心のデボーション3961
「また大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して』 黙示21:3 大正文語訳聖書
「また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、」 口語訳聖書
「デモクラシー」
「民主的原理、自由や平等、民主主義」を意味するデモクラシーdemocracyの語源はギリシャ語デーモスδῆμοςである。δῆμοςは「一緒に居住する集団、民族」の意で、古代ギリシャのポリス(都市)は一般的に複数のδῆμοςから構成された。δῆμοςのδῆは「分ける、別れる」の意である。デモクラシーdemocracyは異なる相手を認め、相互理解を基として築かれる。(黙示21:3)
(心のデボーション3961)
心のデボーション3962
「此の女は、なし得る限をなして、我が體に香油をそそぎ、あらかじめ葬りの備をなせり。」 マルコ14:8 大正文語訳聖書
「この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。」 口語訳聖書
「最後の鴨」
こんな話がある。ある人が池に鴨のたくさんいる夢を見た。そして、池の番人がこれはあなたが一生の間に食べる鴨だという。やがてこの人は老いて病の床で再び夢を見る。池には二羽の鴨しかいない。そこに娘が病の父を慰めようと鴨を料理して運んでくる。それから間もなく、その人は亡くなったという。いのちの終わりを告げる「最後の鴨」は父を想う娘だから料理できたのだろう。この人は幸せだったに違いない。(マルコ14:8)
(心のデボーション3962)
心のデボーション3963
「高ぶる目と驕る心とは惡人の光にしてただ罪のみ」 箴言21:4 大正文語訳聖書
「高ぶる目とおごる心とは、悪しき人のともしびであって、罪である。」 口語訳聖書
「高ぶる目」
「高慢」は、ダンテの『神曲』の地獄篇infernoの7つの大罪(高慢、嫉妬、怒り、怠惰、貪欲、大食、愛欲)の中であらゆる罪の根源とされる。「浄罪篇」で「高慢者」は重い石を背負い腰を曲げて歩くことによって浄化される。「高慢μεγαλοφρονέω」は「自信過剰、尊大」の意。「高ぶる目とおごる心」はあらゆる罪の温床である。(箴言21:4)
(心のデボーション3963)
心のデボーション3964
「なんぢ睡眠を愛すること勿れ 恐くは貧窮にいたらん 汝の眼をひらけ 然らば糧に飽べし」 箴言20:13 明治元訳聖書
「眠りを愛してはならない、そうすれば貧しくなる、目を開け、そうすればパンに飽くことができる。」 口語訳聖書
「なまけ者」
こよなく眠りを愛する人にとって、この箴言は耳が痛い。しかし、ここで言う「眠りを愛する人」とは「しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む」なまけ者のことである。(箴言6:10) 要するに、いつになっても何も始めようとしない人を指す。勤勉な人の中には、この種の「なまけ者」が少なくない。何かを始めようとする人にとって、この眠りは「再生の眠り」である。
(心のデボーション3964)
心のデボーション3965
「詭計をもて得たる資財は減る されど手をもて聚めたくはふる者はこれを増すことを得」 箴言13:11 明治元訳聖書
「急いで得た富は減る、少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。」 口語訳聖書
「藪主計頭」
享保の時代に藪主計頭という人がいた(紀州徳川家の家臣藪勝利の次男)。藪主計頭は雨風の強い日に、家臣に被害の見積もりを出させ、被害がないときにも、その都度、被害があったものとして相当の金銭を蓄え、一代で財を成したという。藪主計頭にとって雨風の災難は利殖の好機だった。(箴言13:11)
(心のデボーション3965)
心のデボーション3966
「なんぢ眞實をこころの衷にまでのぞみ わが隠れたるところに智慧をしらしめ給はん」 詩篇51:6 明治元訳聖書
「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。」 口語訳聖書
「ファンタジー」
ファンタジーfantasyの語源はギリシャ語φαντασία(現れ)で「見えるようにする」の意。ファンタジーは心を見えるようにしてくれる物語である。ファンタジーを失った人(ἄδηλος)の心は寂しい。(詩篇51:6)
(心のデボーション3966)
心のデボーション3967
「われはエジプトの國よりなんぢを携へいでたる汝の神ヱホバなり なんぢの口をひろくあけよ われ物をみたしめん」 詩篇81:10 明治元訳聖書
「わたしはエジプトの国から、あなたをつれ出したあなたの神、主である。あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。」 口語訳聖書
「不足の思い」
人はだれでも内に不足を抱えている。不足の思いがあって、はじめて、自分というものと向き合うことができる。新しいことは、欠けたところからはじまるのである。ただ、不足を不満と結びつけないこと。信仰は主に向かって「口を大きくあけ」る。主は「最良の小麦」と「蜜」をもって満ち足らせてくださる。不足を知ることが、足ることになる。(詩篇81:10)
(心のデボーション3967)
心のデボーション3968
「然るにイスラエルの子孫は苦むるに隨ひて増し殖たれば皆これを懼れたり」 出エジプト1:12 明治元訳聖書
「しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがるので、彼らはイスラエルの人々のゆえに恐れをなした。」 口語訳聖書
「苦しみ」
エジプトの強制労働にも関わらず、「イスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがった」(出エジプト1:12)神と共にあって「苦しみ」は、いのちに力をもたらし、イスラエルの存在はエジプトに脅威となった。
(心のデボーション3968)
心のデボーション3969
「この故に汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思ひ出さば」 マタイ5:23 大正文語訳聖書
「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、」 口語訳聖書
「隙(げき)」
親しい兄弟の間にも、「隙(げき)」が生じる。「隙(げき)」は「二人の間に生じる隙間、不和である。「兄弟が何か自分に対して含むところがある」(バルバロ訳)のが感じられるのだ。放置することはできない。しかし、下手にいじるのも危険である。それは「礼拝」の問題である。この隙間に恨み(ἐνέχω)が入り込む。(マタイ5:23)
(心のデボーション3969)
心のデボーション3970
「われ長寿をもてかれを足はしめ且わが救をしめさん」 詩篇91:16 明治元訳聖書
「わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。」 口語訳聖書
「長寿」
「父を尊ぶ者は、長寿に恵まれ、主に従う者は、母に安らぎをもたらす。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:6 フランシスコ会訳聖書) 「長寿」が意味するのは「永遠のいのち」である。永遠のいのちに生きる者こそ「長寿」に相応しい。父より先に召される者であっても、彼は「長寿を全うした」のである。(詩篇91:16)
(心のデボーション3970)
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