心のデボーション413

デボーション1
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心のデボーション4121

「主は我らの父なる神の御意に隨ひて、我らを今の惡しき世より救ひ出さんとて、己が身を我らの罪のために與へたまへり。」 ガラテヤ1:4 大正文語訳聖書

「キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。」 口語訳聖書

 「今の世の悪」

キリストは「今の悪の世」から私たちを救い出される。(ガラテヤ1:4) 問題にすべき悪は、「ἐνίστημι今ある、差し迫った、まさに存在する」ものとしての悪である。この時代に現に存在し、この時代を根底から動かす悪を解決するために、イエスは「ご自身をわたしたちの罪のために」ささげらる。

(心のデボーション4121)

心のデボーション4122

「モーセは、律法による義をおこなふ人は之によりて生くべしと録したり。」 ロマ10:5 大正文語訳聖書

「モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。」 口語訳聖書

 「農夫の足跡」

「一番の肥料は農夫の足跡」という。やっと芽を出したジャガイモに「がんばってるな。まだ寒かろう」などと声をかけて歩く、その足跡が野菜を育てる。花も「きれいだね」とほめてやると色もあでやかに咲くそうである。 「良いことの知らせを伝える」とてもシンプルな足跡である。ただ、これもやりすぎてはいけない。作物は手をかけすぎるとストレスから成長をストップしてしまうからである。

(心のデボーション4122)

心のデボーション4123

「是その愛しみ給ふ者によりて我らに賜ひたる恩惠の榮光に譽あらん爲なり」 エペソ1:6 大正文語訳聖書

「これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。」 口語訳聖書

 「無償の恩恵」

「我らに賜ひたる恩惠の榮光τῆς χάριτος αὐτοῦ , { ἐν ᾗ ⬪ ἧς } ἐχαρίτωσεν ἡμᾶς ἐν τῷ ἠγαπημένῳ 」。(エペソ1:6)神は「恵み(無償の恩恵)χάρις」をわたしたちに「惜しげなく授けられるχαριτόω」。カナンの女のように「小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」と願えばよい。(マタイ15:21-28)

(心のデボーション4123)

心のデボーション4124

「キリストとその復活の力とを知り、又その死に效ひて彼の苦難にあづかり、」 ピリピ3:10 大正文語訳聖書

「すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、」 口語訳聖書

 「コイノニア」

キリストの苦しみに「あずかる」は、苦しみと「コイノニアκοινωνία 交わる」ことである。「コイノニア」という言葉は、一つのいのちに生かされ、パートナーになるという意。キリストに従う人は、その苦しみと親密になり、一つに結ばれ、気のおけない仲間になる。それができるのは、私が「キリストとその復活の力」を知ったからである。苦悩の意味が変化したのだ。
(心のデボーション4124)

心のデボーション4125

「わが斯くも汝ら衆を思ふは當然の事なり、我が縲絏にある時にも、福音を辯明して之を堅うする時にも、汝らは皆われと共に恩惠に與るによりて、我が心にあればなり。」 ピリピ1:7

「わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからである。」 口語訳聖書

 「共にあずかる」

パウロは自身が「獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも」、一人ひとりが「共に恵みにあずかる者συγκοινωνός」としてあることを、忘れることはなかった。パウロは、一人一人が神の恵みにあることを思うごとに、目の前の困難から慰めと力を得た。

(心のデボーション4125)

心のデボーション4126

「驕傲は滅亡にさきだち誇る心は傾跌にさきだつ」 箴言16:18 明治元訳聖書

「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。」 口語訳聖書

 「二羽の雄鶏と鷲」

イソップ寓話の「二羽の雄鶏と鷲」のお話では、雌鶏をめぐって争いに勝利した雄鶏が空高く飛びあがって高い塀の上で勝どきをあげた。するとそれを狙っていた鷲が鋭い爪で雄鶏を捕らえる。(「イソップ寓話集」 20 山本光雄訳 岩波書店1942/2) 塀の上で勝利宣言などすべきではない。新たな敵を招くことにしかならない。

(心のデボーション4126)

心のデボーション4127

「ヤコブ、パロにいひけるはわが旅路の年月は百三十年にいたる我が齡の日は僅少にして且惡かり未だわが先祖等の齡の日と旅路の日にはおよばざるなり」 創世記47:9 明治元訳聖書

「ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。」 口語訳聖書

 「眠り姫」

「眠り姫」はいつも何かを待っている。いつか輝かしい生の始まるのを期待して、すべてを凍結する。今は本当の自分ではなく、いつか自分を目覚めさせてくれるナイトが現れるのを信じている。忘れてはならないことは、そうしている間にも、生は刻々と時を刻んでいることである。ヤコブは年老いて自分の人生を「苦労が多く、不幸せ」だったと告白する。ヤコブほど自分の幸せのために争い、傷ついた人はいない。しかし、ヤコブほど心を癒された人もまたいない。ヤコブは眠り姫ではなく、いつも現実に目覚めている人だった。

(心のデボーション4127)

心のデボーション4128

「凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。」 Ⅰコリント13:7 大正文語訳聖書

「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 口語訳聖書

 「おほよそ事信じ」

内村鑑三は「おほよそ事信じ」は「何事によらず之を信ずとの意に非ず、凡ての事実是れ信じとの意ならざるを得ず」と言う。「事実」とは何かが、まず問われる。その問いが、重要な意味をもつ時代に入った。「信じる」ことの意味と責任の深さである。

(心のデボーション4128)

心のデボーション4129

「されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」 マタイ5:28 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」 口語訳聖書

 「四十五度」

このみ言葉(マタイ5:28)に苦しまない男性はいないのではないか。私の場合、中学生の頃から教会に通い、友人からは「超まじめ人間」として見られていた。しかし、「真面目な心」に「みだらな思い」が隠されていることは否定できず、それなら女性を見ないようにする以外にないと決意し、四十五度の角度で上を見て女性を見ないで歩く訓練をした。しかし、それでは知人を見ずに通り過ぎる「弊害」に、断念せざるを得なかった。私は教会に行くようになってから、自分がそれほど真面目でも、清潔な人間でもないことを深く理解した。光が強ければ影も濃いのである。

(心のデボーション4129)

心のデボーション4130

「誰にても天にいます我が父の御意をおこなふ者は、即ち我が兄弟、わが姉妹、わが母なり』」 マタイ12:50 大正文語訳聖書

「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」 口語訳聖書

 「主にある兄弟姉妹」

「兄弟 ἀδελφός」は「α 共通の、同じ+δελφύς 胎」で、α は「否定」と「連結」の意味を持つ。この場合「連結」であり「共通の、同じ胎から出た者」を意味する。「自分と同じ親を持つ者」のことで、同じ胎から生まれた者の意味。キリスト者は互いに「同じ胎(神の胎)から生まれた兄弟」である。
だが、しばしば、兄弟間に深刻な確執が生まれ、人間の根源的な意味を問う。(教会においても「兄弟姉妹」にしばしば深刻な対立が生まれることを隠すことはできない)神がおられる限り、我々は兄弟間の確執(そして教会内、ひいては教団、そして異宗教間の対立)に立ち会い、新しい意味を見つけなければならない。

(心のデボーション4130)

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