心のデボーション422

デボーション1
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心のデボーション4211

「白髮の人の前には起あがるべしまた老人の身を敬ひ汝の神を畏るべし我はヱホバなり」 レビ19:32 明治元訳聖書

「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」 口語訳聖書 

 「父への心遣い」

「父への孝行のは、忘れられることがなく、また、お前の罪を償うものとなる」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:14  フランシスコ会訳聖書) 「主は、父親に対するお前の心遣いを忘れず」。(聖書協会共同訳聖書訳)神は、父への心遣いを忘れず、犯した罪の償いとされるとベン=シラの知恵は教える。たとえ父母がすでに亡くなっているとしても父母への心遣いを忘れてはならない。

(心のデボーション4211)

心のデボーション4212

「コルネリオよ、汝の祈は聽かれ、なんぢの施濟は神の前に憶えられたり。」 使徒10:31  大正文語訳聖書

「『コルネリオよ、あなたの祈は聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前におぼえられている。』」 口語訳聖書

 「最良の施し」

ユダヤ人の考えでは「施しἐλεημοσύνη」の一番よい方法は、彼に金を貸して商売仲間にし、仕事を世話してやることだそうである。金を与えるよりも、自立するのを手伝うのが最良の施しという。彼がうまくやれば貧しさから立ち直れるし、その分、自分の商売も広がり、貸した金も確実に戻ってくる。それに加えて、もう二度と施しをしなくてもすむというおまけまでつく。ただ、この方法は、施す人に力がないと「やけど」する。

(心のデボーション4212)

心のデボーション4213

「智慧をすつることなかれ彼なんぢを守らん 彼を愛せよ彼なんぢを保たん」 箴言4:6 明治元訳聖書

「知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。」 口語訳聖書

 「鰐の背泳ぎ」

ポルトガルの諺に「ピラニアのいる川では、鰐は背泳ぎする」というそうである。さすがの鰐もピラニアのいる所では背泳ぎして堅い背中をむけて防御する。危険な相手には過信することなく、相応の防御をしなければならない。では水中でピラニアに鰐がゆうゆうと背泳ぎして、前を見ないでいるところで湖面を泳ぐパイソンに出合ったらどうするのだろうか。一つの完璧な防御は、それが思わぬ危機を招く。

(心のデボーション4213)

心のデボーション4214

「なんぢ怒りて身を裂く者よ 汝のためとて地あに棄られんや 磐あに其處より移されんや」 ヨブ18:4  明治元訳聖書

「怒っておのが身を裂く者よ、/あなたのために地は捨てられるだろうか。岩はその所から移されるだろうか。」 口語訳聖書

 「疎外感」

本当のさみしさとは、孤独というよりも疎外感ではないか。自分が期待されていると感じられない。いったん疎外感を持ってしまうと、どうしても、周囲の人と心を通わせるのが難しくなる。「みんなが自分をのけ者にする」と考えがちだが、本当は自分で自分を疎外しているのではないか。自分の思いが通じなくて、自分で自分を引き裂いてしまう。いなくていい人など存在しない。

(心のデボーション4214)

心のデボーション4215

「汝らの爲に天に蓄へある、朽ちず汚れず萎まざる嗣業を繼がしめ給へり。」 Ⅰペテロ1:4  大正文語訳聖書

「あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。」 口語訳聖書

 「アマランサス」

天には「朽ちず汚れず萎まざる嗣業」がたくわえら、キリスト者はその資産を受け継ぐ者である。「しぼまないἀμαράντινοςアマランティノス」は枯れることのない伝説の不凋花「アマランサス」の語源となった。神は、いかなる時にも決して枯れることなく咲き続ける嗣業をお与えになる。「大牧者が現れる時には、しぼむことのない(ἀμαράντινος)栄光の冠を受けるであろう。」(Ⅰペテロ5:4)

(ちなみに、ヒユ科の植物「アマランサス」はギリシャ語ἀμαράντινοを語源として、栄養に富み、世界保健機構が「未来の食糧」と評価した穀物である。)

(心のデボーション4215)

心のデボーション4216

「我らが彼より聞きて、また汝らに告ぐる音信は是なり、即ち神は光にして少しの暗き所なし。」 Ⅰヨハネ1:5  大正文語訳聖書

「わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。」 口語訳聖書

 「少しの暗き所なし」

「神は光であって、神には少しの暗いところもない」。(Ⅰヨハネ1:5) 「暗いところσκοτία」は「闇、暗黒」で「罪、霊的暗黒、罪の暗黒、知の暗やみ」の意である。神は「まったき光」であり、少しの「罪、霊的暗黒、罪の暗黒、知の暗やみ」もない。

(心のデボーション4216)

心のデボーション4217

「なんぢの手はわれを造りわれを形づくれり ねがはくは智慧をあたへて我になんぢの誡命をまなばしめたまへ」 詩篇119:73  明治元訳聖書

「あなたのみ手はわたしを造り、わたしを形造りました。わたしに知恵を与えて、あなたの戒めを学ばせてください。」 口語訳聖書

 「私という家」

「暮らすべき家」としての身体は、一年ごとにガタがくる。身長162 センチ、体重62キロ、足短く5Eの靴しかはけず、眼鏡をはずせば通行人の判別もかなわず、右耳が聞こえないため顔を左に傾けるクセがあり、いつも右手で腰を支えたがるのは腰痛のせいで、いばっているわけではない。わが家も相当いたんできて、人はせめてリフォームしたらというが、長年なじんだ身体はすてがたい。せめて、休日には周囲に花など植えたいと思う。

(心のデボーション4217)

心のデボーション4218

「この故に勵み勉めて汝らの信仰に徳を加へ、徳に知識を、」 Ⅱペテロ1:5  大正文語訳聖書

「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、」 口語訳聖書

 「力の限り」

「力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい」。(Ⅱペテロ1:5-7) 「力をつくしてπαρεισφέρω」は「さらに内に持ち込んで」の意。信仰に「πᾶσαν παρεισενέγκαντεςあらゆる力を内に持ち込んで」徳を加え、知識を増し、節制に学び、忍耐を学び、愛を加えよ。

(心のデボーション4218)

心のデボーション4219

「もし右の手なんぢを躓かせば、切りて棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに往かぬは益なり」 マタイ5:30 大正文語訳聖書

「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである」 新共同訳聖書

 「祝福と力の手」

ヤコブは右手をエフライムの頭にのせて祝福を与えた。(創世記48:14-15)「右の手」は「祝福と力の手」である。そこにも「罪」が入る。偽りの祝福を与えるなら、その「手」を切り捨てよ。

(心のデボーション4219)

心のデボーション4220

「兄弟ともに居んにその中の一人死て子を遺さざる時はその死たる者の妻いでて他人に嫁ぐべからず其夫の兄弟これの所に入りこれを娶りて妻となし斯してその夫の兄弟たる道をこれに盡し」 申命記25:5

「兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての道を彼女につくさなければならない。」 口語訳聖書

 「レビラート婚」

兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子どもを残さずに死んだ場合、その妻は夫の兄弟によって子どもを得、亡くなった夫の名を継がせた。これを「レビラート婚 Levirate marriage」と言った。レビラートはラテン語レビール levir 「夫の兄弟」に由来する。(申命記25:5-10) 死亡した妻の代わりにその姉妹が夫と結婚することはソロレート婚と呼ばれる。

タマルは「レビラート婚」によって子をもうけようとしたがオナンが拒んだので、義父ユダによってペレツとゼラをもうけたのである。

(心のデボーション4220)

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