心のデボーション424

デボーション1
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心のデボーション4231

「是においてアブラハム天幕に急ぎいりてサラの許に至りて言けるは速に細麺三セヤを取り捏てパンを作るべしと」 創世記18:6  明治元訳聖書

「そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った、「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」。」 口語訳聖書

 「隠されたパン」

アブラハムは3人の旅人のために「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」と妻サラに告げる。「パン」はLXXでἐγκρυφίας(埋め込まれた)で「熱灰の中に埋めて焼いたパン」のことで「隠されたパン」と呼ばれる。アブラハムの時代にパンは普通は精製しない黒い小麦粉が使用された。精製してふすまを除いた白い小麦粉で焼くパンは特別なパンとして区別された。アブラハムは旅人の接待に、めったには使わない上等の白い小麦粉を特別な焼き方でつくったのである。

(心のデボーション4231)

心のデボーション4232

「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、」 Ⅰコリント13:4  大正文語訳聖書

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。」 口語訳聖書

 「幸福な夫婦」

ベーター・シェレンバウムは、殺人的な敵意は「幸福な夫婦」にも存在するという。たとえば、胃腸の悪い夫がいて、妻はあれを食べてはいけない、これを飲んではいけないと、細かく食事を監視する。あまりにうるさい妻に、夫は爆発し、ときどき暴飲暴食をしてしまう。それが胃腸病を悪化させる。彼女は心から夫を愛しているのだが、実は心に夫への殺人的な敵意が隠されている。夫の胃が痛くならないようにするのが妻の愛である。

(心のデボーション4232)

心のデボーション4233

「かくて御靈ただちにイエスを荒野に逐ひやる。」 マルコ1:12  大正文語訳聖書

「それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。」 口語訳聖書

 「追いやる」

バプテスマのヨハネから洗礼を受けられると、すぐに、「御霊」は、イエスを荒野に追いやられた。(マルコ1:12) 「追いやるἐκβάλλω」は「追い出す、追放する、投げ出す」の意。聖霊は荒野で試みを受けるために、強いてイエスを追いやられた。そして、十字架の前夜、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と3度祈るイエスを「強いて十字架に追いやられた」のである。(マタイ16:39-44)

(心のデボーション4233)

心のデボーション4234

「其名をノアと名けて言けるは此子はヱホバの詛ひたまひし地に由れる我操作と我勞苦とに就て我らを慰めん」 創世記5:29 明治元訳聖書

「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。」 口語訳聖書

 「ママだいすき」

ママだいすき アリストかってね セルシオかってね 
ママとなりにのせてあげるからね 
ウルトラマンガイアになってママをまもってあげるからね

大好きなママをよろこばせてあげたいけれど、かっこいいアリストもセルシオもない。                    3歳児の心はやさしさ(χάρις)に満ちている。しかし、力のない自分がちょっぴりかなしい。

(心のデボーション4234)

心のデボーション4235

「香を燒くとき、民の群みな外にありて祈りゐたり」 ルカ1:10  大正文語訳聖書

「香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。」 口語訳聖書

 「善き奉仕」

ゼカリヤが神殿で香を焚いている時間に、大勢の民衆が神殿の外庭で祈っていた。(ルカ1:10  善き奉仕の背後に祈りがある。

(心のデボーション4235)

心のデボーション4236

「弟子たち集れるとき問ひて言ふ『主よ、イスラエルの國を囘復し給ふは此の時なるか』」 使徒1:6  大正文語訳聖書

「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。」 口語訳聖書

 「復興」

弟子たちは復活されたイエスに「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」と尋ねた。(使徒1:6) 「復興ἀποκαθιστάνω」は「元の状態に戻す、復興(再建)する」の意。ダビデの国の再建はユダヤ人の悲願だった。誤った指導者の武力による国家の再建ほど危険なことはない。主イエスがなさるのは、人間の「復興ἀποκαθιστάνω」による神の国の再建である、

(心のデボーション4236)

心のデボーション4237

「汝虚妄の風説を言ふらすべからず惡き人と手をあはせて人を誣る證人となるべからず」 出エジプト23:1  明治元訳聖書

「あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。」 口語訳聖書

 「四月の魚」

エープリル・フールをフランス語では「プワソン・ダブリン」(四月の魚)と言う。この魚はサバの一種で、四月にはいくらでも釣れるところからきたものだそうである。最近では、インターネットで季節にかかわりなくよく釣れる。しかし、やたらと「四月の魚」をからかうのは危険である。インターネットの海では、「四月の魚」と思ったらサメがかかったりすることがよくあるからである。

(心のデボーション4237)

心のデボーション4238

「即ち我なんぢらの中にありて、互の信仰により相共に慰められん爲なり。」 ロマ1:12  大正文語訳聖書

「それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。」 口語訳聖書

 「共に励まし」

「お互の信仰によって、共に励まし合い」なさい。(ロマ1:12) 「共に励まし合うσυμπαρακαλέω」は「共に励まし(慰め)を得る」の意。「互いの信仰」によって互いが慰めを得る幸いにまさるものはない。

(心のデボーション4238)

心のデボーション4239

「もし右の手なんぢを躓かせば、切りて棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに往かぬは益なり」 マタイ5:30 大正文語訳聖書

「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。」 口語訳聖書

 「原爆投下」

2009年8月6日、来日したカトリックの神父で国連総会議長のミゲル・デスコト・ブロックマン氏は、「広島に原爆を投下したB-29エノラ・ゲイ号のポール・ティベッツ機長がカトリック信者であり、同乗していたカトリックの従軍牧師であったジョージ・ザブレッカ神父は、この行為がイエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切りの一つであったと認めた」ことを紹介し、自らも「自分の教会の名において皆様に許しを求めます」と語った。「機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるように」と祝福した右の手は、その足元に何を見たのであろうか。

(心のデボーション4239)

心のデボーション4240

「邪曲なる心ある者はさいはひを得ず その舌をみだりにする者はわざはひに陷る」 箴言17:20  明治元訳聖書

「曲った心の者はさいわいを得ない、みだりに舌をもって語る者は災に陥る。」 口語訳聖書

 「橋の夢」

民話「橋の夢」は、山の村の炭焼の男が「ここから三里先の町に流れる川の橋に立っていれば、いいことを聞く」という夢を見る。さっそく出来た炭を担いで町に売りに行き、橋の上に立っていると三日目に、橋の傍の豆腐屋の男が「どうして、毎日、橋の上に立っているのか」と尋ねるので訳を話すと、「実は自分も、ここから三里先の山の村の炭焼きの男の炭焼き小屋のそばにある松の木の下に金瓶がうまっている夢を見た」というので、炭焼きは「そうか」と急いで引き返し、松の根を掘ると金のはいった瓶がでてきたという話である。

夢は炭焼きの男の足元にある幸運を、三里先の橋の上で告げられる。一方、夢は豆腐屋に三里先の幸運を具体的に教えたのに、豆腐屋は橋の上で他人にその幸運を告げる役を演じる。もし、豆腐屋が炭焼きとの会話から自分の夢のことだと気づけば幸運は豆腐屋に来たのだ。「橋」は二つの世界を結ぶところで、橋の上での会話は得ることもあれば失うこともある。

(心のデボーション4240)

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