心のデボーション415

デボーション1
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心のデボーション4141

「長老は責むべき所なく、一人の女の夫にして、子女もまた放蕩をもて訴へらるる事なく、服從せぬことなき信者たるべきなり。」 テトス1:6  大正文語訳聖書

「長老は、責められる点がなく、ひとりの妻の夫であって、その子たちも不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者でなくてはならない。」 口語訳聖書

 「長老の子ども」

教会の長老は本人ばかりでなく、その妻やその子どもたちも「不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者」であることが求められた。「親不孝ἀνυπότακτος」は「反抗的でない」の意。親に反抗的な子に育つ家庭は信仰の模範とは見なされなかった。しかし、ἀνυπότακτοςは服従を拒む意識的な反抗であって、成長にともなう子供の反抗(健全な反抗)を意味するものではない。

(心のデボーション4141)

心のデボーション4142

「互に虚言をいふな、汝らは既に舊き人とその行爲とを脱ぎて、」 コロサイ3:9  大正文語訳聖書

「互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、」 口語訳聖書

 「つくりばなし」

会話には多少のつくりばなし的な要素が含まれるものだ。それをうそだと決めつけるべきだろうか。少し事実と異なるが、本人にとっての自己表現になっている場合もある。それとも、やはり、うそ(ψεύδομαι)はうそだろうか。人はみな興味深い「物語」をもっている。その事実の方がよほど面白いものだ。人の存在の面白さをそのまま言葉にすれば、うそを交えなくても十分に魅力的な会話になる。それは自己の視点からの新しい「物語」である。

(心のデボーション4142)

心のデボーション4143

「レア福來れりといひて其名をガドと名けたり」 創世30:11 明治元訳聖書

「そこでレアは、『幸運がきた』と言って、名をガドと名づけた」 口語訳聖書

 「幸運」

イソップは海で一匹の魚も捕れなかった漁師があきらめていると一匹のマグロが何かに追われて漁師の船に飛び込んできたという話をして、「術の与えないものを、しばしば偶然が授けてくれる」と言う。それはしばしば事実であるが、はじめから飛び込んでくるマグロを待つのは間違いである。天は術のすべてを尽くす者に偶然を許すのである。(「イソップ寓話集」22「漁師たちと鮪」 山本光雄訳 岩波書店1942/2)

(心のデボーション4143)

心のデボーション4144

「われ祈るとき常に汝をおぼえて我が神に感謝す。」 テトス1:4  大正文語訳聖書

「わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。」 口語訳聖書

 「口にすることによって」

「祈の時にあなたをおぼえて祈の時にあなたをおぼえてμνείαν σου ποιούμενος ἐπὶ τῶν προσευχῶν μου」。(テトス1:4) 「おぼえμνεία」は「口にすることによって思い出す」の意。信仰は祈りによって(祈りの中で、神の前で)その人を知る(記憶する、経験する)。パウロはピレモンを神への感謝の中に思い起こし、その存在への感謝に力づけられずにはいられなかった。

(心のデボーション4144)

心のデボーション4145

「その受け給ひし名の御使の名に勝れるごとく、御使よりは更に勝る者となり給へり。」 へブル1:4  大正文語訳聖書

「御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。」 口語訳聖書

 「人間は何者なのか」

神は御子に「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言われ、御使いたちにまさる名をもって御子を呼ばれ、御子によって人に「わたしは彼(あなた)の父となり、彼(あなた)はわたしの子となるであろう」と告げられる。これによって御使いは「仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされた」ことが明らかにされる。これを知る者はみな「人間が何者だから、これを御心に留められるのだろうか。人の子が何者だから、これをかえりみられるのだろうか。」(へブル2:6)と問わずにはいられない。

(心のデボーション4145)

心のデボーション4146

「汝らの中もし智慧の缺くる者あらば、咎むることなくまた惜む事なく、凡ての人に與ふる神に求むべし、さらば與へられん」 ヤコブ1:5 大正文語訳聖書

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」 口語訳聖書

 「知恵に不足している者」

「知恵に不足している者λείπεται σοφίας」。(ヤコブ1:5) 「知恵」は神と人に関する知である。そしてすべての人は神と人に関する知に「欠けた者」である。人は徹底的に無知であることを知って、神に求める。そのことを人に教え、導くのが神の知恵である。

(心のデボーション4146)

心のデボーション4147

「イエス答へて言ひ給ふ『まことに誠に汝に告ぐ、人あらたに生れずば、神の國を見ること能はず』」 ヨハネ3:3  大正文語訳聖書

「イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。」 口語訳聖書

 「スフインクスのなぞ」

スフインクスは「朝は四本、昼は二本、夜は三本で歩く動物は何か」となぞをかけ、解けない者をさらったという。答は「人間」である。ハイハイしていた子どもが二本の足で立ち上がり、老いると杖を必要とするというわけである。人生の午後を生きるには、自分を支える三本の足を獲得しなければならない。前半を歩いた二本の足だけでは、人生を歩き切ることができない。ニコデモはそれを求めてイエスを訪れた。

(心のデボーション4147)

心のデボーション4148

「愚なる子は其父の憂となり 亦これを生る母の煩勞となる」 箴言17:25

「愚かな子はその父の憂いである、またこれを産んだ母の痛みである。」 口語訳聖書

 「その余生を泣かしませるな」

「子よ、年老いた父の世話をせよ。その余生を泣かしませるな。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:12  フランシスコ会訳聖書)子に対する父の哀しみと母の哀しみは同じではない。母は家庭における子の幸せを願い、父は家族のために戦う子に幸せを感じる。

(心のデボーション4148)

心のデボーション4149

「されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」 マタイ5:28 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」 口語訳聖書

 「偶像礼拝」

マタイ5:28を異性問題とのみ考えてはならない。聖書が見るのは、「偶像礼拝」からもたらされる行為としての色情(ἐπιθυμέω)である。神を見失ったところから、異性への過ちが始まる。

(心のデボーション4149)

心のデボーション4150

「又いひたまひけるは我はなんぢの父の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神なりとモーセ神を見ることを畏れてその面を蔽せり」 出エジプト3:6  明治元訳聖書

「また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。」 口語訳聖書

 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」 

神は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」である(出エ3:6)。神はアブラハム、イサク、ヤコブのそれぞれの固有の人生に現れ給うた。神は時と空間に介在され、「私」の経験に直に関わりをもたれる。その意味で、信仰は「私」の経験と深くかかわって成立し、神は「わたしの神」である。戦慄せよ。

そして、また、神は「わたしの神」として他者自身の内に居ます神である。「わたしの神」が、他者の内に「わたしの神」として現れ給うことにおいて、「私」は他者との関わりの内に確かに存在するのである。

(心のデボーション4150)

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