心のデボーション4021
「此等のことを書き贈るは、我らの喜悦の滿ちん爲なり。」 Ⅰヨハネ1:4 大正文語訳聖書
「これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。」 口語訳聖書
「喜びの成就」
「わたしたちの喜びが満ちあふれるためであるἵνα ἡ χαρὰ ἡμῶν ᾖ πεπληρωμένη」。「充ち溢れるπληρόω」は「充満する、完全にする、成就する」の意。喜びを完全なものとする、喜びの充満を喜ぶ。ヨハネは喜びを為し終えんとして手紙を書いた。(Ⅰヨハネ1:4)
(心のデボーション4021)
心のデボーション4022
「神其像の如くに人を創造たまへり即ち神の像の如くに之を創造之を男と女に創造たまへり」 創世記1:27 明治元訳聖書
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」 口語訳聖書
「一番の敵」
重い障害をもって生まれた子どもを育てた母親がいる。長い間、周りの偏見と戦わなければならなかった。しかし、彼女は「一番の敵は、自分の心の中の偏見だった」と告白する。「出来ることなら、もう一度胎内に入れて産み直したい。この子の生を消したい。でも消すことはできない」という思いが彼女を苦しめた。すべてのいのちは「神のかたちκατ᾽ εἰκόνα θεοῦ」につくられ、「神のかたち」を生きる。(創世記1:27)
(心のデボーション4022)
心のデボーション4023
「そは敬虔ならずして我らの神の恩惠を好色に易へ、唯一の主なる我らの主イエス・キリストを否むものども潜り入りたればなり。彼らが此の審判を受くべきことは昔より預じめ録されたり。」 ユダ1:4 大正文語訳聖書
「そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。」 口語訳聖書
「厚かましさ」
「不信仰な者たち」は教会に忍び込み、「神の恵みを放縦な生活に変え」ようとする。(ユダ1:4)「放縦な生活ἀσέλγεια」は「放縦、尊大、傲慢、好色な生活」の意。不信仰は神への信仰を容易に好色で放縦なものに変える。イエズス・キリストが否定されるところでは不信仰が厚かましい行為に走る。(ユダ1:4)
(心のデボーション4023)
心のデボーション4024
「ここにクプロに生れたるレビ人にて、使徒たちにバルナバ(釋けば慰籍の子)と稱へらるるヨセフ、」 使徒4:36 大正文語訳聖書
「クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、」 口語訳聖書
「バルナバ」
人のために何もしてあげられない自分を悲しむことはない。役に立たなければ愛されないと思っているなら、その人は役に立つ人しか愛さない人であるのかもしれない。人が本当に必要とするのは、悲しい時、思いっきり悲しませてくれる人である。ヨセフは誤解を受けて孤独になっている人の世話を黙々とする人だった。それでバルナバ「慰めの子」と呼ばれたのではないか。役に立つ人になるよりバルナバになればよい。
(心のデボーション4024)
心のデボーション4025
「二人ながら神の前に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。」 ルカ1:6 大正文語訳聖書
「ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。」 口語訳聖書
「落ち度なき者」
老祭司ザカリヤは妻エリサベツと共に主に仕え、「主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた」。(ルカ1:6) 「落ち度なくἄμεμπτος」は「非難されることなく、非の打ち所がなく」の意。しかし、そのザカリヤも天使ザカリヤのことばを信じることができず、そのことが起こるまで物を言うことができなくなる。(ルカ1:11-66)物事をみな非の打ち所がなくなせる人も完全ではない。落ち度多き者を「落ち度なき者」として祝福される神を褒めたたえよ。
(心のデボーション4025)
心のデボーション4026
「そは汝らの信仰の驗は、忍耐を生ずるを知ればなり。」 ヤコブ1:3 大正文語訳聖書
「あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。」 口語訳聖書
「刃のねばり」
「信仰」は試されることによって、「忍耐ὑπομονη」が生み出される。(ヤコブ1:3) 「忍」は「心+刃」からなり、鍛え上げられた刀の刃のようなねばり強い心」をあらわす。ὑπομονηは動詞ὑπομένω「ὑπό 下に+μένωとどまる」の名詞形で、「忍耐」は「後に残る、残留する、踏みとどまる」ことである。(ヤコブ1:3)
(心のデボーション4026)
心のデボーション4027
「此の預言の言を讀む者と之を聽きて其の中に録されたることを守る者どもとは幸福なり、時近ければなり。」 黙示1:3 大正文語訳聖書
「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。」 口語訳聖書
「読む」
「読むἀναγινώσκω」は「ἀνά再び+γινώσκω知る」からなり、「再び知る、再認識する、正確に知る、確実にしる」の意。御言葉を読む者は、その意味するところを正確に、確実に知るべく、あらゆる手立てを尽くして読むのである。(黙示1:3)
(心のデボーション4027)
心のデボーション4028
「神のもとめたまふ祭物はくだけたる霊魂なり 神よなんぢは碎けたる悔しこころを藐しめたまふまじ」 詩篇51:17 明治元訳聖書
「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。」 口語訳聖書
「砕かれた心」
子どもは何と素直に身をあずけるだろうか。両手をあげて全身を投げかけてくる。心の打ち砕かれた人は、そのようにして、ゆるしを受け取る。愛は、ただ受け取る、それしかとるべき態度がない。その単純なことを知るために、心は打たれ、砕かれなければならなかったのである。愛とゆるしを受け取る時、心に灯がともる。この火を消してはならない。
(心のデボーション4028)
心のデボーション4029
「なんぢを訴ふる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴ふる者なんぢを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんぢは獄に入れられん」 マタイ5:25 大正文語訳聖書
「あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。」 口語訳聖書
「一緒に行く者」
「一緒に行く者」の訴えほど有効なものはない。裁判官はただちに有罪を認め、下役に投獄を命じる。
「一緒に道を行きたい」なら、「一緒に歩む者」の思いに鈍感であってはならない。「訴える者(ἀντίδικος告発者)」は、しばしば、一緒に歩む者の中にいる。(マタイ5:25)
(心のデボーション4021)
心のデボーション4030
「預言者イザヤの書に、 『視よ、我なんぢの顏の前に、わが使を遣す、 彼なんぢの道を設くべし。』」 マルコ1:2 大正文語訳聖書
「預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。」 口語訳聖書
「私の面前に」
「わたしは使をあなたの先につかわし᾽Ιδοὺ ἀποστέλλω τὸν ἄγγελόν μου」。(マルコ1:2)「先にπρόσωπον」は「顔、顔面」を意味し、「あなたの顔の前に」の意。神は道を整えるために「私の面前に」遣わされる。見誤ることはない。(マルコ1:2)
(心のデボーション4021)
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