心のデボーション4011
「智慧ある子は父の敎訓をきき 戯謔者は懲治をきかず」 箴言13:1 明治元訳聖書
「知恵ある子は父の教訓をきく、あざける者は、懲らしめをきかない。」 口語訳聖書
「父を敬う」
「主を畏れる者は、その父を敬う。そのような人は、主人に仕えるように、その生みの親に仕える。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:7 フランシスコ会訳聖書) ベン=シラの智慧が「父と母を敬え」と教えるのは、父母が「生みの親」だからである。この敬いは、いのちを「生み出される」創造の神への敬いに結びつく。「仕えるδουλεύω」は「奴隷として仕える、従う」で、「敬いをもって従う」の意である。
(心のデボーション4011)
心のデボーション4012
「地は皆爾の前にあるにあらずや請ふ我を離れよ爾若左にゆかば我右にゆかん又爾右にゆかば我左にゆかんと」 創世記13:9 明治元訳聖書
「全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」 口語訳聖書
「関係を断つ」
アブラハムはこれまで行動を共にしてきたロトとの間に争いが生じ、別れる(διαχωρίζω)ことになった。(創世記13:9)こじれた関係には、どこか本気になって解決を望んでいないところがある。一方では憎みながら、他方では依存している。思いきってその「癒着した関係」に決別をしなければならない時もある。別れるのが目的ではない。相手との執着を断つことによって、限りなく続く憎しみの関係を痛みをもって清算するのである。
(心のデボーション4012)
心のデボーション4013
「人々の飽きたるのち弟子たちに言ひたまふ『廢るもののなきように擘きたる餘をあつめよ』」 ヨハネ6:12 大正文語訳聖書
「人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。」 口語訳聖書
「パンを殺すな」
群衆がパンを食べ終わると、イエスは弟子たちに「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」と命じられた。(ヨハネ6:12)「無駄にするἀπόλλυμι」は「ἀπό完全に+ὄλλυμι滅ぼす」からなり、「破壊する、滅ぼす、殺す、なきものにする」の意。パンを無駄にすることは、パンを殺す行為である。(ヨハネ6:12)
(心のデボーション4013)
心のデボーション4014
「縦ひわれ患難のなかを歩むとも汝われをふたたび活し その手をのばしてわが仇のいかりをふせぎ その右の手われをすくひたまふべし」 詩篇138:7 明治元訳聖書
「たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。」 口語訳聖書
「鈍行」
電車に長い時間閉じ込められるのが苦痛な人もいる。閉所恐怖である。そういう人でも、各駅に停まる鈍行なら問題はない。閉じ込められることが不安に感じたら、すぐ次の駅で降りられるからである。乗り継げば、意外と遠い所までいける。急行でも鈍行でも、所要時間は驚くほど違うものでもない。苦しみの中で見つける歩みは、急行ではなく、鈍行のような気もする。「神の右手ἡ δεξιά σου」は様々な方法で私を救われる。(詩篇138:7)
(心のデボーション4014)
心のデボーション4015
「然れど福音の眞理の汝らの中に留らんために、我ら一時も彼らに讓り從はざりき」 ガラテヤ2:5 大正文語訳聖書
「わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。」 口語訳聖書
「共観福音書」
四福音書からヨハネ福音書を除くマタイ、マルコ、ルカの三福音書はイエスの御生涯に共通する記述が多いことから「共観福音書(英語Synoptic Gospels Συνοπτικά Ευαγγέλια)」とよばれ、それらを一覧にした共観表をσύνοψις(通観、概観)という。σύνοψιςは「σύν一緒に+ὄψις 見る、外観、外見」かたきて、「一緒に(全体で)見る」の意味である。
(心のデボーション4015)
心のデボーション4016
「そは汝らの信仰の驗は、忍耐を生ずるを知ればなり。」 ヤコブ1:3 大正文語訳聖書
「あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。」 口語訳聖書
「信仰のためし」
「信仰の試しτὸ δοκίμιον ὑμῶν τῆς πίστεως」。大正文語訳聖書は「信仰の驗(ためし)」と訳す。「驗」の会意は「馬を乗りくらべてよしあしを試す」の意。ギリシャ語「試しδοκίμιον」は「試験(検査)によって本物であることを証明する(その手段)」の意。あれこれの経験の中で信仰は本物であるかどうかが試される。(ヤコブ1:3)
(心のデボーション4016)
心のデボーション4017
「兄弟よ、もし人の罪を認むることあらば、御靈に感じたる者、柔和なる心をもて之を正すべし、且おのおの自ら省みよ、恐らくは己も誘はるる事あらん」 ガラテヤ6:1 口語訳聖書
「兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。」 口語訳聖書
「破れを繕う」
親切な人にとって「人を正す」のは、一つの誘惑かもしれない。しかし、勢い込んでも、思うほどに人は「正しく」なってくれない。「正す」という行為が、その人のためというよりも、自分の思いを通したいだけの場合が多いからである。聖書の「正すκαταρτίζω」は、「破れを繕う、完全にする」の意。なでたり、さすったりしながら一針一針、破れを繕うのが「正す」ことである。(ガラテヤ6:1)
(心のデボーション4017)
心のデボーション4018
「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、その大なる憐憫に隨ひ、イエス・キリストの死人の中より甦へり給へることに由り、我らを新に生れしめて生ける望を懷かせ、」 Ⅰペテロ1:3 大正文語訳聖書
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、」 口語訳聖書
「ほむべきかな」
どこにも「希望」が見いだせない時にも、「主イエス・キリストの父なる神」を褒めたたえるがよい。「讃むべきεὐλογέω」は「祝福する」の意。神への祝福が復活するところに「生ける望み」が生まれる。(Ⅰペテロ1:1)
(心のデボーション4081)
心のデボーション4019
「なんぢを訴ふる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴ふる者なんぢを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんぢは獄に入れられん」 マタイ5:25 大正文語訳聖書
「あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。」 口語訳聖書
「和解」
相手は絶望して裁判官に訴える気持ちになっているのに、わからないことが多い。そこまで相手を放置してきたことに気づいたら、ただちに和解(εὐνοέω「友になる、好意を抱く」)したい。人は自分の何が相手をそこまで怒らせたのか、わからないものである。(マタイ5:25)
(心のデボーション4019)
心のデボーション4020
「願はくは神および我らの主イエスを知るによりて、恩惠と平安と汝らに増さんことを」 Ⅱペテロ1:2 大正文語訳聖書
「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。」 口語訳聖書
「最大の祝福」
人間に与えられる最も大きな祝福は「神とイエスを知ること」である。「知るἐπίγνωσις」はἐπιγινώσκω「ἐπί 向かって+γινώσκω理解する」の名詞形で、「神に注意を向けること(注視すること)によって知る」の意である。知ろうとして霊と魂と心のすべてを傾ける。(Ⅱペテロ1:2)
(心のデボーション4020)
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