心のデボーション408

デボーション1
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心のデボーション4071

「汝等死る人のために己が身に傷くべからずまたその身に刺文をなすべからず我はヱホバなり」 レビ19:28 明治元訳聖書

「死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。」 口語訳聖書

 「入れ墨」

2018年3月、大英博物館は古代エジプトのミイラ男女2体の上腕部に入れ墨のあるのを確認したと発表した。男性の入れ墨は野生の雄牛と羊で、女性にはS字型のモチーフが彫られていた。1991年9月にオーストリアとイタリヤの国境の山岳部で発見された5000年以上前の「凍結ミイラ(アイスマン)」の体にも61の入れ墨があった。

入れ墨は古代より知られて、何らかの呪術的意味をもつと思われるが定かではない。

旧約聖書の律法は「死人のために自分の身を傷つける行為」を禁じ、「身に入れ墨(στικτός)をしてはならない」と定めた。呪術的世界を表現するものを退けるための戒めであろう。(レビ19:28)

(心のデボーション4071)

心のデボーション4072

「しかるにヱホバ、サムエルにいひたまひけるは其容貌と身長を觀るなかれ我すでにかれをすてたりわが視るところは人に異なり人は外の貌を見ヱホバは心をみるなり」 Ⅰサムエル16:7  明治元訳聖書

「しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。」 口語訳聖書

 「仮面」

うわべというのも大切である。人は多くの顔を持って生きる。いわば、仮面のようにさまざまな面があ。仮面は自分の役割を果たすためになくてはならないものである。しかし、職場で見せる顔がそのまま家族や友人の関係に持ち込まれるのは危険である。仮面がいつの間にか自分の素顔になってしまう恐さがある。役割から離れた自分というものを素直に表現できるようにしておきたい。それが、人が「うわべではなく心を見られる神」の前に立つ理由ではないだろうか。(Ⅰサムエル16:7)

(心のデボーション4072)

心のデボーション4073

「是なんぢに在る虚僞なき信仰をおもひ出すに因りてなり。その信仰の曩に汝の祖母ロイス及び母ユニケに宿りしごとく、汝にも然るを確信す。」 Ⅱテモテ1:5  大正文語訳聖書

「また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。」 口語訳聖書

 「住み込む」

信仰は、まず祖母ロイズと母ユニケに宿り、そしてテモテに宿った。「宿るἐνοικέω」は「住みこむ、内在する」の意。心の深くに内在した信仰は、子らのこころに深く住み込む。(Ⅱテモテ1:5)

(心のデボーション4073)

心のデボーション4074

「昔の日を憶え過にし世代の年を念へよ汝の父に問べし彼汝に示さん汝の中の年老に問べし彼ら汝に語らん」 申命記32:7  明治元訳聖書

「いにしえの日を覚え、代々の年を思え。あなたの父に問え、彼はあなたに告げるであろう。長老たちに問え、彼らはあなたに語るであろう。」 口語訳聖書

 「過去を新しく」

過去という部屋に入ることが、とてもつらく感じられることがある。その戸をかたく閉ざそうとすれば、自責の思いはますます強まる。過去の日々を「思い出せ」という勧めは、過去の意味を新しく問うためである。過去という部屋で泣きたければ、思い切って泣いてしまうことだ。そのようにして、過去を「置き換えて」みると、「今」がとても新鮮なものに感じられるようになる。「いにしえの日を覚えμνάομαι(remanber,mindful)」は「求婚する、得ようとする」の意。古の日々を請い求めよ。(申命記32:7)

(心のデボーション4074)

心のデボーション4075

「わが汝をクレテに遣し置きたる故は、汝をして缺けたる所を正し、且わが命ぜしごとく町々に長老を立てしめん爲なり。」 テトス1:5  大正文語訳聖書

「あなたをクレテにおいてきたのは、わたしがあなたに命じておいたように、そこにし残してあることを整理してもらい、また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない。」 口語訳聖書

 「完全に整える」

パウロがテトスをクレテに残したのは、「残してあることを整理すること」と「町々に長老を立てる」ためであった。(テトス1:5)「整理するἐπιδιορθόω」は「完全に整理する、改善する」で、「残った部分を、続いて整理し完了する」の意である。クレテ島にある教会には偽教師の問題があり、パウロは自分が去ったあとに、教会を完全に整えるようテトスを残したのである。教会は常によく整えられなければならない。(テトス1:5)

(心のデボーション4075)

心のデボーション4076

「我らの姉妹アピヤ、我らと共に戰鬪をなせるアルキポ及び汝の家にある教會に贈る。」 ピレモン1:2 大正文語訳聖書

「妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。」 口語訳聖書

 「家の教会」

教会は町や都市に建てられるとともに、信徒の自宅にも建てられ、「家にある教会οἶκόν σου ἐκκλησίᾳ」と」呼ばれた。(ピレモン1:2  ロマ16:5)「家」は神の御言葉の語られる公の教会である。

「ピレモンの家」(ピレモン1:2)
「アクラとプリスキラの家」(Ⅰコリント16:19)
「ヌンパの家」(コロサイ4:15)
「マルコと呼ばれるヨハネの母マリヤの家」(使徒12:12)

(心のデボーション4076)

心のデボーション4077

「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。」 マタイ5:4  大正文語訳聖書

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」 口語訳聖書

 「悲しむ人」

事故で全身の機能を失った人が、残されたわずかの機能を生かして美しいものを創る。この人が事故に遭わなかったら、その才能は眠ったままだったかもしれない。あきらめないで、わずかに残された機能に工夫を重ねていくうちに、隠れた才能が動きはじめる。体の機能を失うのが不幸でないはずはない。しかし、何一つ失っていないのに、それを生かす幸せも慰めも感じられないのはもっと不幸かもしれない。

「慰められるπαρακαλέω」は「傍に呼ばれる」の意である。(マタイ5:4)

(心のデボーション4077)

心のデボーション4078

「この末の世には御子によりて、我らに語り給へり。神は曾て御子を立てて萬の物の世嗣となし、また御子によりて諸般の世界を造り給へり。」 へブル1:2  大正文語訳聖書

「この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」 口語訳聖書

 「もろもろの世界」

神によって創造された「もろもろの世界αἰών」は「御子」について語る。移り行くものの中に、変わることのない御子がおられる。(へブル1:2)

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」ヨハネ1:14

(心のデボーション4078)

心のデボーション4079

「姦淫するなかれ」と云へることあるを汝等きけり」 マタイ5:27 大正文語訳聖書

「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。」 口語訳聖書

 「結婚の定め」

「答へて言ひたまふ『人を造り給ひしもの、元始より之を男と女とに造り、而して、「かかる故に人は父母を離れ、その妻に合ひて、二人のもの一體となるべし」と言ひ給ひしを未だ讀まぬか。されば、はや二人にはあらず、一體なり。この故に神の合せ給ひし者は、人これを離すべからず』」 マタイ19:4~6 大正文語訳聖書

神は人を男と女に創造され、「人は父母を離れ、その妻に合ひて、二人のもの一體となるべし」と祝福された。(創世記2:24)さらに男と女の結婚は、神と人間の関係をあらわす「型」となった。姦淫は結婚の定めを破壊する行為であり、さらに、それは神と人の関係を裏切り他の神々を慕ってこれと結ばれようとする偶像崇拝を意味したのである。

「姦淫するなかれΟὐ μοιχεύσεις」は男女間の守るべき性的道徳というよりも、男と女の結婚が人間の基本的な関係であり、その崩れは人間性の破壊を意味することを教えるものである。

性の乱れは人間性の根源的な否定をもたらす。(マタイ5:17)

(心のデボーション4079)

心のデボーション4080

「さらば誇るところ何處にあるか。既に除かれたり、何の律法に由りてか、行爲の律法か、然らず、信仰の律法に由りてなり。」 ロマ3:27  大正文語訳聖書

「すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。」 口語訳聖書

 「父の不名誉」

「父の不名誉を誇りとするな。父の不名誉は、お前にとって名誉ではない。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:10  フランシスコ会訳聖書) 子は父親の不名誉にどのように接するべきであろうか? ベン=シラの知恵は、「それを誇るな」と警告する。子どもは父親の不名誉を口にすることで自分の正しさを証ししようとする。父親の不名誉はこの名誉ではない。父親の不名誉は父親のものであり、子の名誉は子のものである。(ロマ3:27)

(心のデボーション4080)

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