心のデボーション2_021

デボーション2
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心のデボーション0201

「君に媚る者はおほし 凡そ人は贈物を與ふる者の友となるなり」 箴言19:6 明治元訳聖書

「気前のよい人にこびる者は多い、人はみな贈り物をする人の友となる。」 口語訳聖書

「高貴な人の好意を求める者は多く、だれでも贈り物をしてくれる人の友となる」 新改訳聖書

רַ֭בִּים יְחַלּ֣וּ פְנֵֽי־נָדִ֑יב וְכָל־הָ֝רֵ֗עַ לְאִ֣ישׁ מַתָּֽן׃

πολλοὶ θεραπεύουσιν πρόσωπα βασιλέων πᾶς δὲ ὁ κακὸς γίνεται ὄνειδος ἀνδρί

 「贈り物」

欧米人は贈り物を贈り主の目の前であける。アメリカ人は包み紙を破って期待感を現す。ヨーロッパ人は丁寧に解いて感謝の思いを表現する。「友からの贈り物」は嬉しい。だが、「高貴な人の好意を求める者の贈り物」は下心が透けて見え、醜い。無論私は「高貴な人」ではないので、その心配をする必要は全くない。贈り物をいただいたので友になったのではなく、友だから贈り物をいただいたのである。贈り物を差し上げるときも同じ理由である。(箴言19:6)

箴言18:16

מַתָּ֣ן אָ֭דָם יַרְחִ֣יב לֹ֑ו וְלִפְנֵ֖י גְדֹלִ֣ים יַנְחֶֽנּוּ׃

δόμα ἀνθρώπου ἐμπλατύνει αὐτὸν καὶ παρὰ δυνάσταις καθιζάνει αὐτόν

口語訳聖書

人の贈り物は、その人のために道をひらき、また尊い人の前に彼を導く。

心のデボーション0202

「茲にわれ目を醒しみるに我眠は甘かりし」 エレミヤ31:26 明治元訳聖書

「ここでわたしは目をさましたが、わたしの眠りは、ここちよかった。」 口語訳聖書

「私のねむりは心地よかった」 新改訳聖書

עַל־זֹ֖את הֱקִיצֹ֣תִי וָאֶרְאֶ֑ה וּשְׁנָתִ֖י עָ֥רְבָה לִּֽי׃

διὰ τοῦτο ἐξηγέρθην καὶ εἶδον καὶ ὁ ὕπνος μου ἡδύς μοι ἐγενήθη

 「心地よいねむり」

エレミヤは、自分がユダの農夫が羊の群れを飼う邑々に住んでいる夢を見る。夢の中でエレミヤは「疲れたる靈魂」が充たされ、その魂は「すべての憂い」から慰められるのを感じる。そして、目覚めると、「私のねむりは心地よかった」という。

「心地よい」眠りを与えられるのは神である。「心地よい夢」は霊魂の「疲れ」や「憂い」を癒す。しかし、いわゆる「不吉な夢」も魂を癒すことがあり、逆に「幸運の夢」が魂の傷からくることもある。夢は自分も他人も正確な解釈はできない不思議な世界である。魂を神にゆだねてねむりにつく。(エミヤ31:26)

詩篇127:1-2
127:1主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

心のデボーション0203

「もし誇るべくは、我が弱き所につきて誇らん」 Ⅱコリント11:30 大正文語訳聖書

「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。」 口語訳聖書

「どうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」 新改訳聖書

εἰ καυχᾶσθαι δεῖ, τὰ τῆς ἀσθενείας μου καυχήσομαι.

 「自己臭」               

自分から魚の腐ったような臭いが出ていて、みんなが顔をそむけると訴える人もいる。そんな臭いはしないと告げても、本人は承知しない。そのため電車にも乗れなくなる。勉強はよくできるのだが、人とうまくつき合えないところがある。自分から出ている嫌な臭いは、人から嫌われているのではないかという心のおびえである。

少しつき合いの幅を広げて対人関係に自信がつけば臭いは自然に感じなくなる。自分の弱さから逃げないことだ。

「弱さἀσθένεια」は誇るほどに大切にしてよい。ἀσθένειαは「弱い、力のない、虚弱な、病んだ、病弱の、無力の、貧弱な」の意である。

Ⅱコリント12:5-10
12:5わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。
12:6もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
12:7そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 12:8このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。12:9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう
12:10だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

心のデボーション0204

「然るに彼はこれに言ふ汝の言ところは愚なる婦の言ところに似たり 我ら神より福祉を受るなれば災禍をも亦受ざるを得んやと 此事においてはヨブまつたくその唇をもて罪を犯さざりき」 ヨブ記2:10 明治元訳聖書

「しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。」 口語訳聖書

「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいおも受けなければならないではないか」 新改訳聖書               

וַיֹּ֣אמֶר אֵלֶ֗יהָ כְּדַבֵּ֞ר אַחַ֤ת הַנְּבָלוֹת֙ תְּדַבֵּ֔רִי גַּ֣ם אֶת־הַטּ֗וֹב נְקַבֵּל֙ מֵאֵ֣ת הָאֱלֹהִ֔ים וְאֶת־הָרָ֖ע לֹ֣א נְקַבֵּ֑ל בְּכָל־זֹ֛את לֹא־חָטָ֥א אִיּ֖וֹב בִּשְׂפָתָֽיו׃ פ

ὁ δὲ ἐμβλέψας εἶπεν αὐτῇ ὥσπερ μία τῶν ἀφρόνων γυναικῶν ἐλάλησας εἰ τὰ ἀγαθὰ ἐδεξάμεθα ἐκ χειρὸς κυρίου τὰ κακὰ οὐχ ὑποίσομεν ἐν πᾶσιν τούτοις τοῖς συμβεβηκόσιν αὐτῷ οὐδὲν ἥμαρτεν Ιωβ τοῖς χείλεσιν ἐναντίον τοῦ θεοῦ

 「ヨブの道」

ヨブは苦しみを受けた時、ヨブの妻が「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」とヨブの信仰を嘲笑うのに対して、「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」と応える。(ヨブ記2:9-10)

問題はすべて解決されるべきものではない。解決しなくてもいい問題を無理に解決しようとするので行き詰まることも少なくない。「問題はわかっている。でも解決の方法がわからない」というのは、まだ問題が充分に成熟していないのである。問題があることを充分に知った上で、「これについては解決しないことにする」と決めたらよい。問題を抱えながらも何とかやっていくことで、問題は成熟する。それがヨブのたどった道だった。

哀歌3:38-41
3:38災もさいわいも、
いと高き者の口から出るではないか。
3:39生ける人はどうしてつぶやかねばならないのか、人は自分の罪の罰せられるのを、つぶやくことができようか。
3:39生ける人はどうしてつぶやかねばならないのか、人は自分の罪の罰せられるのを、つぶやくことができようか。
3:40われわれは、自分の行いを調べ、かつ省みて、主に帰ろう。

心のデボーション0205

「神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗(うるは)しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念(おもひ)を賦(さず)けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲(わざ)を始より終まで知明(しりあき)むることを得ざるなり」 伝道3:11 明治元訳聖書

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」 口語訳聖書

「神はすべてのものを、その時にかなったものとして美しく造られた。また、人の心に、永遠への思いを授けられた」 フランシスコ会訳聖書

אֶת־הַכֹּ֥ל עָשָׂ֖ה יָפֶ֣ה בְעִתֹּ֑ו גַּ֤ם אֶת־הָעֹלָם֙ נָתַ֣ן בְּלִבָּ֔ם מִבְּלִ֞י אֲשֶׁ֧ר לֹא־יִמְצָ֣א הָאָדָ֗ם אֶת־הַֽמַּעֲשֶׂ֛ה אֲשֶׁר־עָשָׂ֥ה הָאֱלֹהִ֖ים מֵרֹ֥אשׁ וְעַד־
סֹֽוף׃

σὺν τὰ πάντα ἐποίησεν καλὰ ἐν καιρῷ αὐτοῦ καί γε σὺν τὸν αἰῶνα ἔδωκεν ἐν καρδίᾳ αὐτῶν ὅπως μὴ εὕρῃ ὁ ἄνθρωπος τὸ ποίημα ὃ ἐποίησεν ὁ θεός ἀπ᾽ ἀρχῆς καὶ μέχρι τέλους

 「誕生から背負ってきたもの」

人生は決して平等とは思えない。人は誕生のときから、あるものを背負って生まれてくる。背負わされたと言った方がいいかもしれない。誕生から背負ってきたものは一生負い続けることになる。しかし、それが人生の中で深い意味をもつことも少なくない。重荷と思ってきたものが「美しいκαλός」と感じられる瞬間である。「神のなし給うことは時にかなって美しいσὺν τὰ πάντα ἐποίησεν καλὰ ἐν καιρῷ αὐτοῦ」。人は「神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」と伝道者は語る。人は「見極め難い美しさ」を内に持っている。すべての人にその恵みが与えられる点で、人生はまったく平等である。(伝道3:11)

伝道8:17

וְרָאִיתִי֮ אֶת־כָּל־מַעֲשֵׂ֣ה הָאֱלֹהִים֒ כִּי֩ לֹ֨א יוּכַ֜ל הָאָדָ֗ם לִמְצֹוא֙ אֶת־הַֽמַּעֲשֶׂה֙ אֲשֶׁ֣ר נַעֲשָׂ֣ה תַֽחַת־
הַשֶּׁ֔מֶשׁ בְּ֠שֶׁל אֲשֶׁ֨ר יַעֲמֹ֧ל הָאָדָ֛ם לְבַקֵּ֖שׁ וְלֹ֣א יִמְצָ֑א וְגַ֨ם אִם־יֹאמַ֤ר הֶֽחָכָם֙ לָדַ֔עַת לֹ֥א יוּכַ֖ל לִמְצֹֽא׃

καὶ εἶδον σὺν πάντα τὰ ποιήματα τοῦ θεοῦ ὅτι οὐ δυνήσεται ἄνθρωπος τοῦ εὑρεῖν σὺν τὸ ποίημα τὸ πεποιημένον ὑπὸ τὸν ἥλιον ὅσα ἂν μοχθήσῃ ὁ ἄνθρωπος τοῦ ζητῆσαι καὶ οὐχ εὑρήσει καί γε ὅσα ἂν εἴπῃ ὁ σοφὸς τοῦ γνῶναι οὐ δυνήσεται τοῦ εὑρεῖν

口語訳聖書
わたしは神のもろもろのわざを見たが、人は日の下に行われるわざを窮めることはできない。人はこれを尋ねようと労しても、これを窮めることはできない。また、たとい知者があって、これを知ろうと思っても、これを窮めることはできないのである。

心のデボーション0206

「かくて我らの伴侶(ともがわ)も善き業を務めて必要を資(たす)けんことを學ぶべし、これ果(み)を結ばぬ事なからん爲なり」 テトス3:14 大正文語訳聖書

「わたしたちの仲間も、さし迫った必要に備えて、努めて良いわざを励み、実を結ばぬ者とならないように、心がけるべきである。」 口語訳聖書

「わたしたち一同が、差し迫った必要に備えて、良い業に励むことを学ばなければなりません」 フランシスコ会訳聖書

μανθανέτωσαν δὲ καὶ οἱ ἡμέτεροι καλῶν ἔργων προΐστασθαι εἰς τὰς ἀναγκαίας χρείας, ἵνα μὴ ὦσιν ἄκαρποι.

 「良い業」

自分のすることを誰もが認めてくれるとは限らない。半分の人が支持してくれれば、まずまずである。半分の人が支持してくれるということは、興味を示さない残り半分の人がいるということである。まだ認めてくれない半分を残すことによって、一箇所にとどまることから救われる。「認める半分」と「認めてくれない半分」を、共に自分自身の内に置くことが「良い業」の励みになるようでもある。「認める半分」と「認めぬ半分」では、結ぶ「実」の大きさも収量も段違いである。

イザヤ61:3

לָשׂ֣וּם׀ לַאֲבֵלֵ֣י צִיּ֗וֹן לָתֵת֩ לָהֶ֨ם פְּאֵ֜ר תַּ֣חַת אֵ֗פֶר שֶׁ֤מֶן שָׂשׂוֹן֙ תַּ֣חַת אֵ֔בֶל מַעֲטֵ֣ה תְהִלָּ֔ה תַּ֖חַת ר֣וּחַ כֵּהָ֑ה וְקֹרָ֤א לָהֶם֙ אֵילֵ֣י הַצֶּ֔דֶק מַטַּ֥ע יְהוָ֖ה לְהִתְפָּאֵֽר׃

δοθῆναι τοῖς πενθοῦσιν Σιων δόξαν ἀντὶ σποδοῦ ἄλειμμα εὐφροσύνης τοῖς πενθοῦσιν καταστολὴν δόξης ἀντὶπνεύματος ἀκηδίας καὶ κληθήσονται γενεαὶ δικαιοσύνης φύτευμα κυρίου εἰς δόξαν

口語訳聖書
シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。

心のデボーション0207

「神の國は言にあらず、能力(ちから)にあればなり」 Ⅰコリント4:20 大正文語訳聖書

「神の国は言葉ではなく、力である。」 口語訳聖書

「神の国はことばにはなく、力にあるのです」 新改訳聖書

οὐ γὰρ ἐν λόγῳ ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ ἀλλ᾽ ἐν δυνάμει.

 「継続の力」

人は目標があってこそ動ける。しかし、その目標は動いて見えるということも少なくない。一つの行為をひたすらに続けると、そこに道が見えてくる。全体が見えなければ一歩も動けないというのは、ただ動きたくないだけだ。動きさえすれば何でもよいわけではない。行為するということは「ことば」に出会うことである。ことばに出会う人は力とも出会っている。(Ⅰコリント4:20)

Ⅰコリント1:24
αὐτοῖς δὲ τοῖς κλητοῖς, ἰουδαίοις τε καὶ ἕλλησιν, χριστὸν θεοῦ δύναμιν καὶ θεοῦ σοφίαν·
ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

Ⅱコリント10:4
τὰ γὰρ ὅπλα τῆς στρατείας ἡμῶν οὐ σαρκικὰ ἀλλὰ δυνατὰ τῶ θεῶ πρὸς καθαίρεσιν ὀχυρωμάτων _ λογισμοὺς καθαιροῦντες

口語訳聖書
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、

心のデボーション0208

「試錬(こころみ)に耐ふる者は幸福(さいはい)なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に、約束し給ひし生命の冠冕(かんむり)を受くべければなり」 ヤコブ1:12 大正文語訳聖書

「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」 口語訳聖書

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」 新改訳聖書

μακάριος ἀνὴρ ὃς ὑπομένει πειρασμόν, ὅτι δόκιμος γενόμενος λήμψεται τὸν στέφανον τῆς ζωῆς, ὃν ἐπηγγείλατο τοῖς ἀγαπῶσιν αὐτόν.

 「エキスパート」

英語「Expert エキスパート(熟練者)」はラテン語「Ex+ peritue(熟練した)」(名詞expertise)で「試された者(πειρασμός)」の意である。「エキスパート」と呼ばれる人は、様々な「試し」を体験し、「熟練者」になった「幸いな人」である。彼の頭には「生命の冠冕(かんむり)」がある。「試み」を与えるものを大切にしたい。それらはいのちを与えてくれる。(ヤコブ1:12)

ヤコブ1:2-4
1:2わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。
1:3あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。
1:4だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。

へブル6:15
καὶ οὕτως μακροθυμήσας ἐπέτυχεν τῆς ἐπαγγελίας.

口語訳聖書
このようにして、アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである。

心のデボーション0209

「なんぢらの年老るまで我はかはらず白髮となるまで我なんぢらを負ん 我つくりたれば擡(もた)ぐべし我また負ひかつ救はん なんぢら我をたれに比べ たれに配ひ たれに擬らへ かつ相くらぶべきか」 イザヤ46:4~5 明治元訳聖書

「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」 新改訳聖書(46:3~4)

וְעַד־זִקְנָה֙ אֲנִ֣י ה֔וּא וְעַד־שֵיבָ֖ה1 אֲנִ֣י אֶסְבֹּ֑ל אֲנִ֤י עָשִׂ֙יתִי֙ וַאֲנִ֣י אֶשָּׂ֔א וַאֲנִ֥י אֶסְבֹּ֖ל וַאֲמַלֵּֽט׃ ס
לְמִ֥י תְדַמְי֖וּנִי וְתַשְׁו֑וּ וְתַמְשִׁל֖וּנִי וְנִדְמֶֽה׃

ἕως γήρους ἐγώ εἰμι καὶ ἕως ἂν καταγηράσητε ἐγώ εἰμι ἐγὼ ἀνέχομαι ὑμῶν ἐγὼ ἐποίησα καὶ ἐγὼ ἀνήσω ἐγὼ ἀναλήμψομαι καὶ σώσω ὑμᾶς τίνι με ὡμοιώσατε ἴδετε τεχνάσασθε οἱ πλανώμενοι

 「背負いにくい者」

神は白髪頭の私を背負い、運ばれる。だが、実は、「胎内にいるころから」神はわたしを「背負われ」、「胎をいでしより」今に至るまで神に「運ばれた者」であった。(イザヤ4:3)何と「背負いにくい者」を神は背負われることか!(イザヤ46:4-5)

「運ぶἀναλαμβάνω」は「運ぶ、担ぐ」の意であり、この語には「(高きところ、天に)引き上げる」の意を含む「主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ(ἀναλαμβάνω)、神の右にすわられた」(マルコ16:19) 主は白髪頭の私を抱き、「天」にまで引き上げられる。

イザヤ43:4-5
43:4あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。
43:5恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。

心のデボーション0210

「なんぢら心を騷がすな、神を信じ、また我を信ぜよ」 ヨハネ14:1 大正文語訳聖書

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」 口語訳聖書

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」 新改訳聖書

μὴ ταρασσέσθω ὑμῶν ἡ καρδία· πιστεύετε εἰς τὸν θεόν, καὶ εἰς ἐμὲ πιστεύετε.

 「馬に馬具をつける」

インドの「ヨーガyoga」は「馬に馬具をつける」という意味だという。そこから、呼吸を整え、感覚を統御して、精神の集中する修行としてのヨガが生まれた。

ヨハネ14:1の「心を騒がすταρασσέσθω」は、魂が落ち着きなく動くこと。心が暴れる馬のように飛び跳ね、あちこちをけちらして何も見えない。神への信仰は、沈黙の時間をつくり、馬具をつけ、息を整え、魂に平安をもたらす。

ヨハネ14:27
εἰρήνην ἀφίημι ὑμῖν, εἰρήνην τὴν ἐμὴν δίδωμι ὑμῖν· οὐ καθὼς ὁ κόσμος δίδωσιν ἐγὼ δίδωμι ὑμῖν. μὴ ταρασσέσθω ὑμῶν ἡ καρδία μηδὲ δειλιάτω.

口語訳聖書
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

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