心のデボーション399

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心のデボーション3981

「人の歩履はヱホバによる 人いかで自らその道を明かにせんや」 箴言20:24  明治元訳聖書

「人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。」 口語訳聖書

 「諦め」

漢字「諦」は断念するの意で「諦める」と読み、同時にものごとをつまびらかにするの意をもつ。思い切ることは物事を明らかにすることで成る。諦めきれないのはまだ事を明らかにしたくないのである。断念しない精神は必ずしも全体を明らかにする(される)を拒むことによって支えられる。 「明らかにするνοέω」は「理解する、熟考する」の意である。(箴言20:24)

(心のデボーション3981)

心のデボーション3982

「兄弟の愛をもて互に愛しみ、禮儀をもて相讓り、」 ロマ12:10  大正文語訳聖書

「兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。」 口語訳聖書

 「新しい注射器」

アメリカでは公園で薬物中毒の少年に新しい注射器を渡すボランティアをする人がいる。古い注射器による感染症を防ぐには新しい注射器を使わせるしかないからだという。しかし、少年に新しい注射器を渡すことは薬物依存をうながすことにもなろう。「よいこと」には、いつも、ある危険な側面が含まれる。注射器を渡さない運動と、渡しながら危険性を訴える運動と、共に、悪を憎む心から出ている。(ロマ12:10)

(心のデボーション3982)

心のデボーション3983

「神よなんぢの嗣業の地のつかれおとろへたるとき豊かなる雨をふらせて之をかたくしたまへり」 詩篇68:9  明治元訳聖書

「神よ、あなたは豊かな雨を降らせて、疲れ衰えたあなたの嗣業の地を回復され、」 口語訳聖書

 「五風十雨」

「五風十雨(ごふうじゅうう)」は「五日に一度の風」と「十日に一度の雨」の意で、農作物が良く育つ最適の気候のこと。そこから「平穏無事」の意味に使われるようになった。平穏な生活にも「五風十雨」くらいの天候があって、むしろ好ましい。(詩篇68:9)

(心のデボーション3983)

心のデボーション3984

「汝の先祖等の知ざるマナを曠野にて汝に食せたまへり是みな汝を苦しめ汝を試みて終に福祉を汝にたまはんとてなりき」 申命記8:16  明治元訳聖書

「先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。」 口語訳聖書

 「貧しい石工」

昔、あるところに貧しい石工がつらい仕事をなげいて、せめて金持ちになりたいと願った。願いはかない、欲しいものは何でも買えるほどの金持ちになった。ある暑い日、彼は太陽が、いかに強いかに気付き、太陽になりたいと願い、太陽になると、雲のほうがもっと強いと雲になって雨を降らせた。しかし、雨にも流されない山に気づいて山になると足元を崩す者があり、見ると石工である。そこで彼は元の石工に戻ったという。しかし、彼は元の自分に戻ったのではなく、幸せ(μακάριος)を見つけたのではないだろうか。(申命記8:16)

(心のデボーション3984)

心のデボーション3985

「われ汝らを憶ふごとに、我が神に感謝し、」 ピリピ1:3  大正文語訳聖書

「わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、」 口語訳聖書

 「胸が詰まる」

パウロはピリピの信徒たちを常に「思い」、その都度神に感謝した。(ピリピ1:3) 「思うμνεία」は「思い起こす」の意。大正文語訳聖書は「憶ふごとに」と訳す。「憶」は「心+意」からなり、「口に出さずに、胸が詰まるほどに、心で思う」の意である。パウロの心はいつも諸教会の信徒たちのことで胸が詰まるほどであった。(ピリピ1:3)

(心のデボーション3985)

心のデボーション3986

「希望は恥を來らせず、我らに賜ひたる聖靈によりて神の愛われらの心に注げばなり。」 ロマ5:5  大正文語訳聖書

「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」 口語訳聖書

 「虫の居所」

人の体内には一匹の虫がいて、特殊な能力で人を見分けるという。一目で相手を見分けて、虫が気に入らないと「虫が好かない」といい、虫を無視すると「虫唾(酢)」を吐く。「虫唾が走る」ともうその人の何もかもが嫌になる。「虫の居所」を悪くしないのが寛容である。(ロマ5:5)

(心のデボーション3986)

心のデボーション3987

「是故に聽き別る心を僕に與へて汝の民を鞫しめ我をして善惡を辨別ることを得さしめたまへ誰か汝の此夥多き民を鞫くことを得んと」 Ⅰ列王記3:9 明治元訳聖書

「それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」 口語訳聖書

 「聞き分ける心」

自分はいつでも正しいと思っている人は他人の意見を聞こうとしない。譲歩するのは自分ではなく、常に他人だと思っているようだ。こういう人にとって間違いや弱さを認めることは、自分の世界が壊れてしまうほどに怖いことなのかもしれない。一歩退いて「聞き分ける心」をもってみると、新鮮な発見がある。相手の視点で見ると、それまで分からなかった解決の糸口が現れてくることもある。譲歩や妥協は、本当の強さがないとできないのではないだろうか。ソロモンは民を納める為に「聞き分ける心καρδίαν ἀκούειν」を祈った。(Ⅰ列王3:9)「聞き分ける心καρδίαν ἀκούειν」は神から来る。

(心のデボーション3987)

心のデボーション3988

「かく聖徒を愛するは、汝らの爲に天に蓄へあるものを望むに因る。この望のことは汝らに及べる福音の眞の言によりて汝らが曾て聞きし所なり」 コロサイ1:5  大正文語訳聖書

「この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。」 口語訳聖書

 「天の倉」

神の御言葉が明らかにするのは、「あなたがたのために天にたくわえられている望みに基く神の愛」である。(コロサイ1:5)「天にたくわえられている望みτὴν ἐλπίδα τὴν ἀποκειμένην ὑμῖν ἐν τοῖς οὐρανοῖς」。「望みἐλπίς」は「生ける望ἐλπίδα ζῶσαν」(ペテロ1:3)であり、朽ちることのない天に「たくわえられているἀπόκειμαι」は「定められている、しまわれている」の意。神は天の倉を開き、求める者に時にかなって恵みを与えられる。(申命記28:12)

(心のデボーション3988)

心のデボーション3989

「供物を祭壇のまへに遺しおき、先づ往きて、その兄弟と和睦し、然るのち來りて、供物をささげよ」 マタイ5:24 大正文語訳聖書

「その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」 口語訳聖書

 「礼拝に向かう」

礼拝(προσκυνητής)に向かう途中での気づきというものがある。何も気づかないままに(気づこうとしないままに)礼拝に向かうなら、その方が罪深い。(マタイ5:24)

(心のデボーション3989)

心のデボーション3990

「ヱホバの祝福は人を富す 人の勞苦はこれに加ふるところなし」 箴言10:22  明治元訳聖書

「主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。」 口語訳聖書

 「主の祝福」

人を富ませるものは「主の祝福εὐλογία」であり、「主の祝福」は人の心を悲しませない。本節を新共同訳聖書は「人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない」と訳す。涙する苦労も、主の祝福の豊かさに及ばない。(箴言10:22)

(心のデボーション3990)

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