心のデボーション419

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心のデボーション4181

「神そのなかにいませば都はうごかじ 神は朝つとにこれを助けたまはん」 詩篇46:5  明治元訳聖書

「神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。」 口語訳聖書

 「朝顔」

朝顔は別名で「牽牛子(けんごし)」と呼ばれた。語源はその美しさから牛と引き換えるほどの価値がある、また牛車で売り歩いたなど諸説ある。朝顔の語源は「朝の容花(かおばな)」といわれ、「容」は整えられた美しさの意。朝に美しく整えられる心は何をもっても代えがたい価値がある。

(心のデボーション4181)

心のデボーション4182

「人を殺せる者の彼處に逃れて生命を全うすべきその事は是のごとし即ち凡て素より惡むことも無く知ずしてその鄰人を殺せる者」 申命19:4  明治元訳聖書

「人を殺した者がそこにのがれて、命を全うすべき場合は次のとおりである。すなわち以前から憎むこともないのに、知らないでその隣人を殺した場合、」 口語訳聖書

 「知らずに殺す罪」

聖書は知らずに人を殺す罪がある。善意からおこなったことが、知らないうちに相手を傷つけ、いつのまにか自分が加害者になっていることもある。悪意はなかったとはいえ、それもまた、罪である。しかし、知らないうちに人を傷つけることを恐れて、人とのかかわりから身を引いても解決にはならない。傷つけたり、傷つけられたりしながら、人は許すことを学ぶ。他人を許すことばかりでなく、自分を許すことも学びたい。

(心のデボーション4182)

心のデボーション4183

「されど我等にもせよ、天よりの御使にもせよ、我らの曾て宣傳へたる所に背きたる福音を汝らに宣傳ふる者あらば詛はるべし。」 ガラテヤ1:8  大正文語訳聖書

「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。」 口語訳聖書

 「神の福音」

パウロは「わたしたちが宣べ伝えた福音」に、たとえ「わたしたちであろうと、天からの御使であろうと」それに反する福音を伝える者は呪われるべきである」と語る。宣教者は宣べ伝えた福音から自ら墜ちることを何よりも恐れる。しかし、宣教者を守るのは彼自身が宣べ伝える「福音」そのものである。

(心のデボーション4183)

心のデボーション4184

「われむかしの日いにしへの年をおもへり」 詩篇77:5  明治元訳聖書

「わたしは昔の日を思い、いにしえの年を思う。」 口語訳聖書

 「遠い昔の年々」

昔、自分の書いた手紙や日記が残っていたら、一度、それを読み返してみることをおすすめする。忘れていた自分に会うことができる。ふるさとを歩いてみると、それぞれの時代に、その時に信じ期待した自分が生きていて、今の自分に語りかけてくる。「神のなさったこと」を「思い巡らし、静かに考える」と、神がこれからなさろうとすることがわかる。過去は「今の自分」をよく知っている。

(心のデボーション4184)

心のデボーション4185

「ヱホバの親愛はヱホバをおそるる者とともにあり ヱホバはその契約をかれらに示したまはん」 詩篇25:14  明治元訳聖書

「主の親しみは主をおそれる者のためにあり、主はその契約を彼らに知らせられる。」 口語訳聖書

 「親しみ」

「親密、親交」を意味する英語intimacyは、「最も内側の、最深部」を意味するラテン語intimusから来ている。親しさは「深い、内奥」に通じるところから来る。神は「主をおそれる者」に、その「内奥」を開かれて語られる。

(心のデボーション4185)

心のデボーション4186

「婦その乳兒をわすれて己がはらの子をあはれまざることあらんや 縦ひかれら忘るることありとも我はなんぢを忘るることなし」 イザヤ49:15 明治元訳聖書

「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」 口語訳聖書

 「記憶」

「心の深みへ」(河合隼雄 柳田邦男講談社2002/9)によれば、「脳生理学者カール・プリブラムは記憶というものが脳の特定の部位に入っているのではないかと考え、ネズミを使って研究し、その結果、どの記憶も脳のどの部位にあるかを固定することはできなかった」ということである。脳は全体でものごとに対応し、すべてを記憶している。意識は必要に応じて記憶を取り出し、必要に応じて忘却する。共に脳の大切な働きである。

(心のデボーション4186)

心のデボーション4187

「汝らは地の鹽なり、鹽もし效力を失はば、何をもてか之に鹽すべき。後は用なし、外にすてられて人に蹈まるるのみ。」 マタイ5:13  大正文語訳聖書

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」 口語訳聖書

 「淡塩」

赤飯は蒸す前にちょっと塩をしておくと味もよい。その加減は「くれぐれも淡塩で、塩を感じられたら落第」とは吉兆の陽木貞一氏のお話である。「地の塩」たるも、塩加減がある。手が塩を感じるようでは、塩淡の味わいには遠い。自分を消しながら、味を引き立て、おいしく召し上がっていただくのが、キリストの「地の塩」である。

(心のデボーション4187)

心のデボーション4188

「われら前に言ひし如く今また言はん、汝らの受けし所に背きたる福音を宣傳ふる者あらば詛はるべし。」 ガラテヤ1:9  大正文語訳聖書

「わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。」 口語訳聖書

 「呪い」

異なる福音を宣べ伝える者は呪われる。「呪うἀνάθεμα」は、呪詛の意ではなく、「神にささげられたもの、神に引き渡された者」の意である。「異なる福音」はそのまま神に委ねよ。神が正しく裁かれる。

(心のデボーション4188)

心のデボーション4189

「もし右の目なんぢを躓かせば、抉り出して棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり」 マタイ5:29 大正文語訳聖書

「もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。」 口語訳聖書

 「視界」

「目 ὀφθαλμός」は「目、視力、視界」とともに「理解力、心の目」をも意味する。この意味にしてマタイ5:29を読んでみる。「もし理解力なんぢを躓かせば、抉り出して棄てよ、五體の一つ亡びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり」。そうすれば「視界」改まる。

(心のデボーション4189)

心のデボーション4190

「我らは彼にありて恩惠の富に隨ひ、その血に頼りて贖罪、すなはち罪の赦を得たり。」 エペソ1:7  大正文語訳聖書

「わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。」 口語訳聖書

 「恩惠の富」

神は「恩惠の富に隨ひて」、御子の血による贖い、すなわち、罪の赦しを与え給う。(エペソ1:7)「恵みの豊かさπληθύνω」は「一杯にする、増す、増し加える」の意。神は惜しむことなく、恵み与え、恵みは恵みを呼び、増し加えられ、人はことごとく恵みに満たされる。

(心のデボーション4190)

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