心のデボーション4031
「潔き靈によれば、死人の復活により大能をもて神の子と定められ給へり、即ち我らの主イエス・キリストなり。」 ロマ1:4 大正文語訳聖書
「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」 口語訳聖書
「復活」
神の「御力」は主イエスの「死人からの復活」に現わされる。「復活ἀνάστασις」は「立ち上がる、起き上がる」から「よみがえり、復活」を意味する。(ロマ1:4)「 死人の中から最初によみがえられた(死から立ち上がられた)」のはイエス・キリストである。(使徒26:23)
(心のデボーション4031)
心のデボーション4032
「汝らの新田を耕せ。荊棘(いばら)の中に種(ま)くなかれ」 エレミヤ4:3 明治元訳聖書
「主はユダの人々とエルサレムに住む人々にこう言われる、「あなたがたの新田を耕せ、いばらの中に種をまくな。」 口語訳聖書
「種を蒔く」
「私がいなければ、この人は立ち直れない」と相手に一方的に尽くす女性は、たいてい「いばらの中に種を蒔いて」いる。いばらの中に種を蒔けば、あとがおおごとである。実りを期待して手をのばすたびに、いばらに深く傷つけられる。「種」は「良き地」に蒔くことだ。いばらのはえていない「良き地」は、必ず残されている。まずは、自分の内に「良き地」を見つけ、種を蒔きたい。(エレミヤ4:3)
(心のデボーション4032)
心のデボーション4033
「汝らはキリストに在りて、諸般のこと即ち凡ての言と凡ての悟とに富みたればなり。」 Ⅰコリント1:5 大正文語訳聖書
「あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、」 口語訳聖書
「信仰の豊かさ」
キリストにあって、豊かさの土台は「言葉と知識」である。(Ⅰコリント1:5) 「ことばλόγος」は「生ける神のことば」すなわちイエス・キリストである。(ヨハネ1:1-5)「知識γνῶσις」は「λόγοςの認識」である。二つが結ばれて深い(生きた)信仰に導かれる。御言葉の豊かさが信仰の豊かさである。
(心のデボーション4033)
心のデボーション4034
「ヱホバは心のいたみかなしめる者にちかく在してたましひの悔頽れたるものをすくひたまふ」 詩篇34:18 明治元訳聖書
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」 口語訳聖書
「美しいゆがみ」
ゆがんだ器をすばらしい作品につくる陶芸家がいる。この人は美しいゆがみと惨めなゆがみがあるという。美しいと感じた、そこでやめる。そうしないと惨めにゆがんでしまうのだそうである。すばらしいゆがみ方というのが大事だと語る。それは、器が自らにゆがみを受け入れる瞬間ではないか。「心が打ち砕かれる」とは、そういうことだと思う。「心が砕けたσυντρίβω」は「こころが粉砕された、摺りつぶされた」の意。(詩篇34:18)
(心のデボーション4034)
心のデボーション4035
「この人まづ其の兄弟シモンに遇ひ『われらメシヤ(釋けばキリスト)に遇へり』と言ひて、」 ヨハネ1:41 大正文語訳聖書
「彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。」 口語訳聖書
「メシア」
イエスに出会ったアンデレは兄弟ぺテロに「私たちはメシア(Μεσσίας訳して言えば、キリスト)に会った」と告げた。(ヨハネ1:41) 「イエス」はヘブル語「יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア ”Jehovah is salvation主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名である。(現代ヘブライ語聖書で Chrisut はMessiah הַמָּשִׁיחַ )。「キリスト Χριστός くリストス」は動詞形「χρίω 油を注ぐ」からきた名である。ヘブライ語「םָשִׁיחַ メシーハー」、アラム語の「メシアーハー」のギリシャ名で「油そそがれた者、メシア」の意味である。
(心のデボーション4035)
心のデボーション4036
「すべて我がこれらの言をききて行はぬ者を、沙の上に家を建てたる愚なる人に擬へん。」 マタイ7:26 大正文語訳聖書
「また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。」 口語訳聖書
「母の呪い」
「父の祝福は、子供たちの家を強めるが、母の呪いは、その土台を覆す。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:9 フランシスコ会訳聖書)「母の呪い」とは、「母を尊ぶ」ことをしなかった子らに臨む報いのことである。それは洪水のように家の土台を打ち砕き何も残らない。(マタイ7:26)
(心のデボーション4036)
心のデボーション4037
「聲ラマにありて聞ゆ、 慟哭なり、いとどしき悲哀なり。 ラケル己が子らを歎き、 子等のなき故に慰めらるるを厭ふ」 マタイ2:18 大正文語訳聖書
「叫び泣く大いなる悲しみの声が/ラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」 口語訳聖書
「子どもの墓」
三内丸山遺跡では大人の墓と子どもの墓が区別されていた。子どもは土器に入れられ、住居の近くに埋葬されていた。考古学者は、土器が母親の胎を意味すると考えている。長くは生きられなかった子どもを、再び母胎に戻して、「又、うまれておいで」と語ったのかもしれない。ただ、忘れてはならないのは、どんな子どもも、充分に生きて神のもとに帰ったことである。(マタイ2:18)
(心のデボーション4037)
心のデボーション4038
「これキリストの證なんぢらの中に堅うせられたるに因る。」 Ⅰコリント1:6 大正文語訳聖書
「キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、」 口語訳聖書
「証し」
「キリストのための証しκαθὼς τὸ μαρτύριον τοῦ χριστοῦ」。(Ⅰコリント1:6)ギリシャ語で「殉教者μάρτυρ」は「証しμαρτυρία」からきたことばである。「証し」はいのちがけの「立証」を意味する。主がいのちがけでなされた福音は、いのちがけで証しすべき恵みである。キリストについての証しを持つ人は幸いである。(Ⅰコリント1:6)
(心のデボーション4038)
心のデボーション4039
「なんぢを訴ふる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴ふる者なんぢを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんぢは獄に入れられん」 マタイ5:25 大正文語訳聖書
「あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。」 口語訳聖書
「和解」
「和解εὐνοέω(好意をもつ)」を意味する英語 agreement の語根は grat- で、ラテン語 gratus (pleasing 喜ばす)である。
「和解」はまず、相手に好意をもつことから始まる。相手に好意をもつことなく「和解」しようとすれば、さらに相手を怒らせることになる。(マタイ5:25)
(心のデボーション4039)
心のデボーション4040
「われらを凡ての患難のうちに慰め、我等をして自ら神に慰めらるる慰安をもて、諸般の患難に居る者を慰むることを得しめ給ふ。」 Ⅱコリント1:4 大正文語訳聖書
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」 口語訳聖書
「慰めの人」
神の慰めを経験した人は、その慰めをもって、「あらゆる患難(θλῖψις)の中にある人々を慰めることができる」ようにされる。(Ⅱコリント1:4)人を慰めることができないのは、神の慰めの経験が浅いからである。深い信仰は「あらゆる患難の中」から生まれる。(Ⅱコリント1:4)
(心のデボーション4040)
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