心のデボーション421

デボーション1
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心のデボーション4201

「神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念を賦けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲を始より終まで知明むることを得ざるなり」 伝道3:11  明治元訳聖書

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」 口語訳聖書

 「よい天気から嵐」

イソップ寓話「(石を漁った)漁師たち」(「イソップ寓話集」23 山本光雄訳 岩波書店1942/2) の教訓は「非常によい天気から嵐も生ずる」というものである。人生の天気は変わりやすく、思わぬ収穫に小躍りしたが、次の瞬間、それが一時の夢にすぎなかったと知ることもある。その逆もあると知れば人生は捨てた者でもない。

(心のデボーション4201)

心のデボーション4202

「幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。」 マタイ5:9  大正文語訳聖書

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」 口語訳聖書

 「平和をつくる人」

折り合いが悪くなるとすぐに身を引いてしまうのは必ずしも平和を愛する人とはいえない。自分の内にある秩序が人との争いで壊されることを恐れているだけかもしれない。平和を愛する(εἰρηνοποιός「平和をつくる人」)人とは争いを好まないだけではなく、対立する関係に和解をもたらす人のことである。争いに巻き込まれることを恐れているだけでは円満な関係を維持することはできない。平和は何かを犠牲にする覚悟がないと実現しない。

(心のデボーション4202)

心のデボーション4203

「一切の生物の生氣および一切の人の靈魂ともに彼の手の中にあり」 ヨブ12:10  明治元訳聖書

「すべての生き物の命、/およびすべての人の息は彼の手のうちにある。」 口語訳聖書

 「蘇る線虫」

2023年8月、4万6千年前に地下40mのシベリヤの永久凍土に閉じ込められた線虫「パナグロライムス・コリマエンシス」が掘り起こされ、解凍されて、蘇生し、現在も増殖を続けていることが発表された。極端な環境に置かれたいのちが自らを無代謝状態「クリプトビオシス」に置き、環境の変化を待ち、条件が整えば、4万6千年後にも、いのちとして蘇るのである。神のつくられたいのちは、どのような環境にも生き延びる力と知恵をもつ。

(心のデボーション4203)

心のデボーション4204

「かくて五時ごろに雇はれしもの來りて、おのおの一デナリを受く。」 マタイ20:9  大正文語訳聖書

「そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。」 口語訳聖書

 「夕方の人」

オーケストラでは、比較的出番の多いバイオリンもあれば、たった一回打ちならされるシンバルもある。しかし、ギャラは出番の多少にかかわらず同じなのだそうである。夕方五時に雇われて、ほんの一時間仕事をした人にも一日分の賃金が与えられたのと似ている。夕方五時に雇われた人は、それまでじっと自分の出番を待っていたのだ。「夕方の人」にも、大切な出番がある。

(心のデボーション4204)

心のデボーション4205

「それ神の見るべからざる永遠の能力と神性とは、造られたる物により世の創より悟りえて明かに見るべければ、彼ら言ひ遁るる術なし。」 ロマ1:20  大正文語訳聖書

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」 口語訳聖書

 「永遠と無」

「われわれの想像力は、現在の時について絶えず思いめぐらしているので、それを非常に拡大し、永遠については思いめぐらさないので、それを著しく縮小する。その結果、永遠を無に、無を永遠にしてしまうのである」(パスカル「パンセ」195-2 前田陽一・由木康訳 中央公論社1973) パスカルの指摘は正しい。むしろ問題はパスカルの「無」が何を意味するかである。

(心のデボーション4205)

心のデボーション4206

「これ主イエスと凡ての聖徒とに對する汝の愛と信仰とを聞きたればなり」 ピレモン1:5  大正文語訳聖書

「それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。」 口語訳聖書

 「聖徒」

「聖徒ἅγιος」は「神にささげられた者」の意である。聖なる神(ἅγιος)が彼を聖なる者とする。神に従う者はみなἅγιοςである。

(心のデボーション4206)

心のデボーション4207

「願くはなんぢわが命令にききしたがはんことを もし然らばなんぢの平安は河のごとく 汝の義はうみの波のごとく」 イザヤ48:18  明治元訳聖書

「どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、」 口語訳聖書

 「幸せの流れ」

「幸せで、幸せで、この幸せがいつか失われると思うと不安です」と語る人は本当に幸せだろうか。                幸せは「今」にしか存在しないといわれる。とすれば「今は不幸だけども、いつかは幸せになれる」と信じるのは間違いなのだろう。幸せが「今」にしか存在しないというのは、人生のどの瞬間にも幸せが存在するということである。みじめと思う中にも幸せはある。

(心のデボーション4207)

心のデボーション4208

「神は孰の御使に曾て斯くは言ひ給ひしぞ 『なんぢは我が子なり、 われ今日なんぢを生めり』 と。また 『われ彼の父となり、 彼わが子とならん』 と。」 へブル1:5  大正文語訳聖書

「いったい、神は御使たちのだれに対して、/「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」/と言い、さらにまた、/「わたしは彼の父となり、/彼はわたしの子となるであろう」/と言われたことがあるか。」 口語訳聖書

 「御使い」

神は御使いに向かって「わが子」とは言わず、御子をのみ「わが子」と呼ばれた。人は主イエスにおいて「神の子」である。御使いは「救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされた」のである。(へブル1:25) 御使いは礼拝の対象ではなく、人の礼拝を正しく守る者である。

(心のデボーション4208)

心のデボーション4209

「もし右の目なんぢを躓かせば、抉り出して棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり」 マタイ5:29 大正文語訳聖書

「もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。」 口語訳聖書

 「吉兆、幸運」

鳥占いで右方に鳥が飛ぶと吉兆とされ、右が幸運を約束した。「右の目δεξιός」は受け取る側の手で「吉兆、幸運」を意味する。人間に幸いをもたらずものがつまずきとなる。

(心のデボーション4209)

心のデボーション4210

「ユダ、タマルによりてパレスとザラとを生み、パレス、エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、」 マタイ1:3  大正文語訳聖書

「ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、」 口語訳聖書

 「タマルによりて」

「タマルによりてパレスとザラとを生み Φάρες δὲ ἐγέννησεν τὸν ῾Εσρώμ, ῾Εσρὼμ δὲ ἐγέννησεν  τὸν ᾽Αράμ」。(マタイ1:3) 「由(より)て」(日本正教会訳は「因(よ)りて」)。「由」「因」は共に理由、原因を表わすことばである。ユダにパレスとザラの出生には、タマルの存在と共に、その背後にある行為を示す。(創世38:13~23) 塚本虎二訳は「その嫁タマルによる不倫の子はパレスとザラ」として、意味を補う。漢訳聖書に「大馬(たまる)氏」とあり、「氏」は結婚した女性につける呼称である。

(心のデボーション4210)

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