心のデボーション2_022

デボーション2
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心のデボーション0211

「怨恨(うらみ)は爭端(あらそい)をおこし 愛はすべての愆(とが)を掩(おほ)ふ」 箴言10:12 明治元訳聖書

「憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。」 口語訳聖書

「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪をおおう」 新共同訳聖書

שִׂ֭נְאָה תְּעֹורֵ֣ר מְדָנִ֑ים וְעַ֥ל כָּל־פְּ֝שָׁעִ֗ים תְּכַסֶּ֥ה אַהֲבָֽה׃

μῖσος ἐγείρει νεῖκος πάντας δὲ τοὺς μὴ φιλονεικοῦντας καλύπτει φιλία

 「愛はすべての罪をおおう」

男は女を攻撃することをひかえ、女は男を否定することを減らせば、たいていはうまくいく。愛は「すべての愆(とが)、罪」をおおう」、しかし「怨恨(うらみ)は爭端(あらそい)をおこす」。(箴言10:22)「憎しみμῖσος」を明治元訳聖書は「怨恨(うらみ)」と訳す。「怨」は  「心+夗」で「夗」は二人の人が身体をまるめるさまで、「心が押し曲げられてかがみこむ」の意。押さえつけられてむかむかする思いである。μῖσοςは「憎悪、敵意」の意。
「怨恨(うらみ)」を捨てれば「愛」が戻ってくる。

箴言15:18

אִ֣ישׁ חֵ֭מָה יְגָרֶ֣ה מָדֹ֑ון וְאֶ֥רֶך אַ֝פַּ֗יִם יַשְׁקִ֥יט רִֽיב׃

ἀνὴρ θυμώδης παρασκευάζει μάχας μακρόθυμος δὲ καὶ τὴν μέλλουσαν καταπραΰνειμακρόθυμος ἀνὴρ κατασβέσει κρίσεις ὁ δὲ ἀσεβὴς ἐγείρει μᾶλλον

口語訳聖書

憤りやすい者は争いをおこし、怒りをおそくする者は争いをとどめる。

Ⅰペテロ4:8

πρὸ πάντων τὴν εἰς ἑαυτοὺς ἀγάπην ἐκτενῆ ἔχοντες, ὅτι ἀγάπη καλύπτει πλῆθος ἁμαρτιῶν·

口語訳聖書

何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。

心のデボーション0212

「然れども一人として我を造れる神は何處にいますやといふ者なし 彼は人をして夜の中に歌を歌ふに至らしめ地の獸畜よりも善くわれらを敎へ 空の鳥よりも我らを智からしめたまふ者なり」 ヨブ記35:10-11 明治元訳聖書

「どこにいますのか、わたしの造り主なる神。夜、歌を与える方、地の獣によって教え、空の鳥によって知恵を授ける方は」 新共同訳聖書

 「若きリーダー」

ある若きリーダーが神を賛美する美しい歌を書き、多くの若者が彼の歌を愛した。ある日、若きリーダーが信仰を失ったという噂が伝わり、若者たちは彼の歌をうたうべきか否か戸惑った。
ある時決断されたものは、状況が変われば価値を失うだろうか? 歌が書かれた「その時」にあったものは、「後の彼」とは別にそこに存在し続ける。

この歌をうたったら、私も歩いていこう。彼とは別の砂漠に向かって。「どこにいますのか、わたしの造り主なる神。夜、歌を与える方、地の獣によって教え、空の鳥によって知恵を授ける方は」(ヨブ記35:10-11 新共同訳聖書)の御言葉を胸に。

詩篇93:11-14
94:11主は人の思いの、むなしいことを知られる。
94:12主よ、あなたによって懲らされる人、あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。
94:13あなたはその人を災の日からのがれさせ、悪しき者のために穴が掘られるまでその人に平安を与えられます。
94:14主はその民を捨てず、その嗣業を見捨てられないからです。

† 心のデボーション 00213

「その逃亡者の來る前の夜ヱホバの手我に臨み彼が朝におよびて我に來るまでに我口を開けり斯わが口開けたれば我また默せざりき」 エゼキエル33:22

「主はわたしの口を開かれた。口が開かれて、わたしはもはや黙してはいなかった」 新共同訳聖書

 「沈黙は銀」

欧米やアラブでは沈黙は「愚鈍か敵意」とみなされる。私の信仰の先輩は「沈黙は銀」といった。
沈黙を知る者の口が開かれる。

(†心のデボーション00213)

心のデボーション0214

「是故に人は其父母を離れて其妻に好合ひ二人一體となるべし」 創世記2:24 明治元訳聖書

「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」 口語訳聖書

「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」 新改訳聖書                   

עַל־כֵּן֙ יַֽעֲזָב־אִ֔ישׁ אֶת־אָבִ֖יו וְאֶת־אִמֹּ֑ו וְדָבַ֣ק בְּאִשְׁתֹּ֔ו וְהָי֖וּ לְבָשָׂ֥ר אֶחָֽד׃

ἕνεκεν τούτου καταλείψει ἄνθρωπος τὸν πατέρα αὐτοῦ καὶ τὴν μητέρα αὐτοῦ καὶ προσκολληθήσεται πρὸς τὴν γυναῖκα αὐτοῦ καὶ ἔσονται οἱ δύο εἰς σάρκα μίαν

 「男性性と女性性の統合」

若い男は女が自分とは異なる存在ということを理解しにくい。自分より少し劣った弱い人くらいにしか見ていないことがある。しかし、強いだけでは男としては欠けたものだ。強さに女のやさしさが加えられて男は真の男になる。男は真の男になるために、本気になって女性性に向かわなければならない

「ふたりは一体になるἔσονται οἱ δύο εἰς σάρκα μίαν」とは、男性性と女性性が統合されるところに人間の完成のあることを示すのである。(創世記2:24)

マラキ2;13-15
2:13あなたがたはまたこのような事をする。すなわち神がもはやささげ物をかえりみず、またこれをあなたがたの手から、喜んで受けられないために、あなたがたは涙と、泣くことと、嘆きとをもって、主の祭壇をおおい、
2:14「なぜ神は受けられないのか」と尋ねる。これは主があなたと、あなたの若い時の妻との間の、契約の証人だったからである。彼女は、あなたの連れ合い、契約によるあなたの妻であるのに、あなたは彼女を裏切った。
2:15一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。

エペソ5:2

καὶ περιπατεῖτε ἐν ἀγάπῃ, καθὼς καὶ ὁ χριστὸς ἠγάπησεν ἡμᾶς καὶ παρέδωκεν ἑαυτὸν ὑπὲρ ἡμῶν προσφορὰν καὶ θυσίαν τῶ θεῶ εἰς ὀσμὴν εὐωδίας.

口語訳聖書

また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。

エペソ5:28

οὕτως ὀφείλουσιν [καὶ] οἱ ἄνδρες ἀγαπᾶν τὰς ἑαυτῶν γυναῖκας ὡς τὰ ἑαυτῶν σώματα. ὁ ἀγαπῶν τὴν ἑαυτοῦ γυναῖκα ἑαυτὸν ἀγαπᾷ,

口語訳聖書

それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。

心のデボーション0215

「汝等いかに思ふか、百匹の羊を有てる人あらんに、若しその一匹まよはば、九十九匹を山に遺しおき、往きて迷へるものを尋ねぬか」 マタイ18:12 大正文語訳聖書

「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。」 口語訳聖書

「もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか」 新改訳聖書

τί ὑμῖν δοκεῖ; ἐὰν γένηταί τινι ἀνθρώπῳ ἑκατὸν πρόβατα καὶ πλανηθῇ ἓν ἐξ αὐτῶν, οὐχὶ ἀφήσει τὰ ἐνενήκοντα ἐννέα ἐπὶ τὰ ὄρη καὶ πορευθεὶς ζητεῖ τὸ πλανώμενον;

 「怒れる羊飼い」

ヴァチカン美術館のビオ・クリスティアーノ美術館 Museo Pio-Clementiono には「善き羊飼い」の像
の近くに「怒れる羊飼い」の像が展示されている。

「怒れる羊飼い AngryBoy」は片手で乱暴に羊を担ぎ、羊はそれを嫌がってもがいている。「善き羊飼い」は担いだ羊を両手でしっかり支え、羊はおとなしくしている。

教会には時々「怒れる羊飼い」が現れる。迷える羊を助け出すのだが、何故か怒っている。助けられた羊もさぞ居心地が悪かろう。

「迷う羊πλανάω」は「道から外れ、途方にくれ、さ迷う」羊である。(マタイ18:12)

詩篇119:176

תָּעִ֗יתִי כְּשֶׂ֣ה אֹ֭בֵד בַּקֵּ֣שׁ עַבְדֶּ֑ךָ כִּ֥י מִ֝צְוֹתֶ֗יךָ לֹ֣א שָׁכָֽחְתִּי

ἐπλανήθην ὡς πρόβατον ἀπολωλός ζήτησον τὸν δοῦλόν σου ὅτι τὰς ἐντολάς σου οὐκ ἐπελαθόμηνLXX詩篇118:176

口語訳聖書

わたしは失われた羊のように迷い出ました。あなたのしもべを捜し出してください。わたしはあなたの戒めを忘れないからです。

心のデボーション0216

「また彼らに、落膽(らくたん)せずして常に祈るべきことを、譬にて語り言ひ給ふ」 ルカ18:1 大正文語訳聖書

「また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。」 口語訳聖書

「イエスは、気をおとさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」 

新共同訳聖書

ἔλεγεν δὲ παραβολὴν αὐτοῖς πρὸς τὸ δεῖν πάντοτε προσεύχεσθαι αὐτοὺς καὶ μὴ ἐγκακεῖν,

 「落胆せず」

「気を落とさずにμὴ ἐγκακεῖν」は「やる気を失わずに、諦めずに、落胆しないで」の意味である。それらが祈りを妨げる。落胆が祈りを妨げるのではなく、祈りを止めるので落胆が来たのである。(ルカ18:1)

詩篇27:13-14
27:13わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
27:14主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。

ガラテヤ6:9

τὸ δὲ καλὸν ποιοῦντες μὴ ἐγκακῶμεν, καιρῶ γὰρ ἰδίῳ θερίσομεν μὴ ἐκλυόμενοι.

口語訳聖書

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

心のデボーション0217

「なんぢ智慧にむかひて汝はわが姉妹なりといひ 明理にむかひて汝はわが友なりといへ」 箴言7:4 明治元訳聖書

「知恵に『あなたはわたしの姉妹』と言い、分別に『わたしの友』と呼びかけよ」 新共同訳聖書

 「朋有り、遠方より来たる」

「有朋自遠方來。不亦樂乎 (朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや)」 論語 学而第一 1
孔子の「友」ははじめから「遠方」にいて近くにはいない。道を求めている自分のことを聞き、はるばる訪ねてくれる。嬉しいことではないか。

遠方から来る者がすべて「友」ではない。近くの「遠方から来る友」もいる。「遠方」は地理的距離ではなく、互いを引きつける力の大きさのことである。

「わたしの友」が遠方から思いこがれてやって来た。彼の学び得たことは何だろうか。

(†心のデボーション00217)

心のデボーション0218

「何事よりも先づ互に熱く相愛せよ。愛は多くの罪を掩(おほ)へばなり」 Ⅰペテロ4:8 大正文語訳聖書

「何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。」 口語訳聖書

「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」 新改訳聖書

πρὸ πάντων τὴν εἰς ἑαυτοὺς ἀγάπην ἐκτενῆ ἔχοντες, ὅτι ἀγάπη καλύπτει πλῆθος ἁμαρτιῶν·

 「愛は多くの罪をおおう」

「愛は多くの罪をおおうἀγάπη καλύπτει πλῆθος ἁμαρτιῶν」。(Ⅰペテロ4:8) 「おおうκαλύπτω」は単に「隠す」ではなく、「働かせなくする」「無力にする」の意。愛は罪を隠し、不問にするのではなく、罪を包んで無力なものに変え、働かせなくする力である。そこでペテロは「互いに熱心に愛し合いなさいεἰς ἑαυτοὺς ἀγάπην ἐκτενῆ」とすすめる。「熱い愛ἀγάπην ἐκτενῆ」とは「尽きることのない愛」のことである。熱いだけでなく冷たくもなれる愛である。(Ⅰペテロ4:8)

箴言10:12 

שִׂ֭נְאָה תְּעֹורֵ֣ר מְדָנִ֑ים וְעַ֥ל כָּל־פְּ֝שָׁעִ֗ים תְּכַסֶּ֥ה אַהֲבָֽה׃

μῖσος ἐγείρει νεῖκος πάντας δὲ τοὺς μὴ φιλονεικοῦντας καλύπτει φιλία

口語訳聖書

憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。

Ⅰペテロ1:22

τὰς ψυχὰς ὑμῶν ἡγνικότες ἐν τῇ ὑπακοῇ τῆς ἀληθείας εἰς φιλαδελφίαν ἀνυπόκριτον, ἐκ [καθαρᾶς] καρδίας ἀλλήλους ἀγαπήσατε ἐκτενῶς,

口語訳聖書

あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。

心のデボーション0219

「われ汝のいましめの道をはしらん その時なんぢわが心をひろく爲たまふべし」 詩篇119:32 明治元訳聖書

「あなたがわたしの心を広くされるとき、わたしはあなたの戒めの道を走ります。」 口語訳聖書

「私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしくださるからです」 新改訳聖書           

דֶּֽרֶךְ־מִצְוֹתֶ֥יךָ אָר֑וּץ כִּ֖י תַרְחִ֣יב לִבִּֽי׃

ὁδὸν ἐντολῶν σου ἔδραμον ὅταν ἐπλάτυνας τὴν καρδίαν μουLXX詩篇118:32

 「自尊心」

自分の意見を言うべき時、傷つくのを恐れて引っ込めてしまう人は自尊心が高すぎるかもしれない。人に笑われたり、拒絶されるのが何よりも恐い。そのため、見知らぬ人の前では萎縮してしまう。しかし、自尊心を失ってはならないと思う。

「心を広くするὅταν ἐπλάτυνας τὴν καρδίαν μου」。(詩篇119:32) 「広くするπλατύνω」は「広くする、拡大する、開く」の意。自尊心をほどほどの現実的なレベルに引き下げることである。少しくらい傷ついても、すぐに自分を取り戻し、立ち直れるのが自尊心の本当の働きではないか。

詩篇119:45

וְאֶתְהַלְּכָ֥ה בָרְחָבָ֑ה כִּ֖י פִקֻּדֶ֣יךָ דָרָֽשְׁתִּי׃

καὶ ἐπορευόμην ἐν πλατυσμῷ ὅτι τὰς ἐντολάς σου ἐξεζήτησα

口語訳聖書

わたしはあなたのさとしを求めたので、自由に歩むことができます。

Ⅱコリント3:17

ὁ δὲ κύριος τὸ πνεῦμά ἐστιν· οὖ δὲ τὸ πνεῦμα κυρίου, ἐλευθερία.

口語訳聖書

主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。

心のデボーション0220

「兄弟よ、もし人の罪を認むることあらば、御靈に感じたる者、柔和なる心をもて之を正すべし、且おのおの自ら省みよ、恐らくは己も誘はるる事あらん」 ガラテヤ6:1 大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。」 口語訳聖書

「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」 新改訳聖書

ἀδελφοί, ἐὰν καὶ προλημφθῇ ἄνθρωπος ἔν τινι παραπτώματι, ὑμεῖς οἱ πνευματικοὶ καταρτίζετε τὸν τοιοῦτον ἐν πνεύματι πραΰτητος, σκοπῶν σεαυτόν, μὴ καὶ σὺ πειρασθῇς.

 「程よい小間切れ」

複雑な問題はできるだけ小間切れにしてみる。あちらを立てればこちらが立たずという場合、問題を二つに分け、とりあえず、問題の軽い方から解決をはかる。あちらもこちらも同時に解決しようとすると難しくなる。

しかし、細分化は問題をミンチ状にしてしまうことではない。そんなことをすれば訳の分からない不安だけが残るおそれがある。程よい「小間切れ」がよいのだが、これが意外と難しい。「柔和なる心ἐν πνεύματι πραΰτητος」が求められる。「柔和なる心でἐν πνεύματι πραΰτητος」は「柔和な霊をもって」である。「柔和πραΰτης」は「知恵」から生まれる「穏やかさ」(ヤコブ3:13)である。

へブル12:12-13
12:12それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
12:13また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。

ロマ8:5-6
8:5なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。
8:6肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。

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