心のデボーション439

デボーション1
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心のデボーション4381

「兄弟よ、我はわが身にありし事の反つて福音の進歩の助となりしを汝らが知らんことを欲するなり。」 ピリピ1:12  大正文語訳聖書

「さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。」 口語訳聖書

 「前進」

パウロは投獄されていたが、「わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい」と書き送る。(ピリピ1:12) 「前進προκοπή」の動詞形προκόπτωは「開拓者が樹木を切り倒して道なきところに道を作って前進する」の意である。パウロの行動を制限する拘束は、むしろ「道なきところに道を切り開いた」というのである。停滞にも意味がある。

(心のデボーション4381)

心のデボーション4382

「我かれらの反逆を醫し悦びて之を愛せん我が怒はかれを離れ去たり」 ホセア14:4  明治元訳聖書

「わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである。」 口語訳聖書

 「がんばる」

母親が子どもに一番いいたいのは「がんばって」で、子どもが一番聞きたくないのも「がんばって」だという。「がんばる」は「我に張る」から来たことばである。「がんばって」と励まされるのは、「もっと我を張れ」とも聞こえる。がんばることを拒む子どもは、自分を押し通すことに疲れているのかもしれない。「もう、がんばらなくていいよ」は、それ以上自分を主張しなくても、私はあなたを愛しているというメッセージであればよい。

(心のデボーション4382)

心のデボーション4383

「父は我らを暗黒の權威より救ひ出して、その愛しみ給ふ御子の國に遷したまへり。」 コロサイ1:13  大正文語訳聖書

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。」 口語訳聖書

 「無知の暗黒」

「神は、わたしたちをやみの力から救い出し」。(コロサイ1:13) 「闇σκότος」は「死の暗黒」、「罪の暗黒」など「よみの暗闇」の意である。「無知」もまた「闇σκότος」である。これらの暗黒の中にいる人を救い出されるのは神である。もっとも恐るべき暗黒は、自らの暗黒を知らない「無知の暗黒」である。

(心のデボーション4383)

心のデボーション4384

「兄弟よ、われは既に捉へたりと思はず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向ひて勵み、」 ピリピ3:13  大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、」 口語訳聖書

 「うしろのものを忘れる」

忘れてしまいたい、しかし、どうしても忘れられないこともある。ある人は「忘れたいことを覚えていられることが乗り越えること」と考える。忘れたいことになじんでしまう、それを自分の一部分にしてしまえば、苦しくなくなるというのである。聖書の「うしろのものを忘れるὀπίσω ἐπιλανθανόμενος」は「うしろのものを軽く見る、見落とす」という意味である。なじんでいくうちに、それを軽く見て、見落とせるなら、、この方法も悪くはない。

(心のデボーション4384)

心のデボーション4385

「神の死人の中より甦へらせ給ひし御子、すなはち我らを來らんとする怒より救ひ出すイエスの、天より降りたまふを待ち望むことを告ぐればなり。」 Ⅰテサロニケ1:10  大正文語訳聖書

「そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。」 口語訳聖書

 「きたるべき怒り」

イエスは「きたるべき怒りから救い出して下さる」。(Ⅰテサロニケ1:10)「いかり」をあらわす多くの漢字がある。「怒」は奴(力を込めて働く女の奴隷)+心で、「力のこもった怒り」、「憤」は「吹き上がる抑えがたい怒り」、「嚇」は顔を真っ赤にして怒る、「溫」は不幸に胸がふさがれる怒り、「」は心に角立てて怒る、「忿」は破裂する怒りである。ギリシャ語ὀργήは「熟して果汁にはちきれる果実」をあらわす激しい罪への怒りである。

(心のデボーション4385)

心のデボーション4386

「なんぢもし全能者に歸向り且なんぢの家より惡を除き去ば 汝の身再び興されん」 ヨブ22:23  明治元訳聖書

「あなたがもし全能者に立ち返って、おのれを低くし、/あなたの天幕から不義を除き去り、」 口語訳聖書

 「身を低くせよ」

「偉くなればなるほど、身を低くせよ。そうすれば、主に喜ばれるだろう。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:18  フランシスコ会訳聖書) 「偉くなればなるほどμέγας」は「大きくなればなるほど」、「身を低くταπεινόω」は「小さくする、恥をかかせる、貧しくする」の意。大きくなればなるほど自らを小さくせよ。主はそのような者を喜ばれる。

(心のデボーション4386)

心のデボーション4387

「嘲笑人は城邑を擾し 智慧ある者は怒をしづむ」 箴言29:8  明治元訳聖書

「あざける人は町を乱し、知恵ある者は怒りを静める。」 口語訳聖書

 「味わって、捨てる」

どんな感情も充分に味わうことだ。その際、忘れてならないのは、味わった後に、それを捨てることである。感情は、ただ味わうだけで捨てることをしないと、どこまでも引きずることになる。ある感情を、いつになっても捨てられないのは、味わい方が足りないのかもしれない。「怒り」を捨てるとは、怒らなくなるのではなく、怒ってもそれを「静める」ことのできる知恵である。

(心のデボーション4387)

心のデボーション4388

「これ木匠の子にあらずや、其の母はマリヤ、其の兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダにあらずや。」 マタイ13:55  大正文語訳聖書

「この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」 口語訳聖書

 「馬骨」

身元がよくわかないものを「どこの馬の骨」という。「馬の骨」は中国の「一に鶏肋(けいろく)、二に馬骨(ばこつ)」からきたもので、鶏肋(鶏のあばら骨)は小さくて役に立たず、馬骨は大きすぎて役に立たないことから、素性のわからないものを軽蔑することばになった。

人々はイエスの教えに驚きながら、「この人は大工の子ではないか」といぶかり、イエスを退けた。イエスの素性はその教えは鶏肋のように小さく、その教えは馬骨大きく、彼らはには役に立たなかった。

(心のデボーション4388)

心のデボーション4389

「ただ然り然り、否否といへ、之に過ぐるは惡より出づるなり」 マタイ5:37 大正文語訳聖書

「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」 口語訳聖書

 「駄目なものは駄目」

社会党の土井たか子さんは、1988年6月27日に北海道斜里郡斜里町(知床)でおこなわれた記者会見で、政権党と反対党の間で「議会の楽屋」での話し合いによる合意が形成されることが国民から見た与野党間の違いをあいまいなものにし、それが議会の魅力を少なくし、反対党が政権につくことへの期待をなくしている原因として、「駄目なものは駄目なのであって、少々の手直し程度で引き下がるわけにはいかない」と「妥協のない反対を貫く場面をいま以上に増やすことが必要ではないか」と語った。

1988年7月6日の社会党中央委員会での委員長挨拶でも「駄目なものは駄目」と消費税に反対した。

土井たか子さんの「否は否」には「然りは然り」が含まれていない。「然りは然り」が言えないと「否は否」と言い切ることができない。

イエスの『然りは然り、否は否』は「是々非々」でもない。「是々非々」は、しばしば浅いところでの妥協への言い訳にすぎない。「是」の裏が「非」、「非」の裏が「是」であるような根源に向かって「然りは然り、否は否」を問うことである。

(心のデボーション4389)

心のデボーション4390

「即ち主イエス焔の中にその能力の御使たちと共に天より顯れ、」 Ⅱテサロニケ1:7  大正文語訳聖書

「悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。」 口語訳聖書

 「休息」

「悩み」の中にいる人に、主は「休息ἄνεσις」を与えられる。「休息ἄνεσις」は「軽減、緩和、休養」の意で、重荷を下ろし、力が回復したら再び荷を負えるようにする。

(心のデボーション4390)

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