心のデボーション4251
「キリストには知慧と知識との凡ての寶藏れあり。」 コロサイ2:3 大正文語訳聖書
「キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。」 口語訳聖書
「アポクリファ」
「隠されているἀπόκρυφος」は「ἀποκρύπτω秘密にする」からきて、「隠されている」の意。このギリシャ語から聖書外典がアポクリファἀπόκρυφαと呼ばれた。聖書外典アポクリファἀπόκρυφα(「隠れたるもの」の意)は中間時代に書かれた66巻の聖書に含まれない15の書物である。66巻の正典には含まれないが、そこにも「キリストの知恵と知識」が隠されている。
(心のデボーション4251)
心のデボーション4252
「人のよはひは草のごとく その榮はのの花のごとし」 詩篇103:15 明治元訳聖書
「人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。」 口語訳聖書
「華やぎ」
人がギャンブルに魅かれるのは、その場の持つ不思議に明るい、華やかな雰囲気と関係があるのではないか。そこでは誰もが快活で、声高にしゃべり、目は輝いている。しかし、それがいかに一瞬のめまいを誘ったとしても、仮の華やぎに過ぎないことは明らかである。自分が自分であるところに華やぎがあり、花開く。それは神の恵みを吸い上げて咲く花で、一夜の風で枯れてしまう野の花(ἄνθος)とは違う。
(心のデボーション4252)
心のデボーション4253
「晝は日ふたたびなんぢの光とならず 月もまた輝きてなんぢを照さず ヱホバ永遠になんぢの光となり なんぢの神はなんぢの榮となり給はん」 イザヤ60:19 明治元訳聖書
「昼は、もはや太陽があなたの光とならず、夜も月が輝いてあなたを照さず、主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。」 口語訳聖書
「晴れた日の霜のように」
「お前の悩みの日に、主が思い起こしてくださる。お前の罪は、晴れた日の霜のように溶け去るだろう。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵13:15 フランシスコ会訳聖書) 父母を敬う者を神はお忘れならない。悩みの日に、思い出され、「罪は、晴れた日の霜のように溶け去る」。父よ母よ、霜を溶かす日のごとく子を照らせ。
(心のデボーション4253)
心のデボーション4254
「兵卒もまた問ひて言ふ『我らは何を爲すべきか』答へて言ふ『人を劫かし、また誣ひ訴ふな、己が給料をもて足れりとせよ』」 ルカ3:14 大正文語訳聖書
「兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい」。」 口語訳聖書
「朝三暮四」
昔、宋の国にたくさんの猿を飼っている人がいた。生活は苦しく、えさ代もばかにならない。こうなれば、猿のえさを減らすしかない。そこで、「えさのトチの実を朝三つ、晩に四つにするがどうか」と切り出すと、猿はそれでは少ないと歯をむいて抗議した。「よしよし、では朝四つ、晩は三つではどうか」と尋ねると、猿は大いに満足したという。それで不満を解消できるなら、猿の知恵もすてたものではない。
(心のデボーション4254)
心のデボーション4255
「是なんぢら初の日より今に至るまで、福音を弘むることに與るが故なり。」 ピリピ1:5 大正文語訳聖書
「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。」 口語訳聖書
「福音にあずかる」
福音に出合った「最初の日」から「今日まで」何があったかは、人の数だけ存在する。しかし、誰にも共通するのは「最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっている」事実である。たとえ、「今日」が福音から遠くてもである。「福音にあずかるἐπὶ τῇ κοινωνίᾳ ὑμῶν εἰς τὸ εὐαγγέλιον」。「あずかるκοινωνία」は「一つのものを共に受け、共に与え、共に生きる」の意。あなたは福音と共にある。
(心のデボーション4255)
心のデボーション4256
「凡てのこと主を悦ばせんが爲に、その御意に從ひて歩み、凡ての善き業によりて果を結び、いよいよ神を知り、」 コロサイ1:10 大正文語訳聖書
「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。」 口語訳聖書
「神を知る知識」
「神を知る知識が増し加えられる」は、「あらゆる良いわざを行って実を結ぶ」と結びついている。如何に神の知識が増し加わろうと、生きた業を生み出さないならば空しい。生きた業と証ししながら、神の知識を増し加えられないなら、真の証しとは言えない。
(心のデボーション4256)
心のデボーション4257
「その兄弟等父がその諸の兄弟よりも深く彼を愛するを見て彼を惡み穩和に彼にものいふことを得せざりき」 創世記37:4 明治元訳聖書
「兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。」 口語訳聖書
「静かなことば」
兄たちはヨセフのことで「穏やかに話すこと」ができなかった。荒々しいことばを口にすると、心はそれに励まされて、いよいよ猛り狂う。声を荒げないことを学ぶのも、平穏な生活のすぐれた知恵である。しかし、それも行きすぎないことだ。大切なのは、穏やかならざる思いと向き合い、それを内に納めることだからである。自分に汚い言葉をかけないこと。「静かなことば」は「支配者の叫び」よりも力がある。(伝道9:17)
(心のデボーション4257)
心のデボーション4258
「即ち身に疵なく容貌美しくして一切の智慧の道に頴く知識ありて思慮深く王の宮に侍るに足る能幹ある少き者を召寄しめこれにカルデヤ人の文學と言語とを學ばせんとす」 ダニエル1:4 明治元訳聖書
「すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。」 口語訳聖書
「浅瀬に仇波」
諺に「浅瀬に仇波」(古今集恋四)という。「底ひなき淵」は騒がずじっと静かにあるが、「山川の浅き瀬にこそあだ波は立つ」。シェイクスピアに「The empty vessel makes the greatest sound.」とあるのも同じ意味であろう。深い淵のようにありたいものだが、わずかのことに思慮浅く騒がしい音を立ててしまう。
(心のデボーション4258)
心のデボーション4259
「『妻をいだす者は離縁状を與ふべし』と云へることあり」 マタイ5:31 大正文語訳聖書
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている」 新共同訳聖書
「是故に人は其父母を離れて其妻に好合(あ)ひ二人一體となるべし」 創世記2:24 明治元訳聖書
「神の合わせたまえる者」
結婚に対して聖書は「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2:24)と教え、牧師は結婚式で男女に「神の合わせたまえる者は、人これを離すべからず」と告げるのである。
(心のデボーション4259)
心のデボーション4260
「美しき婦のつつしみなきは金の環の豕の鼻にあるが如し」 箴言11:22 明治元訳聖書
「美しい女の慎みがないのは、金の輪の、ぶたの鼻にあるようだ。」 口語訳聖書
「不和のりんご」
ギリシャ神話のペレウスが海の女神テティスとの結婚式に争い好きな女神エリスを招かなかったことから、エリスは怒り、結婚式に押しかけて食卓に金のりんごを投げて「一番美しい女神へ」と言い捨てる。するとヘラ、アフロディーテ、アテナが金のリンゴに飛びつき、「一番美しいのは私」と言い張り、決着のつかない争いとなったことから、エリスの金のリンゴを「不和のリンゴ」と呼ばれるようになった。「不和のリンゴ」は現代も出回っている。
(心のデボーション4260)
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