心のデボーション431

デボーション1
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心のデボーション4301

「また初子を再び世に入れ給ふとき 『神の凡ての使は之を拜すべし』 と言ひ給ふ。」 へブル1:6 大正文語訳聖書

「さらにまた、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」と言われた。」 口語訳聖書

 「神の御使いたち」

神の御使いたちは「ことごとく、彼〔遣わされたイエス〕を拝す」る。(へブル1:6) 民数記32:43のLXXに「εὐφράνθητε οὐρανοί ἅμα αὐτῷ καὶ προσκυνησάτωσαν αὐτῷ πάντες υἱοὶ θεοῦ天よ、彼と共に喜べ。すべての神の子たちは彼を拝する」とある。「そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた」。(マタイ4:11)

(心のデボーション4301)

心のデボーション4302

「父の我を愛し給ひしごとく、我も汝らを愛したり、わが愛に居れ。」 ヨハネ15:9 大正文語訳聖書
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。」 口語訳聖書

 「金魚のやけど」

子どもが水槽の中に手を入れて金魚にさわろうとしている。金魚のお世話をしたいのだ。しかし、手のぬくもりでも金魚にとってはアイロンを押しつけられるくらいの熱さに感じられ、やけどをしてしまう。自然は自分には何でもないことでも相手にはつらいことがあり、共に在るには何が大切かを教えてくれる。愛が子どもにやけどをおこすほどの熱さになっているのに、母親は気づかないこともある。

(心のデボーション4302)

心のデボーション4303

「かかる人は主より何物をも受くと思ふな。」 ヤコブ1:7 大正文語訳聖書

「そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。」 口語訳聖書

 「疑いながら」

「疑う者διακρίνω」は「主から何かをいただけるもののように思うべきではない」。(ヤコブ1:7) 彼は疑いながら主に求める。祈りによって自らの祈りを拒絶しているのである。神は「とがめもせずに惜しみなくすべての人に与え」られる。(ヤコブ1:5)

(心のデボーション4303)

心のデボーション4304

「己の身を憎む者は曾てあることなし、皆これを育て養ふ、キリストの教會に於けるも亦かくの如し。」 エペソ5:29 大正文語訳聖書

「自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。」 口語訳聖書

 「感情を豊かに」

職場では有能な人が、家庭では妻や子どもに深刻な問題を抱えている場合も少なくない。家庭以外の場ではうまく適応できるのだが、家庭では孤立している。妻が子どもに密着し過ぎるのは、夫との間にしっかりした結びつきがないためかもしれない。職場で気配りしてきた反動が家族に向けられているようでもある。家庭ではもっと自分の感情を豊かに表現してよいのではないか。家族が欲しいのは気配りでも、職場での反動でもなく、生きた人間的なかかわりである。家族を養う者は、「自分を養うἐκτρέφω(植物に水をやり肥料を施して育てるように養育する)」必要がある。

(心のデボーション4304)

心のデボーション4305

「この故に汝ら今しばしの程さまざまの試煉によりて憂へざるを得ずとも、なほ大に喜べり。」 Ⅰペテロ1:6 大正文語訳聖書

「そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。」 口語訳聖書

 「信仰の試練」

どのような試練も永続することはない。試練は「しばらくの間ὀλίγος(ごく短い)」、いわば「期間限定」である。

「信仰の試練」は「金よりも尊い」。(Ⅰペテロ1:7)

(心のデボーション4305)

心のデボーション4306

「知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に敬虔を、」 Ⅱペテロ1:6 大正文語訳聖書

「知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、」 口語訳聖書

 「撙節(そんせつ)」

「知識」に「自制」を加えよ。「自制ἐγκράτεια」は「自制、辛抱、節制」の意。明治元訳聖書は「撙節(そんせつ)」と訳す。「撙(そん)」は「押し下げる」で、「うわつかないように、ずしんと腰をさげる、へりくだる」の意である。「浮つきのない、ずしんと押し下げられてへりくだった知識は忍耐(確固たる態度)をもたらし、確固たる態度は敬けんな信心を生む。

(心のデボーション4306)

心のデボーション4307

「我は植ゑ、アポロは水灌げり、されど育てたるは神なり。」 Ⅰコリント3:6 大正文語訳聖書

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」 口語訳聖書

 「水やり」

鉢植えを枯らしてしまうのは、水のやり過ぎが多いという。根が水浸しになって腐ってしまう。子どもの心が枯れるのも、水やりを怠ったというよりも、やり過ぎが原因の場合が多い。やり過ぎというよりも、水やりを徹底的に怠ると、花をつけたまま枯れてしまうことがある。どうせ枯れたのだから、そのままドライフラワーにしてしまうというのはあまりに残酷だ。水やりの難しさである。

(心のデボーション4307)

心のデボーション4308

「もし神の光のうちに在すごとく光のうちを歩まば、我ら互に交際を得、また其の子イエスの血、すべての罪より我らを潔む。」 Ⅰヨハネ1:7 大正文語訳聖書

「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」 口語訳聖書

 「互に交わりをもち」

「神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち」。(Ⅰヨハネ1:7) 「互に交わりをもちκοινωνίαν ἔχομεν」は、明治元訳聖書「我儕互に同心となるを得」、ラゲ訳聖書「是互に相與して」、祥訳聖書「〔まことの、そこなわれない〕交わりを持ち、」。「交わりを持つκοινωνία」は「共に与える、お互いを生きる」の意である。
(心のデボーション4308)

心のデボーション4309

「されど我は汝らに告ぐ、一切ちかふな、天を指して誓ふな、神の御座なればなり」 マタイ5:34 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。」 口語訳聖書

 「神の御座」

「この故に我らは憐憫を受けんが爲、また機(おり)に合ふ助となる惠を得んがために、憚らずして惠の御座に來るべし」ヘブル4:16  「天」は「神の御座」であり、「恵の御座」である。そこから「機(おり)に合ふ助け」がくる。

(心のデボーション4309)

心のデボーション4310

「かくの如くかの夢見る者どもも肉を汚し、權威ある者を輕んじ、尊き者を罵る。」 ユダ1:8 大正文語訳聖書

「しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。」 口語訳聖書

 「夢見る者」

「夢見る者」。(ユダ1:8) 口語訳聖書「夢に迷わされ」、新共同訳聖書「夢想家たち」。「夢見る者ἐνυπνιάζομαι」は旧約聖書では「偽預言者」(申命記13:1)で、「偽のしるし不思議を見せる者」の意。本節においては「ふしだらな空想にふける者」の意である。

(心のデボーション4310)

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