心のデボーション3911
「ここに王こたへて言はん「誠になんぢらに告ぐ、此等のいと小きものの一人に爲さざりしは、即ち我になさざりしなり」と。」 マタイ25:45 大正文語訳聖書
「そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。」 口語訳聖書
「精神療法」
精神療法 Psycho-therapyはギリシャ語Θεραπεία ψυχήςに由来する。Θεραπείαは「①奉仕、世話 ②病人への世話、看護 ③神への奉仕」、ψυχήは「生命、魂、心、人間」の意。精神療法は人間の「生命、魂、心」に仕える神への奉仕である。(マタイ25:45)
(心のデボーション3911)
心のデボーション3912
「ヱホバ彼がきたり觀んとするを見たまふ即ち神棘の中よりモーセよモーセよと彼をよびたまひければ我ここにありといふに」 出エジプト3:4 明治元訳聖書
「主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。」 口語訳聖書
「我を見よ」
モーセは燃える柴の中から「モーセ、モーセ」という神の呼び掛けに「はい。ここにおります」と答える。「はい。ここにおります」という語は「我を見よLXX ἰδού」という意味である。アブラハムもモリヤの地で息子イサクをささげたとき、神の呼び掛けに同じことばで答えている。(創世記22:11) 「我を見よ」は胸を張っていうべきことばではない。自分の貧しさに「ふるえ上がり」ながら、それを隠そうとしない人のことばである。(出エジプト3:4)
(心のデボーション3912)
心のデボーション3913
「イエス十二弟子を召し寄せて、もろもろの惡鬼を制し、病をいやす能力と權威とを與へ、」 ルカ9:1 大正文語訳聖書
「それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。」 口語訳聖書
「イエスの権威」
主イエスは十二弟子に「すべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威」をお授けになり、宣教に派遣された。(ルカ9:1) この「権威ἐξουσία」は、神がイエスにお授けになった、「天と地」(マタイ28:18)、「すべての人」(ヨハネ17:2)に対する権威である。神は使徒のみならず、すべての神を敬う者を「イエスの権威」とともに派遣される。(ルカ9:1)
(心のデボーション3913)
心のデボーション3914
「汝の父母を樂しませ 汝を生る者を喜ばせよ」 箴言23:25 明治元訳聖書
「あなたの父母を楽しませ、あなたを産んだ母を喜ばせよ。」 口語訳聖書
「母の教え」
「母を尊ぶ者は宝を積む者に等しい」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:4 フランシスコ会訳聖書)母の教えを尊ぶ者は「智慧の宝」を積む。母の智慧は箴言31:10-31にあますところなく描けれている。
(心のデボーション3914)
心のデボーション3915
「之を聞きて、言ひたまふ『健かなる者は醫者を要せず、ただ、病める者これを要す。』」 マタイ9:12 大正文語訳聖書
「イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」 口語訳聖書
「猫と鶏たち」
イソップ寓話の「猫と鶏たち」で、病気になった鶏のところに医者のなりをした猫が「容態はいかがですか」と声をかける。すると猫の魂胆を知る鶏は「ええ、有難うさん、もしあなたがここから立ち去ってくださったらねぇ」と答える。(「イソップ寓話集」山本光雄訳 岩波書店1942/2) すべての患者が医師に「良い患者」ではないように、患者にとってすべての医者が「良い医者」でもない。
(心のデボーション3915)
心のデボーション3916
「神の御心によりてキリスト・イエスの使徒となれるパウロ及び兄弟テモテ、」 コロサイ1:1
「神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロと兄弟テモテから、」 口語訳聖書
「神の熱意」
パウロは「神の御旨によって(διὰ θελήματος θεοῦ)キリスト・イエスの使徒となった」(コロサイ1:1) 「御旨θέλημα 」は「思い、熱望、決意、求め」の意である。人が神に導かれるのは、「神の強い御旨θέλημα(思い、熱望、決意、求め)」による。「ヱホバの熱心これを爲べし」(Ⅱ列王19:31)
(心のデボーション3916)
心のデボーション3917
「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。」 マタイ5:39 大正文語訳聖書
「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」 口語訳聖書
「目には目」
心理学者のデヴィッド・リーバーマン博士にこんな話がある。毎晩一個ずつスイカが盗まれるのに腹を立てた農夫が、一つのスイカに毒物を注入し、「スイカ泥棒に告ぐ。毒物を盛ったスイカ一つあり」という看板を立てた。すると翌日、畑に「お百姓さんへ。私もお宅のスイカに一つだけ毒を盛りました。お互いに手を組みませんか」と書かれたメモが残されていた。農夫のやり方に何か問題があったようだ。では、どうすれば? スイカ畑があれば、そこにかならずスイカ泥棒がくる。ただ、軽トラで乗り付ける輩は許すわけにはいかない。
(心のデボーション3917)
心のデボーション3918
「主は我らの父なる神の御意に隨ひて、我らを今の惡しき世より救ひ出さんとて、己が身を我らの罪のために與へたまへり。」 ガラテヤ1:4 大正文語訳聖書
「キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。」 口語訳聖書
「抉り出す」
イエス・キリストは父なる神のみ旨に従い、「わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられた」(ガラテヤ1:4) 「救い出すἐξαιρέω」は「取り出す、抜き出す、選び出す、抉り出す」の意。罪のただ中から神は私を抉り出される。
(心のデボーション3918)
心のデボーション3919
「されど我は汝らに告ぐ、すべて兄弟を怒る者は、審判にあふべし。また兄弟に對ひて、愚者よといふ者は、衆議にあふべし。また痴者よといふ者は、ゲヘナの火にあふべし」 マタイ5:22 大正文語訳聖書
「しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」 口語訳聖書
「愚者」
漢字の「愚」は「禺」+「心」で、「禺」は猿で獣の中でもおろかなものとされた。「愚者ῥακά」とは「猿のように道理にあわないおろかな者」を指す。(マタイ5:22)
(心のデボーション3919)
心のデボーション3920
「老たる者の中には智慧あり 壽長者の中には穎悟(さとり)あり」 ヨブ12:12 明治元訳聖書
「老いた者には知恵があり、/命の長い者には悟りがある。」 口語訳聖書
「長命者」
「われわれの生命はどこで終わろうとそれはそこで全部なのだ。人生の有用さはその長さにあるのではなく使い方にある。長生きをしてもほとんど生きなかった者もある」(モンテーニュ「エセー」原二郎訳 筑摩書房昭和43年) 人は長く生きれば、「悟る」わけではない。「智慧に至る者」を「長命者」と呼ぶ。「命の長い者πολύς βίος」は「多くの人生」を生きる者のことである。(ヨブ12:12)
(心のデボーション3920)
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