心のデボーション4261
「ラハブいひけるはなんぢらの言のごとくすべしと斯てかれらを出し去しめて赤き紐を窓に結べり」 ヨシュア2:21 大正文語訳聖書
「ラハブは言った、「あなたがたの仰せのとおりにいたしましょう」。こうして彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は赤いひもを窓に結んだ。」 口語訳聖書
「赤い紐」
ヨシュアの遣わした二人の斥候は自分たちをかくまってくれたラハブに、攻撃のとき「窓に赤い紐を結びつける」ように言い残した。ラハブと彼女の一族を手にかけない為のしるしであった。「赤い紐」は「誠意と真実と望みの絆」であった。(ヨシュア2:14)
しかし、その後の歴史において、「赤い紐」は娼婦のしるしとなり、娼館の窓には「赤い看板」がつけられるようになった。現在でもある国の娼館の窓には「赤いカーテン」が引かれ、廊下は赤い電球が下げられているという。人間の世界でこの習慣を別のものに変えるのは容易なことではない。
(心のデボーション4261)
心のデボーション4262
「偶像の供物に就きては我等みな知識あることを知る。知識は人を誇らしめ、愛は徳を建つ。」 Ⅰコリント8:1 大正文語訳聖書
「偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。」 口語訳聖書
「隠されたこと」
人を愛するとその人のすべてを知りたくなる。しかし、自分には相手のすべてがわかっていないと認めるのも愛である。すべてを知っているという思いが人を高ぶらせ、相手をありのままに見ることを妨げる。 愛は隠されていることをあくまでも引き出そうとはしない。理解しつくすことができなくても、深く信頼し、心のこもった交わりができると知るからである。
(心のデボーション4262)
心のデボーション4263
「我いかにキリスト・イエスの心をもて汝ら衆を戀ひ慕ふか、その證をなし給ふ者は神なり。」 ピリピ1:8 大正文語訳聖書
「わたしがキリスト・イエスの熱愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神である。」 口語訳聖書
「キリストの腸をもって」
パウロは「キリスト・イエスの熱愛をもってἐν σπλάγχνοις χριστοῦ ἰησοῦ」ピリピの教会を思う。(ピリピ1:8)
「熱愛σπλάγχνον」は「感情の座としての内臓(肺臓、肝臓、心臓、腎臓等)の意であるところから、ラゲ訳聖書は「キリストの腸を以て」と訳す。身体の内からこみ上げる「深い憐れみの心」(聖書協会共同訳聖書)である。
(心のデボーション4263)
心のデボーション4264
「わが眼をほかにむけて虚しきことを見ざらしめ 我をなんぢの途にて活し給へ」 詩篇119:37 明治元訳聖書
「わたしの目をほかにむけて、むなしいものを見させず、あなたの道をもって、わたしを生かしてください。」 口語訳聖書
「ピグマリオン効果」
ギリシャ神話のピグマリオンはキプロスの王で、象牙で作られた女像に恋をし、ついに像にいのちが与えられて妻とする。このお話から、見られるように変容することをピグマリオン効果という。さて、恋を成就したピグマリオンはともかく、その熱い視線によって妻にさせられた女性は幸せだろうか。それ以下に見られるのは苦痛だが、それ以上もけっこう疲れる。それとも、ピグマリオンの視線がないとさみしくてしかたのないものだろうか。
(心のデボーション4264)
心のデボーション4265
「また神の榮光の勢威に隨ひて賜ふもろもろの力によりて強くなり、凡ての事よろこびて忍び、かつ耐へ、」 コロサイ1:11 大正文語訳聖書
「更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」 口語訳聖書
「神の力によって」
「神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力」。(コロサイ1:11) 「力κράτος」は「勝利をもたらす力」の意である。神の「勝利をもたらす力」によって強くされなさい。「何事も喜んで耐えかつ忍ぶ」ことができる。
(心のデボーション4265)
心のデボーション4266
「イエスこれらの譬を終へて此處を去りたまふ。」 マタイ13:53 大正文語訳聖書
「イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた」 口語訳聖書
「語り終え」
「イエスはこれらの譬を語り終えてから」(マタイ13:53)「終えるτελέω」は「終る、完了する、成し遂げる」の意。明治元訳聖書は「イエス此譬を言畢て此を去ぬ」と訳す。「畢」は元来、鳥獣を捕らえる網をあらわじ、すきまなく押さえる意から、「もれなくおさえ、けりをつける」の意。イエスは神の国の教えを「すきまなっく、ことごとく、すべて」語り終えられた。イエスが語り畢えられたことを「すきまなっく、ことごとく、すべて」聞き終えねばならない。
(心のデボーション4266)
心のデボーション4267
「なんぢの聖言はわがあしの燈火わが路のひかりなり」 詩篇119:105 明治元訳聖書
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」 口語訳聖書
「ひとつの譜」
バッハは演奏の秘訣を尋ねられて、「譜に書いてあるとおりに弾けばよい。他になにもない」と答えたという。どんなにすぐれた演奏家にも欠陥がある。自分の欠陥を克服するには、譜に向かうしかない。このとき、演奏家は譜にではなく、自分に向かうのであろう。人は、人生に一つの譜をもって生まれてくる。譜に書いてあるとおりに弾けば、それは美しいメロディーが奏でられる。
(心のデボーション4267)
心のデボーション4268
「なんぢらの釜いまだ荊蕀の火をうけざるさきに靑をも燃たるをもともに狂風にて吹さりたまはん」 詩篇58:9
「おまえたちの釜が、いばらの火を感じる前に、神は、生のものも、燃えているものも、ひとしくつむじ風で吹き払われる。」 口語訳聖書
「つむじ風」
「毒をもち、自らの耳をふさぎ、聞こうとしないコブラ」に詩人は、「おまえたちの釜が、いばらの火を感じる前に、神は、生のものも、燃えているものも、ひとしくつむじ風で吹き払われる。」と告げる。(詩篇58:9) 「つむじ風で吹き払われるשָׁעַר shâ‛ar(8175)」は「暴動を意味する突発的暴動、旋風」の意。悪しき者がその報いを得ないことは決してない。
(心のデボーション4268)
心のデボーション4269
「是故に人は其父母を離れて其妻に好合ひ二人一體となるべし」 創世記2:24 明治元訳聖書
「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」 新共同訳聖書
「同性結婚」
2005年6月、スペインでは同性結婚が合法化された。EUではオランダ、ベルギーに次いで三番目の国となり、同性結婚に否定的な見解のカトリック教会と対立している。(2014年、同性結婚を合法化する国は17カ国におよぶ) 「結婚」をめぐって、世界は「離婚の問題」を超えて、「同性結婚」に幅を広げている。結婚の問題は「人間」の問題であって、「法」によっては解決されるものではない。
(心のデボーション4269)
心のデボーション4270
「明日すなはち月の二日におよびてダビデの座なほ虚しサウル其子ヨナタンにいひけるは何ゆゑにヱサイの子は昨日も今日も食に來らざるや 」 Ⅰサムエル20:27 明治元訳聖書
「しかし、ふつか目すなわち、ついたちの明くる日も、ダビデの場所はあいていたので、サウルは、その子ヨナタンに言った、「どうしてエッサイの子は、きのうもきょうも食事にこないのか」。」 口語訳聖書
「エッサイの子」
エッサイはダビデの父。ユダ族に属した。ダビデはサウル王に「エッサイの息子」と呼ばれたが、それは侮辱的な意味を含んでいた。(Ⅰサムエル20:27) しかし、後に「エッサイの息子」は「エッサイの株」「エッサイの根」などとともに尊敬を示す呼称になった。(イザヤ11:10)
(心のデボーション4270)
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