心のデボーション411

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

心のデボーション4101

「バプテスマのヨハネ出で、荒野にて罪の赦を得さする悔改のバプテスマを宣傳ふ。」 マルコ1:4  大正文語訳聖書

「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた」 口語訳聖書

 「悔い改め」

バプテスマのヨハネはユダの曠野にあらわれ、「悔い改めのバプテスマβάπτισμα μετανοίας」を授けた。(マルコ1:4)「悔い改めμετάνοια」は「理解力・理性・知性・思考の根源を変える」の意である。「悔い改め」を意味するヘブル語は ‎תּשׁוּב‏ָה で、その原意は「立ち返り」である。「理解力・理性・知性・思考の根源を変える悔い改め」は神への立ち返りによってはじまる。

(心のデボーション4101)

心のデボーション4102

「ヱホバ家をたてたまふにあらずば 建るものの勤勞はむなしく ヱホバ城をまもりたまふにあらずば衛士のさめをるは徒勞なり」 詩篇127:1  明治元訳聖書

「主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。」 口語訳聖書

 「暮らすべき家」

古代ケルト語で「身体」は「暮らすべき家」(ハウス・オブ・ビロンキング)と呼ばれ、                 肉体は「魂のためのこの世の家」と考えられた。自分の身体は主がお建てくださった「暮らすべき家」である。そう考えれば、間どりはどうか、窓にどんなカーテンをかけるか、考えるのも楽しい。ベースメントには「暖炉」が欲しいところだ。しかし、問題はそこで誰と暮らすかである。

(心のデボーション4102)

心のデボーション4103

「エリサベツ石女なれば、彼らに子なし、また二人とも年邁みぬ。」 ルカ1:7  大正文語訳聖書

「ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。」 口語訳聖書

 「その日に於て邁みたる者」

アビヤの組の老祭司ザカリヤと妻エリサベツは「ふたりともすでに年老いていた」(ルカ1:7)「年老いる」はπροβεβηκότες ἐν ταῖς ἡμέραις αὐτῶν ἦσανで、直訳は「彼らの日々が前に進んでいた」である。永井直治聖書は「双方ともその日に於て邁みたる者なりき」と訳す。「邁」は「勢い激しく進む」の意。老いてからも、時は進む速度を緩めない。ザカリヤとエリサベツは老いの日々を落ち度なく踏み進んでいた。

(心のデボーション4103)

心のデボーション4104

「われ我心に合ふ牧者を汝等にあたへん彼等は知識と明哲をもて汝等を養ふべし」 エレミヤ3:15  明治元訳聖書

「わたしは自分の心にかなう牧者たちをあなたがたに与える。彼らは知識と悟りとをもってあなたがたを養う。」 口語訳聖書

 「隠し事」

母親は息子がポルノ雑誌を隠しているのを見つけたりすると、うろたえてしまうかもしれない。しかし、それを「いやらしい」と決めつけられると、男の子は自分の性を「汚れたもの」として恥じるようになる。黙って片付けたりすると、母親という存在に不気味な視線を感じるようになる。子どもの秘密は口出しせずに大切にしてあげる。それが牧者の「知識と分別」ではないか。やがて子どもは自分で性の在り方を判別できるようになる。

(心のデボーション4104)

心のデボーション4105

「イエスは苦難をうけしのち、多くの慥なる證をもて、己の活きたることを使徒たちに示し、四十日の間、しばしば彼らに現れて、神の國のことを語り」 使徒1:3  大正文語訳聖書

「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。」 口語訳聖書

 「復活のいのち」

イエスは十字架の死から復活され、多くの弟子たちに「自分の生きていることἑαυτὸν ζῶντα」をお示しになった。「生きるζάω」は「沸き立つ、煮えたぎる」であり、この語には「生活する」の意もある。「復活のいのち」は「新しい生活の内に沸き立つ、煮えたぎるいのち」であった。(使徒1:3)

(心のデボーション4105)

心のデボーション4106

「潔き靈によれば、死人の復活により大能をもて神の子と定められ給へり、即ち我らの主イエス・キリストなり。」 ロマ1:4  大正文語訳聖書

「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」 口語訳聖書

 「復活」

死人からの復活により、主イエスは「御力をもって神の御子と定められた」。(ロマ1:4)「復活ἀνάστασις」の原意は「立ち上がる」で、そこから「眠りからさめる、よみがえる」の意になった。復活の信仰は「伏せたる者を立ち上がらせ」新しいいのちに導く。(ロマ1:6)

(心のデボーション4106)

心のデボーション4107

「人みな勇士の糧をくらへり 神はかれらに食物をおくりて飽足らしめたまふ」 詩篇78:25  明治元訳聖書

「人は天使のパンを食べた。神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた。」 口語訳聖書

 「天使のパン」

エジプトを脱出したイスラエルの民は、シンの荒野でマナを食べた。朝早く、人々が宿営の外に出てみますと、露がかわいたあとに、地面にうすくうろこのように白く積もったものがあり、「マーン・フー これは何だろう」といったところから「マナ」と呼ばれるようになった。食べると甘く、臼でついた餅のようにして食べた。詩人はこれを「天使のパンἄρτον ἀγγέλων」(詩篇78:25)と呼ぶ。これを味わえるのは荒野においてである。

(心のデボーション4107)

心のデボーション4108

「さらばなんぢ神と人との前に恩寵と好名とを得べし」 箴言3:4  明治元訳聖書

「そうすれば、あなたは神と人との前に/恵みと、誉とを得る。」 口語訳聖書

 「誉れ」

「人間の誉れは、父を敬うことから来る。子の恥は、母の不名誉から来る。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:11  フランシスコ会訳聖書)(「人間の栄誉は、父の名誉に発し/名誉を失った母は、子どもにとって恥である。」聖書協会共同訳聖書) 人間の栄誉は「敬い」に発する。「敬い」のないところでは、いかなる栄誉も輝きを失う。真の栄誉は「父なる神を敬う者」にある。「名誉を失った母(父)」ほど、子どもを悲しませるものはない。しかし、その子にも「父なる神」がその栄誉を失うことはない。

(心のデボーション4108)

心のデボーション4109

「されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」 マタイ5:28 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」 口語訳聖書

 「健康な性的感情」

マタイ5:28と男女の健康な性的感情を区別しなければいけない。一方は「禁じられた行為を意志し、欲求することであり、健康的なそれはいのちの自然な感情である。しかし、どちらも「みだらな思いἐπιθυμέω」という性格を持つ。愛は両者の違いをよく理解する。

(心のデボーション4109)

心のデボーション4110

「かくのごとく此の小き者の一人の亡ぶるは、天にいます汝らの父の御意にあらず。」 マタイ18:14  大正文語訳聖書

「そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。」 口語訳聖書

 「これらの小さい者のひとり」

「子」は父が生ませ、母が生む。父は生まれた子の父となり、母は生まれた子の母となる。子は「未熟な大人」ではない。子たる成熟した人格をもち、父や母と固有の関係を結ぶ者として生まれてくる。「子」はすでに神との交わりの中にあり、神を慕う者である。

(心のデボーション4110)

コメント