心のデボーション410

デボーション1
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心のデボーション4091

「我らの見しところ聞きし所を汝らに告ぐ、これ汝等をも我らの交際に與らしめん爲なり。我らは父および其の子イエス・キリストの交際に與るなり。」 Ⅰヨハネ1:3  大正文語訳聖書

「すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。」 口語訳聖書

 「交わり」

ヨハネはイエス・キリストとの間につらつら見て、手で触れ、聴く交わり(κοινωνία)をもった。そしてヨハネはその交わりを人と分かつ(κοινωνίαする)のである。「交わりκοινωνία」の中心にイエス・キリストがおられる。(Ⅰヨハネ1:3)

(心のデボーション4091)

心のデボーション4092

「かつ彼等をして若き女に夫を愛し、子を愛し、」 テトス2:4  大正文語訳聖書

「そうすれば、彼女たちは、若い女たちに、夫を愛し、子供を愛し、」 口語訳聖書

 「子どもを愛せない母親」

アフリカのカメルーンで猟師が一頭の幼いゴリラを捕らえて村に帰ったところ、六十頭ものゴリラが子どものゴリラを救おうと村を襲った。村人が銃で威嚇すると、一旦は引き上げたが、翌日、再びやって来て家々のドアを激しく叩いた。村人が幼いゴリラを群れに渡したところ、彼らはおとなしく森に帰ったという。子どもに愛を感じない母親というのは、どこかで内なる自然がそこなわれているのかもしれない。 φιλότεκνοςは「子どもへの愛」である。(テトス2:4)

(心のデボーション4092)

心のデボーション4093

「願はくは憐憫と平安と愛と、なんぢらに増さんことを。」 ユダ1:2  大正文語訳聖書

「あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。」 口語訳聖書

   「はびこりますように」

「豊かに加わるようにπληθύνω」は「一杯になりますように、隅々まではびこりますように」の意。「あわれみと平安と愛があなたがたたの内の隅々にはびこりますように」。(ユダ1:2)

(心のデボーション4093)

心のデボーション4094

「われ山にむかひて目をあぐ わが扶助はいづこよりきたるや」 詩篇121:1  明治元訳聖書

「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。」 口語訳聖書

 「私をあてにして」

ナチによるユダヤ人迫害が激化しているとき、危険をおかしてユダヤ人の友人達に「私をあてにして」と電話し、隠れ家を提供した女性がいた。困っている人に「私をあてにして」という言葉をかけることが、どれほど難しいことかを知らない人はいない。詩人は一人荒野に向かい、そこで自分を裸にして、神と対決している。この内的な戦いを経て初めて、人の弱さに寄り添うことができるのではないか。助けは天地を造られた主から来る。(詩篇121:1)「助けβοήθεια」は「悲鳴を聞いて駆けつけること」の意である。

(心のデボーション4094)

心のデボーション4095

「されど愚なる議論・系圖・爭鬪、また律法に就きての分爭を避けよ。これらは益なくして空しきものなり。」 テトス3:9  大正文語訳聖書

「しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。」 口語訳聖書

 「ヘロデと系図」

ユダヤ人は系図に特別な関心を寄せた。系図は重要なもので子供が生まれると記録され会議所に厳重に保管された。家系図を失った祭司は祭司職に就く事を禁じられている。(エズラ2:61-63)しかし、ヘロデ大王は自分の家系に半分エドム人の血が混じっていたためユダヤ人からは軽蔑されることになった。ヘロデはそれを恥じて記録係の役人を殺害し、自分の不完全な家系図を隠そうとしたばかりか、ユダヤ全国の家系図を焼き捨てるよう命じたという。(エウセビオス「教会史」1章7節)マタイのイエスの家系図はヘロデ大王の命令にもかかわらず残されたものである。

「ヘロデは、イスラエル人としての一族の系図などは、自分には何の役にも立たなかったのと、自分の出自の卑しさを知って衝撃をうけ、自分の一族の系図を焼き払ってしまった。彼は、もし人が公共の記録から彼の一族を、(ユダヤ人の)祖父や、改宗者、ゲイオラスと呼ばれる混合者などに遡らせることさえできなければ、自分の出自のよさを見せかけることができると考えたのである」(エウセビオス「教会史」より 「ゲイオラス geio-ras」はヘブル語「ゲル よそ者」の音訳)(テトス3:9)

(心のデボーション4095)

心のデボーション4096

「家と資財とは先祖より承嗣ぐもの 賢き妻はヱホバより賜ふものなり」 箴言19:14  明治元訳聖書

「家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。」 口語訳聖書

 「民族アイデンティティ」

「系図」は個人のアイデンティティと深くかかわる。それは個人が家系、血筋,血統をもつのみでなく、その民族、人種アイデンティティに生きる者であることを示す。いかなる「系図」も、「私」が人間の「祝福と呪い」を生きる者であることを証する。「純粋な系図」というものはない。「血の流れ」は「私」の、重く避けることのできない荷物である。しかし、信仰者は、己が「血の流れ」と向き合い、そのアイデンティティを受容することを厭わない。キリスト者になることは日本人のアイデンティティを損なうのではなく、むしろそれを完成することに新たな信仰を見出すからである。だが、そのプロセスは単純に「民族アイデンティティ」を継承することなどではない。その「祝福と呪い」と向き合うことなしに、新たなアイデンティティを見出すことはできない。そのようにして獲得されたアイデンティティは常に新たなものである。(箴言19:14)

(心のデボーション4096)

心のデボーション4097

「姦淫するなかれ」と云へることあるを汝等きけり」 マタイ5:27 大正文語訳聖書

「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています」 新改訳聖書

 「姦淫するなかれ」

アジアのある国のエアポートで、見知らぬ男から声をかけられた。「まず今夜の女性を選んでください。それからホテルにお送りします」という。丁寧にその意志のないことを告げたが、私が日本人であることがわかると、何人もの同様の男たちが近寄ってきた。私は日本人男性がこの国で行っていることに心から恥じ、申し訳なく思った。

(心のデボーション4097)

心のデボーション4098

「ヨハネ書をアジヤに在る七つの教會に贈る。願はくは今在し、昔在し、後來りたまふ者、および其の御座の前にある七つの靈、」 黙示1:4  大正文語訳聖書

「ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、」 口語訳聖書

 「昔いまし、やがてきたるべきかた」

「今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから…、恵みと平安とが、あなたがたにあるようにχάρις ὑμῖν καὶ εἰρήνη ἀπὸ ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος」。(黙示1:4-5)恵みと平安は「今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかた」から来る。「今」を思うとき「昔いまし、やがてきたるべきかた」を思い起こし、「昔」を思うとき「今いまし、やがてきたるべきかた」を忘れてはならず、「やがてきたるべきこと」を思うとき「今いまし、昔いまされたかた」を常に思うべきである。今ある恵みと平安は現在、過去、未来の全体にあって、現在と過去と未来を形成する。

(心のデボーション4098)

心のデボーション4099

「されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」 マタイ5:28 大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」 口語訳聖書

 「みだらな思い」

「みだらな思いで他人の妻を見る者ὁ βλέπων γυναῖκα πρὸς τὸ ἐπιθυμῆσαι」(マタイ5:28)は、原文で「禁じられていることを欲して女を凝視する者」である。「見るβλέπω」は「じっと見る、凝視する」こと。彼はすでに「姦淫」している。 

「むなしいものを見ようとすることから、わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って、命を得ることができますように」 詩篇119:37

見ることによって穢れを呼び込む「眼差しの罪」というものがある。

(心のデボーション4099)

心のデボーション4100

「かく神の言を賜はりし人々を神と云へり。聖書は廢るべきにあらず」 ヨハネ10:35  大正文語訳聖書

「もし、神のことばを受けた人々を、神々と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、」 口語訳聖書

 「聖書」

ギリシャ語で聖書はγραφή「かかれたもの」であらわされる。英語の Bibleはラテン語 biblia「書物、本、文書、手紙」からきている。「書βίβλος」は「パピルス」、エジプト産の葦「パプロス πάπυρος」の茎の繊維(<植>カミカヤツリ(パピュロス、古代エジプトの紙の原料)で作った紙を糊で繋いで作られた長い巻物であった。(ラテン語で volumen 「巻く」を意味するラテン語 volvere に由来する。英語のvolume は「音量、巻、体積、量」の意味である。パピルスの巻物は、再び読むにも全部を広げる必要があり、使い勝手の悪いところもあった。

ラテン語 liber は、もともと「樹皮」を意味したことばであったが、やがて「本」をあらわすようになった。

図書館 library もラテン語 liber が語源である。ヤングは「系図の書」が巻物であったところから、「The book of the generation」を「A roll of the birth」としている(Young’s Literal Translation)。

(心のデボーション4100)

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