心のデボーション407

デボーション1
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心のデボーション4061

「我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを。」 ロマ8:22  大正文語訳聖書

「実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。」 口語訳聖書

 「産みの苦しみ」

「被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けている」。(ロマ8:22) 神の創造された世界は「生みの苦しみ」を続ける世界であった。私たちの魂も「心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望む」(ロマ8:23)のである。この「望み」によって「私たちは救われる」(ロマ8:24) 「産みの苦しみσυνωδίνω」は「苦しみを分かち合う、陣痛を共にする、一緒に産みの苦しみをする」の意。聖霊は「聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さる」。(ロマ8:27)

(心のデボーション4061)

心のデボーション4062

「みよ子輩はヱホバのあたへたまふ嗣業にして 胎の實はその報のたまものなり」 詩篇127:3  明治元訳聖書

「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。」 口語訳聖書

 「言うことを聞かない子」

子どもには、いくら言い聞かせても言うことを聞かない頑固さがある。母親は自分が小さなわが子すら説得できないという無力感にとらわれる。そのみじめさから言うことを聞かせようとすると、子どもは怯えてよけいに動けなくなる。子どもは言うことを聞かなくても母親が好きなのだ。母親も言うことを聞かなくても子どもが好きになればよい。子どもは神から賜った神の祝福の嗣業(κληρονόμος「相続人」)であり、神から賜物(μισθός「返報、預かりもの」)である。(詩篇127:3)

(心のデボーション4062)

心のデボーション4063

「われ汝らを憶ふごとに、我が神に感謝し、」 ピリピ1:3  大正文語訳聖書

「わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、」 口語訳聖書

 「感謝」

パウロは教会の信徒たちを思うたびごとに神に感謝する。(ピリピ1:3) 持てるものを喜べなければ、喜びは永久にこない。「感謝εὐχαριστέω」は「感謝をもって受け入れる」の意。感謝は神への感謝からはじまる。

(心のデボーション4063)

心のデボーション4064

「惡目をもつ者は財をえんとて急がはしく 却て貧窮のおのれに來るを知らず」 箴言28:22  明治元訳聖書

「欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。」 口語訳聖書

 「空っぽの冷蔵庫」

「貪欲の人の邸宅の冷蔵庫はいつも空っぽ」ということばがある。彼らは立派な邸宅に住みながら、食料のようにすぐになくなるものにはお金を使いたがらない。ため込むばかりの「貪欲な人」には、自分が「欠乏」にとりつかれていることがわからない。そして、その「欠乏」は彼をさらに「貪欲ἁρπαγή」にする。人を貪欲から解放するのは「愛」である。愛が欠乏していると人は貪欲に走る。(箴言28:22)

(心のデボーション4064)

心のデボーション4065

「今いまし、昔いまし、後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ『我はアルパなり、オメガなり』 」 黙示1:8  大正文語訳聖書

「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。」 口語訳聖書

 「存在する人間」

マタイ1:1~17の「系図」は人間の歴史そのものである。イエスは人間そのものを内にもつ(身に負う)者として人の間に来られた。「個」としての私は、私にはじまり私に終わる存在ではなく、生きとし生けるものの、また存在するであろう、いのちのすべてを内に持つ者として、すなわち、すでに在りこれらも在り続ける者として今を生きる存在である。そして、人間の全経験は「イエス・キリスト」という中心に収斂されるのである。(黙示1:8)

「我らは神の中に生き、動きまた在るなり」(使徒17:28)

(心のデボーション4065)

心のデボーション4066

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7  明治元訳聖書

「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。」 口語訳聖書

 「東北学園大学」

東北学園大学の樋キャンパスにあるシュネーダー記念図書館(1953年完成)の入口に「ヱホバを畏るるは知識の本なり」(箴言1:7 津田郁筆)のプレートが掲げられている。「ヱホバを畏るるは知識の本なりἀρχὴ σοφίας φόβος θεοῦ」。「知識の本(もと)」はἀρχὴ「はじめ、発端、源、起源、根源」の意である。東北学院大学の建学の精神を示す。

(心のデボーション4066)

心のデボーション4067

「兄弟の愛を常に保つべし。」 へブル13:1  大正文語訳聖書

「兄弟愛を続けなさい。」 口語訳聖書

 「なじむ」

兄弟喧嘩ほどさみしいものはない。パウロもキリスト者の兄弟愛について、「互いに愛し合うことを神から教えられた人」と語っている。(Ⅰテサロニケ4:9) しかし、そう簡単に鎮まらないのが兄弟喧嘩である。兄弟喧嘩の最善の解決策は「なれてしまうこと」だと言われる。あってはならないことと思わず、「なじみ」にしてしまう。「なじむ」は調和し、とけあうことで、愛がなければできない。(へブル13:1)「兄弟愛φιλαδελφία」は、聖書において「神を愛する者達にある愛」意に使われる。

(心のデボーション4067)

心のデボーション4068

「ヱホバなんぢの憂と艱難とをのぞき 亦なんぢが勤むるからき役をのぞきて安息をたまふの日」 イザヤ14:3  明治元訳聖書

「主があなたの苦労と不安とを除き、またあなたが服した苦役を除いて、安息をお与えになるとき、」 口語訳聖書

 「不安」

2019年12月に中国ではじまった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の不気味さは、どんなにワクチンで対応しても、ウイルスはその都度姿を変えて変異し、ワクチンの効かない新たな脅威を世界に与えることにある。技術によって、このような不安(ἔμφοβος)を克服することはできない。(イザヤ14:3)

(心のデボーション4068)

心のデボーション4069

「まことに汝に告ぐ、一厘ものこりなく償はずば、其處をいづること能はじ」 マタイ5:26 大正文語訳聖書

「よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。」 口語訳聖書

「爾毫釐未償」 漢訳聖書

 「一厘」

「一コドラント」を大正文語訳聖書は「一厘」と訳す。漢訳聖書、日本正教会訳では「毫釐」となっている。「毫 (こう)」は長さでは一尺の万分の一、重量では一両の万分の一、面積では一畝の百分の一である。「釐(り)」は、長さでは一尺の千分の一、重量では一両の千分の一、面積では一畝の十分の一である。最小の単位をあらわす。

「償い」は微小な単位まで果たさなければならない。(マタイ5:26)

(心のデボーション4069)

心のデボーション4070

「汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん。」 Ⅰコリント10:13  大正文語訳聖書

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」 口語訳聖書

 「逃れの道」

自分がどんなに大きな危機から護られていたかは、その時にはわからないが、立ち止まって過去を振り返る人は誰でもが思うに違いない。神は試練を与えられるが、耐えられないような試練を与えることはない。そして、神は試練と共に「逃れの道ἔκβασις(出口、終わり)」も備えられる。(Ⅰコリント10:13)

(心のデボーション4070)

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