心のデボーション423

デボーション1
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心のデボーション4221

「もし神と交際ありと言ひて暗きうちを歩まば、我ら僞りて眞理を行はざるなり」 Ⅰヨハネ1:6  大正文語訳聖書

「神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。」 口語訳聖書

 「もし、やみの中を歩いているなら」

「交わりκοινωνία」は「一つのものを共に受け、共に与え、共に生きる」の意。神との親しき交わりを望まないキリスト者はいない。しかし、「もし、やみ(σκότος「罪と死の暗黒」)の中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない」に心を痛めないキリスト者もまた一人としていない。「我なんぢらを遣して孤兒とはせず、汝らに來るなり」と約し給う主にすがるのみ。(ヨハネ14:18)

(心のデボーション4221)

心のデボーション4222

「一週の初の日、朝まだき、女たち備へたる香料を携へて墓にゆく。」 ルカ24:1  大正文語訳聖書

「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。」 口語訳聖書

 「奉仕」

もう腐敗がはじまったにちがいないイエスの死体に香料を塗ろうとしたのは女性達であった。しかし、墓の入り口は巨大な石で封印されていて、ローマ兵が交代で見張っていた。行ったところで、どうなるものでもない。奉仕には時々このむなしさがつきまとう。しかし、ムダとわかっていてもしなければならない奉仕があり、入れないとわかっていても叩かなければならないドアがある。復活のイエスがご自分を現されたのは、まずこの女性達に対してであった。

(心のデボーション4222)

心のデボーション4223

「ソドム、ゴモラ及びその周圍の町々も亦これと同じく、淫行に耽り、背倫の肉慾に走り、永遠の火の刑罰をうけて鑑戒とせられたり。」 ユダ1:7  大正文語訳聖書

「ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。」 口語訳聖書

 「例証、型」

「見せしめδεῖγμα」は「例証、型」の意。ソドムとゴモラは罪と審判の「例証、型」である。明治元訳聖書は「鑑戒」と訳し「鏡」と読ませる。その道を歩む者はそれと同じ経験をする。「δεῖγμα例証、型」は悔い改めと救いの為に神がしめされた目に見える神のことばである。

(心のデボーション4223)

心のデボーション4224

「わが肉は蟲と土塊とを衣服となし 我皮は愈てまた腐る」 ヨブ7:5  明治元訳聖書

「わたしの肉はうじと土くれとをまとい、/わたしの皮は固まっては、またくずれる。」 口語訳聖書

 「苦しみの夜」

「苦しみの夜」が定められているなら、それは受け取らねばならない。それについて不平を言うべきでははい。その夜、神が「恐れるな、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときもあなたは押し流されない。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43:1-7)と語られるのを聞く。「苦しみの夜」は、神の「恵みの定め」の時である。

(心のデボーション4224)

心のデボーション4225

「また忠實なる證人、死人の中より最先に生れ給ひしもの、地の諸王の君なるイエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。願はくは我らを愛し、その血をもて我らを罪より解放ち、」 黙示1:5 大正文語訳聖書

「また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、」 口語訳聖書

 「呼び戻された者」

イエス・キリストは「死人の中から最初に生れた者ὁ πρωτότοκος τῶν νεκρῶν(死者からの初子)」である。祥訳聖書は「死人の中から最初に生まれたかた〔すなわち、生命に呼び戻された最初のかた〕」と訳す。このキリストにおいて人は「死の中から生命に呼び戻された者」である。

(心のデボーション4225)

心のデボーション4226

「かつ天より聲出づ『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』」 マルコ1:11  大正文語訳聖書

「すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。」 口語訳聖書

 「神のこころにかなう」

「心にかなう者εὐδοκέω」は「euvよく+δοκέω思う」からなり、「喜ぶ、意に叶う」の意である。神が喜ばれる者は神の意にかなう(神に同意する)者である。人はキリストにあって神の意にかなう喜びの対象である。

(心のデボーション4226)

心のデボーション4227

「直者はその正義によりて救はれ 悖逆者は自己の惡によりて執へらる」 箴言11:6  明治元訳聖書

「正しい者はその正義によって救われ、不信実な者は自分の欲によって捕えられる。」 口語訳聖書

 「欲の熊鷹」

一羽の熊鷹が両足の爪で、一頭づつイノシシを捕らえた。イノシシは逃げようとして暴れたが、熊鷹は離さない。そこで、二頭のイノシシは右と左に走り出したので、ついに熊鷹の股が裂けて、熊鷹は死んでしまったということである。熊鷹はイノシシにやられたのではなく、欲に捕えられたのである。確実なことにも全力を尽くすのがプロの仕事である。そうすればイノシシ二頭を捕えるなど、熊鷹にはぞうさもないことだったのである。

(心のデボーション4227)

心のデボーション4228

「祭司の慣例にしたがひて、籤をひき主の聖所に入りて、香を燒くこととなりぬ。」 ルカ1:9  大正文語訳聖書

「祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。」 口語訳聖書

 「くじ」

ザカリヤがわが子ヨハネ(後のバプテスマのヨハネ)の誕生のよき知らせを受けたのは、くじでその年の香をたく祭司の務めに選ばれたことによる。(ルカ1:5-17) 「くじ」は特別な職務につくための人選の手段として行われていた。(Ⅰ歴代誌24:5) イスカリオテのユダの死にともない、弟子たちはユストという名のヨハネとマッテヤを選び、祈りの後にくじを引いてマッテヤを選んだ。(使徒1:22-26) 今日、神の御心を知るのは祈りと御言葉においてである。

(心のデボーション4228)

心のデボーション4229

「もし右の手なんぢを躓かせば、切りて棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに往かぬは益なり」 マタイ5:30 大正文語訳聖書

「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである」 新共同訳聖書

 「まっすぐな、正義」

英語 right は右手が正式な手を意味するところから、「まっすぐな、正義」の意である。「正義」が犯す「罪」がある。「正義」のすることだけにその罪は重い。

(心のデボーション4229)

心のデボーション4230

「その兄弟手に絳線のある者後にいづその名はゼラとよばる」 創世記38:30  明治元訳聖書

「その後、手に緋の糸のある兄が出たので、名はゼラと呼ばれた。」 口語訳聖書

 「確執」

タマルは双生児を宿した。その出産のとき、一人の子が手を出したので、助産師がその手に赤い糸を結んだ。ところがその子は手を引っ込め、もう一人が出てきたので「ペレツ(出し抜き)」という名をつけた。その後、手に赤い糸を結んだ子が生まれたので「ゼラ 真っ赤」と名付けられた。(創世記38:27~30)

ペレツとゼラの間にあった確執は、その後、ユダ族の間の争いとして、根強く残される。(マタイ1:3)

(心のデボーション4230)

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