわされ、わたしたちが神の国を継ぐことの内金とされた。

(心のデボーション4476)

心のデボーション4477

「我は汝を祝する者を祝し汝を詛ふ者を詛はん天下の諸の宗族汝によりて福禔を獲と」 創世記12:3  明治元訳聖書

「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」 口語訳聖書

 「祝福となる」

アブラハムが手を上げて祝福する人を神も祝福し、アブラハムがのろう人を神がのろわれるのではない。アブラハムを祝福する人を神は祝福され、アブラハムをのろう人を神がのろわれるのである。アブラハムは自分として生きる以外に何もする必要がなかった。人が自分のはからいを捨てるなら、神のはからいが動き出す。人の賞賛とのろいの外に生きること、それが祝福という名で呼ばれる在り方である。

(心のデボーション4477)

心のデボーション4478

「或者は嫉妬と分爭とによりてキリストを宣傳へ、あるものは善き心によりて之を宣傳ふ」 ピリピ1:15  大正文語訳聖書

「一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる。」 口語訳聖書

 「ねたみや闘争心から」

「ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり」(ピリピ1:15) 「ねたみφθόνος」は「嫉妬、悪意」で「他人の成功をねたんでキリストを宣べ伝える」の意。それは一種の「悪意」である。

(心のデボーション4478)

心のデボーション4479

「人もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ」 マタイ5:41 大正文語訳聖書

「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。」 口語訳聖書

 「強いられた」

強いられることほど嫌なことはない。しかし、大切なことの大半は「強いられた」ことにある。強いられることを避けていると、それと出会うこともない。強いられて避けることができないなら、自らそれをなせ。強いられるからには、それだけの意味がある。

(心のデボーション4479)

心のデボーション4480

「我らは御子に在りて贖罪すなはち罪の赦を得るなり。」 コロサイ1:14  大正文語訳聖書

「わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。」 口語訳聖書

 「御子によって」

「わたしたちは、御子によって罪のゆるしを受けている」。(コロサイ1:14) 人は許されて罪を知る。「御子によって罪のゆるしを受けている」ことにより悔い改める。罪は御子に移されたことを知って、罪から解き放たれる。

(心のデボーション4480)

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