心のデボーション395

デボーション1
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心のデボーション3941

「荒野に呼はる者の聲す、「主の道を備へ、その路すぢを直くせよ」』 と録されたる如く、」 マルコ1:3 大正文語訳聖書

「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、」 口語訳聖書

 「その道筋をまっすぐに」

「その道筋をまっすぐにせよεὐθείας ποιεῖτε τὰς τρίβους αὐτοῦ」。(マルコ 1:3) 「道筋を真直ぐにεὐθύς」は「方向を真直ぐに、平らかに」の意。明治元訳聖書は「其徑すぢを直せよ」と訳す。「徑」は「彳(いく)+巠」で「巠」は台の上に張った縦糸のことで、「二つの地点を真直ぐにつなぐ近道を行く」の意である。御言葉を学ぶ者は神に真直ぐにつなぐ学びの道筋を準備しなければならない。

(心のデボーション3941)

心のデボーション3942

「わがこの皮この身の朽はてん後 われ肉を離れて神を見ん」 ヨブ19:26 明治元訳聖書

「わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、/わたしは肉を離れて神を見るであろう。」 口語訳聖書

 「私の肉から神を見る」

ヨブは、足の裏から頭の頂きまで、悪性の腫物に打たれ、うみが流れ、息も臭くなり、一日中、土器のかけらでかき続けなければならなかった。ヨブが、「私の肉」という時、文字通り、かたちも崩れたヨブの肉体そのものと読むこともできる。人が神を見る前提は、自分自身になることである。いかに過酷な運命であれ、それを自分の肉として受け、他の者の目ではなく、自分のこの目で神を見たい。(ヨブ19:26)

(心のデボーション3942)

心のデボーション3943

「二人ながら神の前に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。」 ルカ1:6 大正文語訳聖書

「ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。」 口語訳聖書

 「老祭司ザカリヤと妻エリサベツ」

老祭司ザカリヤと妻エリサベツは「ふたりとも神のみまえに正しい人ἦσαν δὲ δίκαιοι ἀμφότεροι ἐναντίον τοῦ θεοῦ」であった。(ルカ) 「二人ともにἀμφότεροι」は「二人一緒になって」の意。ザカリヤと妻エリサベツは互いを励ましながら主に仕えた。善き奉仕は一人のものではない。

(心のデボーション3943)

心のデボーション3944

「わが子よ汝の心を我にあたへ 汝の目にわが途を樂しめ」 箴言23:26 明治元訳聖書

「わが子よ、あなたの心をわたしに与え、あなたの目をわたしの道に注げ。」 口語訳聖書

 「暴走族」

暴走族は走りを見物してくれる「ギャラリー」がいなければ意味は半減する。パトカーを従えて走るのでなければ面白くない。そんなことで自分の存在を確認するしか方法をもたないさみしい若者なのであろう。夜空に響かせるエンジンの空ふかしは、孤独では生きられないと叫んでいるのかもしれない。自分の前に壁のように立ちはだかってくれるもの(τηρέω)を捜しているのに、それが見つからないのである。(箴言23:26)

(心のデボーション3944)

心のデボーション3945

「世と世の慾とは過ぎ往く、されど神の御意をおこなふ者は永遠に在るなり。」 Ⅰヨハネ2:17 大正文語訳聖書

「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」 口語訳聖書

 「万物逆旅」

「万物逆旅」(李白「春夜宴桃李園序」)という。宇宙は旅人が宿屋に来ては去っていくのに似て、生成と消滅を繰り返す宇宙を表現している。これに対して、始まりと終わりの目的をもつ宇宙観もある。(Ⅰヨハネ2:17)

(心のデボーション3945)

心のデボーション3946

「弟子たち集れるとき問ひて言ふ『主よ、イスラエルの國を囘復し給ふは此の時なるか』」 使徒1:6 大正文語訳聖書

「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。」 口語訳聖書

 「復興」

弟子たちは復活の主に「イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」と尋ねた。(使徒1:6) 「復興ἀποκαθιστάνω」は「もとに戻す、回復する」の意。弟子たちが復活の主に期待したのはダビデ王国の回復だった。しかし、主の御心は「国家の回復」ではなく、「人間の回復」である。国の回復は人間の回復(復興)なしに実現しない。

(心のデボーション3946)

心のデボーション3947

「智慧をすつることなかれ彼なんぢを守らん 彼を愛せよ彼なんぢを保たん」 箴言4:6 明治元訳聖書

「知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。」 口語訳聖書

 「花の知恵」

ある植物は臭いフンのにおいを出してハエを呼び寄せる。すると花に隠れていたクモがハエをとり、そのクモを鳥がとらえる。この花は巨大なため、クモを襲う小鳥のはばたきを利用して受粉するのである。この植物はよほどの知恵者である。しかし、どうして最初から蜜でも出して小鳥を集めないのだろうか? ハエをよろこばせ、クモにエサを与え、それをとる鳥がいて花は受粉する、このまわりくどいいのちの連鎖が知恵と呼ばれるのかもしれない。(箴言4:6)

(心のデボーション3947)

心のデボーション3948

「御子は肉によれば、ダビデの裔より生れ、」 ロマ1:3 大正文語訳聖書

「御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、」 口語訳聖書

 「血のつながり」

主イエス・キリストは「肉によればダビデの子孫」である。(ロマ1:3)「肉によればκατὰ σάρκα」は「血のつながりによれば」の意。主イエスは「血のつながり」の中に入ってこられた。人はみな、否定することのできない「血のつながり」の中に生きる。そして、主イエス・キリストは、私の血のつながりの中に入ってこられるのである。

(心のデボーション3948)

心のデボーション3949

「この故に汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思ひ出さば」 マタイ5:23 大正文語訳聖書

「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、」 口語訳聖書

 「兄弟」

「兄弟ἀδελφός」は「α 共通の、同じ+δελφύς 胎」の意味。「逆らい、怨み」は「同じ胎」から出た者、すなわち親しき者の間にこそ発生する。その地点から「兄弟」への問いがはじまり、人を神に導く。兄弟に「自分に逆らう何ものか」のあることに気づくことほど寂しいことはない。しかし人はその寂しさに育てられるのである。(マタイ5:23)

(心のデボーション3949)

心のデボーション3950

「レアいふ我は幸なり女等我を幸なる者となさんと其名をアセルとなづけたり」 創世記30:13 明治元訳聖書

「そこでレアは、「わたしは、しあわせです。娘たちはわたしをしあわせな者と言うでしょう」と言って、名をアセルと名づけた。」 口語訳聖書

 「幸福」

「われわれは幸福になる準備ばかりしている…」(パスカル「パンセ」172 前田陽一・由木康訳 中央公論社1973)
幸福は未来にではなく、現在にしかない。しかし、人はいつもそれを先にあると信じたがる。(創世記30:13)

(心のデボーション3950)

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