心のデボーション3841
「ヱホバはすべての物をおのおのその用のために造り 惡人をも惡き日のために造りたまへり」 箴言16:4 明治元訳聖書
「主はすべての物をおのおのその用のために造り、悪しき人をも災の日のために造られた。」 口語訳聖書
「悪の意味」
すべてのことには「目的と意味(τέλος)」がある。箴言16:4は、神が「悪しき人をも災の日のために造られた」と語る。「悪」でさえも「目的と意味」があり、それは「災いの日」のためであり、「災いの日」が「審判の日」であることを知らしめるの。悪の意味と目的を定めるのは人ではなく神である。
人を悪に誘惑するのはサタンであって神ではない。人はサタンによって悪に誘惑されるのである。
「だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。」ヤコブ1:13-14
(心のデボーション3841)
心のデボーション3842
「ヱホバはもろもろの國のあひだを鞫き おほくの民をせめたまはん 斯てかれらはその劒をうちかへて鋤となし その鎗をうちかへて鎌となし 國は國にむかひて劍をあげず 戰鬪のことを再びまなばざるべし」 イザヤ2:4 明治元訳聖書
「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」 口語訳聖書
「地に平和」
イザヤは地から戦闘が消え、「つるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとする」時が来ると預言する。(イザヤ2:4) この預言は「サレム(Σαλήμ)の王、すなわち平和の王」(へブル7:2)としてこられた主イエス・キリストにおいて成就した。地はなおも逆らい、新しき武器を手に戦闘を続ける。しかし、平和の王はすでに来られたのである。
(心のデボーション3842)
心のデボーション3843
「神はたすけを天よりおくりて我をのまんとする者のそしるときに我を救ひたまはんセラ 神はその憐憫その眞實をおくりたまはん」 詩篇57:3 明治元訳聖書
「神は天から送ってわたしを救い、わたしを踏みつける者をはずかしめられます。〔セラ/すなわち神はそのいつくしみとまこととを/送られるのです。〕」 口語訳聖書
「沼のカエル」
イソップ物語に沼で暮らすカエルと道端の水たまりに暮らすカエルのお話がある。沼のカエルは、道端は危険だから沼に引っ越すようにとすすめるが、「住み慣れた場所だから」と断わる。ある日、ついに道端のカエルは馬車にひかれて死んでしまう。さて、後日談で、沼のカエルが友の不幸を悲しんでいると、沼の底から一匹のワニがうかび、大きなあくびをした。びっくりした沼のカエルはワニの口に飛び込んでしまった。いかに安全と思えるところにも危険は潜んでいる。ワニにしてみれば、獲物は「たいくつしての大あくび」の中にも向こうから勝手に飛び込んでくる。
魂は神の慈しみ(ἔλεος)の中で安らぐ。(詩篇57:3)
(心のデボーション3843)
心のデボーション3844
「妻を得るものは美物を得るなり 且ヱホバより恩寵をあたへらる」 箴言18:22 明治元訳聖書
「妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる。」 口語訳聖書
「二本の杭」
夫婦とは川の中にある二本の杭で、結婚(γαμέω)はその間に網を張るようなものだとある人がいう。近くの杭を選べば網を張りやすいが魚の収穫は少ない、遠くの杭は網を張るのに苦労するがその分収穫も期待できるという。それなら一層のこと対岸の杭を選べば魚は一網打尽だろうが、その前に杭は折れ、網もろとも流されてしまうかもしれない。程よい網が張れる杭を見つけるのがコツだろうか? それとも、杭に見合った網のかけ方を考えるべきだろうか? しかし、実際には、二本の杭のほどよい距離など考える余裕もなく、結婚してしばらくたってから杭の距離に気づくのだが、互いに網にかかる魚に満足して暮らせれば、二人は「よき伴侶」にであったのである。(箴言18:22)
(心のデボーション3844)
心のデボーション3845
「また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。」 マタイ18:19 大正文語訳聖書
「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。」 口語訳聖書
「心を合わせる」
「ふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さる」(マタイ18:19) New King James Version ”Again I say to you that if two of you agree on earth concerning anything that they ask, it will be done for them by My Father in heaven. 「心を合わせるagree」は「aにむかって+gree喜ぶ」で「心から賛同する」の意。ギリシャ語συμφωνέωは「σύν共に+φωνή 音を出す」で「心をあわす、調和する、調和して響き合う」の意である。
(心のデボーション3845)
心のデボーション3846
「ヱホバ言たまひけるは我まことにエジプトにをるわが民の苦患を觀また彼等がその驅使者の故をもて號ぶところの聲を聞り我かれらの憂苦を知るなり」 出エジプト3:7 明治元訳聖書
「主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。」 口語訳聖書
「痛みを知る」
ある医師は自分がガンになったら、その病名はふせておく方がよいと考える。だまされていると知りつつ、だまされることが自分には救いになるというのである。その場合、だまされるよりもだます方がつらいのは明らかである。病名をはっきり告げて、「一緒に行きましょう」という考えもある。いずれにしても、その人の「痛みὀδύνη」を知ることなしにはかなわない。「いたわり」にはあるつらさがともなう。(出エジプト3:7)
(心のデボーション3846)
心のデボーション3847
「驕傲(たかぶり)きたれば辱(はぢ)も亦きたる謙(へりく)だる者には智慧あり。」 箴言11:2 明治元訳聖書
「高ぶりが来れば、恥もまた来る、へりくだる者には知恵がある。」 口語訳聖書
「主を畏れる者は」
「主を畏れる者は心を整え、主の前に、おのれを低くする。οἱ φοβούμενοι κύριον ἑτοιμάσουσιν καρδίας αὐτῶν καὶ ἐνώπιον αὐτοῦ ταπεινώσουσιν τὰς ψυχὰς αὐτῶν.」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:17 フランシスコ会訳聖書)
主を畏れる者は、「心を整える」は「魂ψυχήを整えるἑτοιμάζω(準備する、備える、整える)」、主の前に「おのれを低くするταπεινόω(低くする、弱める、和らげる、小さくする、へりくだる、卑しめる、貶める)」(箴言11:2)
(心のデボーション3847)
心のデボーション3848
「古への人に「殺すなかれ、殺す者は審判にあふべし」と云へることあるを汝等きけり」 マタイ5:21 大正文語訳聖書
「昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。」 口語訳聖書
「殺すなかれ」
いのちはいのちを摂取して生きている。しかし、それは当然のことではない。すべてのいのちは、「殺すなかれΟὐ φονεύσεις(人を殺す、血を汚すなかれ)」という命令を前にしていのちを営む。(マタイ5:21)
(心のデボーション3848)
心のデボーション3849
「斯てわが聖山のいづこにても害ふことなく傷ることなからん そは水の海をおほへるごとくヱホバをしるの知識地にみつべければなり」 イザヤ11:9 明治元訳聖書
「彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。」 口語訳聖書
「主を知る知識」
「主を知る知識が地に満ちる」(イザヤ11:9)「主を知る知識」とは神と人が人格的関係を結ぶことのうちにあらわされる認識である。「満ちるἐμπίπλημι」は「満ち満ちる、成就する、達成する」の意。(イザヤ11:9)
(心のデボーション3849)
心のデボーション3850
「これ體のうちに分爭なく、肢々一致して互に相顧みんためなり」 Ⅰコリント12:25 大正文語訳聖書
「それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。」 口語訳聖書
「足元をみる」
「足元をみる」は、駕籠かきが旅人の足元を見て、旅の疲れ具わいから駕籠賃をふっかけたところからきて、相手の弱みにつけこんだ姑息なやりかたである。足元から人の疲れを看取って労りの心をもつなら、「足元をみる」は別の言葉に代わる。「たがいにいたわるμεριμνάω」は「沈思する、心にかける」の意で、足の運びから相手の疲れ度を思いはかることである。(Ⅰコリント12:25)
(心のデボーション3850)
コメント