心のデボーション445

デボーション1
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心のデボーション4441

「われ曩には涜す者、迫害する者、暴行の者なりしに、我を忠實なる者として、この職に任じ給ひたればなり。われ信ぜぬ時に知らずして行ひし故に憐憫を蒙れり。」 Ⅰテモテ1:13  大正文語訳聖書

「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。」 口語訳聖書

 「不遜な者」

「不遜な者ὑβριστής」は「大言壮語する者、傲慢不遜な者、遠慮のない者」の意。ここでは「神をそしる傲慢な大言壮語」をあらわす。彼は天に唾をし、自らの頭を唾で汚す。

(心のデボーション4441)

心のデボーション4442

「なんぢ昴宿の鏈索を結びうるや 參宿の繋繩を解うるや」 ヨブ38:31  明治元訳聖書

「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。」 口語訳聖書

 「プレアデスの鎖」

「プレアデス(すばる座)」が輝くと春になり、オリオン座は冬の到来を告げる。神は「プレアデスの鎖」を結びつけて冬を春にし、オリオンの綱を解いて春を冬にされる。人は凍える冬を解き放つことはできない。また、いのちの芽吹く春の来るのを止めることもできない。冬が来れば冬を生き、春が来れば春を楽しめばよい。プレアデスの鎖もオリオン座の綱も、ともに神の御手にある。

(心のデボーション4442)

心のデボーション4443

「わが若子よ、これらの事を書き贈るは、汝らが罪を犯さざらん爲なり。人もし罪を犯さば、我等のために父の前に助主あり、即ち義なるイエス・キリストなり。」 Ⅰヨハネ2:1  大正文語訳聖書

「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。」 口語訳聖書

 「助け主」

人が罪の誘惑に晒される時、神の御元には「助け主παράκλητος」なる「義なるイエス・キリスト」がおられる。(Ⅰヨハネ2:1) 「助け主παράκλητος」は「援助者(執り成しをする者)として呼び出された者」の意。聖霊もまた神からの「助け主παράκλητος」である。(ヨハネ14:16-17)神は「義なるイエス・キリスト」と「真理の御霊」を「いつまでも、共におられる助け主」として執り成しを聞き給う。

(心のデボーション4443)

心のデボーション4444

「人の傲慢はおのれを卑くし 心に謙だる者は榮譽を得」 箴言29:23  明治元訳聖書

「人の高ぶりはその人を低くし、心にへりくだる者は誉を得る。」 口語訳聖書

 「鉄のベッド」

「鉄のベッド」は少々恐い話である。旅人がこのベッドに寝ると身動きできなくなる。旅人の身長が小さいとベッドが自分のサイズまで旅人の体を引き伸ばし、逆に長いと余分なところをカットしてしまう。「鉄のベッド」は決して相手に自分を合わせることをしない。ちょうど良いサイズの人以外はみな殺してしまうのである。少々サイズが合わなくても、相手を変えようとしないのが「心の低い人」である。

(心のデボーション4444)

心のデボーション4445

「禍害なるかな、彼らはカインの道にゆき、利のためにバラムの迷に走り、またコラの如き謀反によりて亡びたり。」 ユダ1:11  大正文語訳聖書

「彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。」 口語訳聖書

 「カインの道」

「カインの道を行く者」は禍である。(ユダ1:11) アダムの息子カインは弟アベルを殺害し、人類最初の殺人は神の家族の兄弟間に起こった。(創世記4:1-16) 神はカインが復讐されないように「一つのしるし」を与えられたが、カインの道に安住の地はない。

(心のデボーション4445)

心のデボーション4446

「汝らの兄弟にして汝らと共にイエスの艱難と國と忍耐とに與る我ヨハネ、神の言とイエスの證との爲にパトモスといふ島に在りき。」 黙示1:9

「あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。」 口語訳聖書

 「パトモス島」

ヨハネ黙示録の著者ヨハネは「神の言とイエスのあかしとのゆえに」捕らえられ、エーゲ海の人里離れたパトモス島Πάτμοςに流刑され、そこで神の黙示を受けた。地のどこに幽閉しても神の言葉を止めることはできない。

(心のデボーション4446)

心のデボーション4447

「われらが無法なる惡人より救はれんこととを祈れ。そは人みな信仰あるに非ざればなり。」 Ⅱテサロニケ3:2  大正文語訳聖書

「また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。」 口語訳聖書

 「ひねくれ」

わかっているのだが素直になれないときは、心がねじけている。聖書の「ひねくれἄτοπος(不都合な、不適当な)」は「場所外れ、あるべきところにないこと」を意味する。心があるべきところから外れて、思わぬところに居るのである。当然、居心地が良いはずもなく、さりとて、あるべき場所に戻ることもできない中途半端な状態である。ほどほどのところで腰を上げ、「あるべきところ」に戻ることだ。そうしないと、戻る場所もわからなくなってしまう。

(心のデボーション4447)

心のデボーション4448

「其頃、共に集れる人約百廿名なりしが、ペトロ兄弟の中に立ちて云ひけるは、」 使徒1:15  大正文語訳聖書

「そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていたが、ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った、」 口語訳聖書

 「キリストの弟子」

「そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていた」。(使徒1:15) 永井直治訳聖書「ペテロは弟子等同じ處に在りし者、その數凡そ百二十人の眞中に立ちていへり」。 復活されたイエスは「五百人以上の兄弟たちに」に現れた。(Ⅰコリント15:6) そのうち120人の弟子たちがエルサレムに集まり、聖霊を受け、ペテロはその中心にたって主を証しし、その日エルサレムで3000人以上の人々がイエスの復活を信じ(使徒2:41)、「そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さった」。(使徒2:47)「信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた」。(使徒4:32) 「弟子」とは「同じ處に在りし者」(永井直治訳聖書)である。

(心のデボーション4448)

心のデボーション4449

「なんぢを訟へて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ」 マタイ5:40 大正文語訳聖書

「あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。」 口語訳聖書

 「下着を取ろうとする者」

「もし誰かがあなたのものをあなたから取るならば、取り返そうとしないように」。(『十二使徒の教え』(『ディダケー(教え)Διδαχη,』) 取られたものを取り返そうとしないのも、「下着を取ろうとする者に、上着をも取らせる」ことである。

(心のデボーション4449)

心のデボーション4450

「禍害なるかな、彼らはカインの道にゆき、利のためにバラムの迷に走り、またコラの如き謀反によりて亡びたり。」 ユダ1:11  大正文語訳聖書

「彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。」 口語訳聖書

 「バラムの惑わし」

「バラムの惑わしτῇ πλάνῃ τοῦ βαλαὰμ」。(ユダ1:11) モアブの王バラクはイスラエルの民を恐れ、占い師バラムを招き、イスラエルを呪わせようとした。バラムは神に仕える者のようにふるまうが、「不義の報酬を愛し」(Ⅱペテロ2:15)「その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子」(Ⅱペテロ2:14)であった。(民数記22-24章) 「惑わしπλάνη」は「彷徨う、迷い出る」の意。「バラム」の名は「むさぼり尽くす」の意である。

(心のデボーション4450)

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