心のデボーション2_018

デボーション2
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心のデボーション0171

「又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり」 マタイ6:28 大正文語訳聖書

「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。」 口語訳聖書

「着る物のことをなぜ思い煩うのか。野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡ぐこともしない」 フランシスコ会訳聖書

καὶ περὶ ἐνδύματος τί μεριμνᾶτε; καταμάθετε τὰ κρίνα τοῦ ἀγροῦ πῶς αὐξάνουσιν· οὐ κοπιῶσιν οὐδὲ νήθουσιν·

 「へメロカリス」

「へメロカリス」はユリ科の花(学名:Hemerocallis ワスレナグサ科)で、別名「デイリリー」のように一日でしおれてしまう。「へメロカリス」はギリシャ語の「ἡμέρα一日+χὰρις恩寵」で、「一日の美」と呼ばれる。(ニッコウキスゲはその仲間である)その日だけに咲く恩寵がある。「へメロカリス」はその日だけのもの。次の日には別の「へメロカリス」が花開く。

ピリピ4:6 

μηδὲν μεριμνᾶτε, ἀλλ᾽ ἐν παντὶ τῇ προσευχῇ καὶ τῇ δεήσει μετὰ εὐχαριστίας τὰ αἰτήματα ὑμῶν γνωριζέσθω πρὸς τὸν θεόν.

口語訳聖書

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

Ⅰペテロ5:7 

πᾶσαν τὴν μέριμναν ὑμῶν ἐπιρίψαντες ἐπ᾽ αὐτόν, ὅτι αὐτῶ μέλει περὶ ὑμῶν.

口語訳聖書

神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。

心のデボーション0172

「ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ」 マタイ2:19 大正文語訳聖書

「さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った」 口語訳聖書

「ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った」 新改訳聖書

Τελευτήσαντος δὲ τοῦ ῾Ηρῴδου ἰδοὺ ἄγγελος κυρίου φαίνεται κατ᾽ ὄναρ τῷ ᾽Ιωσὴφ ἐν Αἰγύπτῳ

 「ヘロデの死の知らせ」

「ヘロデの死τελευτάω」の情報は、直ちにエジプトに住むユダヤ人仲間によってヨセフに知らされたはずである。世界に散ったユダヤ人は、「ヘロデ」についての情報を無視することなど出来なかった。ヘロデの死の情報は「夢」によってもヨセフに伝えられた。それは仲間の情報と同じものであった。しかし、ヨセフにとっては仲間が伝えること以上の意味をもった。仲間の情報はヨセフを安堵させたが、神の知らせはヨセフに行動をおこさせた。(マタイ2:19)

ダニエル8:25;

וְעַל־שִׂכְל֗וֹ וְהִצְלִ֤יחַ מִרְמָה֙ בְּיָד֔וֹ וּבִלְבָב֣וֹ יַגְדִּ֔יל וּבְשַׁלְוָ֖ה יַשְׁחִ֣ית רַבִּ֑ים וְעַ֤ל־שַׂר־שָׂרִים֙ יַעֲמֹ֔ד וּבְאֶ֥פֶס יָ֖ד יִשָּׁבֵֽר׃

καὶ ἐπὶ τοὺς ἁγίους τὸ διανόημα αὐτοῦ καὶ εὐοδωθήσεται τὸ ψεῦδος ἐν ταῖς χερσὶν αὐτοῦ καὶ ἡ καρδία αὐτοῦ ὑψωθήσεται καὶ δόλῳ ἀφανιεῖ πολλοὺς καὶ ἐπὶ ἀπωλείας ἀνδρῶν στήσεται καὶ ποιήσει συναγωγὴν χειρὸς καὶ ἀποδώσεται 

口語訳聖書

彼は悪知恵をもって、偽りをその手におこない遂げ、みずから心に高ぶり、不意に多くの人を打ち滅ぼし、また君の君たる者に敵するでしょう。しかし、ついに彼は人手によらずに滅ぼされるでしょう。

ダニエル11:45

וְיִטַּע֙ אָהֳלֶ֣י אַפַּדְנ֔וֹ בֵּ֥ין יַמִּ֖ים לְהַר־צְבִי־קֹ֑דֶשׁ וּבָא֙ עַד־קִצּ֔וֹ וְאֵ֥ין עוֹזֵ֖ר לֽוֹ׃

καὶ στήσει αὐτοῦ τὴν σκηνὴν τότε ἀνὰ μέσον τῶν θαλασσῶν καὶ τοῦ ὄρους τῆς θελήσεως τοῦ ἁγίου καὶ ἥξει ὥρα τῆς συντελείας αὐτοῦ καὶ οὐκ ἔσται ὁ βοηθῶν αὐτῷ

口語訳聖書

彼は海と麗しい聖山との間に、天幕の宮殿を設けるでしょう。しかし、彼はついにその終りにいたり、彼を助ける者はないでしょう。 

心のデボーション0173

「かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり』」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、」 口語訳聖書

「彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています」 新共同訳聖書

οἱ δὲ εἶπαν αὐτῷ, ᾽Εν Βηθλέεμ τῆς ᾽Ιουδαίας οὕτως γὰρ γέγραπται διὰ τοῦ προφήτου

 「パンの家」

「ベツレヘムΒηθλέεμ」はヘブル語で「パンの家」の意味。ベツレヘムは麦のとれる肥沃な土地であったところから「パンの家」と呼ばれた。ここでイエスはお生まれになった。

ブラジルのリオデジャネイロの丘の斜面には「ファベーラfavela」と呼ばれるスラム街が広がっている。「ファベーラ」は「神の街」という意味である。極度に貧しい人々の街で麻薬組織に支配される無法地帯である。切り立った丘の頂上に「コルコバードのキリスト像」が両手を左右に広げて街をみおろしている。リオデジャネイロは「キリストが見守る街」という意味であるという。(ブラジル全土には6300箇所ものファベーラがある)

「パン」の問題は現代も解決しないままに深刻さを増している。「ファベーラ」が「ベツレヘム パンの家」と呼ばれる日まで、我々は「ファベーラ」を「神の街」と呼ぶことを止めることはしない。(マタイ2:5)

詩篇2:7-12

2:7わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。
2:8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。
2:9おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。
2:10それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。
2:11恐れをもって主に仕え、おののきをもって
2:12その足に口づけせよさもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされるであろう、その憤りがすみやかに燃えるからである。すべて主に寄り頼む者はさいわいである。

心のデボーション0174

「かれら星を見て、歡喜に溢れつつ」 マタイ2:10 大正文語訳聖書

「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。」 口語訳聖書

「されば彼等は星を見て、一方ならず大いなる喜びをもて喜べり」 永井直治訳聖書

ἰδόντες δὲ τὸν ἀστέρα ἐχάρησαν χαρὰν μεγάλην σφόδρα.

 「歡喜に溢れつつ」

「非常な喜びにあふれ」。(マタイ2:10) 大正文語訳聖書は「歡喜に溢れつつ」と訳し、「歡喜」を「よろこび」と読ませる。「歡喜」の「歡」は「口をそろえて声をあわせる」こと。マギたちには「からだを曲げ、にぎやかに声をあわせて喜ぶ」友がいた。これもまた、神に導かれる者の幸せである。「歡喜に溢れつつχαρὰν μεγάλην σφόδρα」は「σφόδρα甚だしく、非常に強く+μέγας壮大な、偉大な、極めて大きい+χαρά喜び」である。

詩篇105:3

その聖なるみ名を誇れ。主を尋ね求める者の心を喜ばせよ。

ロマ15:9-12

15:9異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。

15:10また、こう言っている、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。
15:11また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
15:12またイザヤは言っている、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。

心のデボーション0175

「然(され)ば悔改(くいあらため)に符(かな)ふ果(み)を結(むす)べよ」 マタイ3:8 明治元訳聖書

「だから、悔改めにふさわしい実を結べ」 口語訳聖書

「然れば改心の相當なる果を結べよ」 ラゲ訳聖書

ποιήσατε οὖν καρπὸν ἄξιον τῆς μετανοίας

 「改心の相當なる果」

明治元訳聖書の「果(み)」は、口語訳聖書には「実」の漢字があてられる。「実」は「實」であり、「宀 やね」+「周(いっぱい)」+「貝(たから)」で「家の中に財宝を満たす」こと。「果」は「成長したあげくに実るもの」、「事柄が進んで生じたもの」の意である。「悔い改め」は、すぐに「果(み)」とはならない。「悔い改め」の成長というものがあり、「悔い改め」が進むのでなければならない。(マタイ3:8)

「悔い改めの実(實、果)καρπὸν ἄξιον τῆς μετανοίας」は「悔い改め」が進み、その結果、内に尊きものが欠けなく満ち、悔い改めにふさわしい内容で一杯になることである。

ガラテヤ5:22-23

5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 
5:23柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 

エペソ5:8-9

5:8あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―― 
5:9光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである

心のデボーション0176

「さらば凡て我がこれらの言をききて行ふ者を、磐の上に家をたてたる慧き人に擬へん」 マタイ7:24 大正文語訳聖書

「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」 口語訳聖書

「以上のわたしの言葉を聞いて実行する者は皆、岩の上に家を建てた賢い人にたとえられる」 フランシスコ会訳聖書

Πᾶς οὖν ὅστις ἀκούει μου τοὺς λόγους τούτους καὶ ποιεῖ αὐτούς, ὁμοιωθήσεται ἀνδρὶ φρονίμῳ, ὅστις ὠκοδόμησεν αὐτοῦ τὴν οἰκίαν ἐπὶ τὴν πέτραν

 「反芻」

預言者エゼキエルはイスラエルの家に遣わされる前に、「巻物を食べよ」と神に導かれる。

「我にいひ給ひけるは人の子よわが汝にあたふる此卷物をもて腹をやしなへ膓にみたせよと我すなはち之をくらふに其わが口に甘きこと蜜のごとくなりき」 エゼキエル3:3 明治元訳聖書

「巻物」は神のことばであり、それは「甘きこと蜜のごとく」であった。

牛や羊など反芻動物は四つの胃を持ち、一度飲み込んだ食べ物を再び口に戻して咀嚼を繰り返す。

「これらの言をききて行ふ者」とは、神の言葉を、一度は飲み込み、再び口に戻して、咀嚼を繰り返す者のことかもしれない。反芻のための「四つの胃」が欲しいものだ。

箴言14:8 

חָכְמַ֣ת עָ֭רוּם הָבִ֣ין דַּרְכֹּ֑ו וְאִוֶּ֖לֶת כְּסִילִ֣ים מִרְמָֽה׃

σοφία πανούργων ἐπιγνώσεται τὰς ὁδοὺς αὐτῶν ἄνοια δὲ ἀφρόνων ἐν πλάνῃ

口語訳聖書

さとき者の知恵は自分の道をわきまえることにあり、愚かな者の愚かは、欺くことにある。

ヤコ3:13-18

3:13あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。 
3:14しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。 
3:15そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。 
3:16ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。 
3:17しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。 
3:18義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。 

心のデボーション0177

「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」 マタイ11:28 大正文語訳聖書

「労苦する人、重荷を負う人は、すべて私のもとに来るがよい。私は、あなたたちを休ませよう」 バルバロ訳聖書

 「待つ力」

「待ち草臥(くたび)れる」の「草臥(くたび)れ」は『詩経』から「疲れて草に臥す」の意味である。「年をとって人生に疲れる」をあらわすこともある。その人は、長く待ち、待つことに体力を消耗し、それ以上動くことができずに、草に臥すのかもしれない。イエスはそうした人を招かれる。

イエスのもとで休んだら、また待とう。「待つ力」が回復したのだ。

(†心のデボーション00177)

心のデボーション0178

「さらば食ふにも飮むにも何事をなすにも、凡て神の榮光を顯すやうにせよ」 Ⅰコリント10:31 大正文語訳聖書

「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」 口語訳聖書

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」 新改訳聖書

εἴτε οὗν ἐσθίετε εἴτε πίνετε εἴτε τι ποιεῖτε, πάντα εἰς δόξαν θεοῦ ποιεῖτε.

 「正しく食べ、飲む」

ヒポクラテス(紀元前460~357)の格言に「食べ物で治せない病気は医者でも治せない」とある。健康を保つ最善の方法は正しく食べ、飲むことである。貧しく生きる者に神の栄光が現される。

「栄光δόξα」は「思い、判断、思考」である。「飲むにも食べるにも、また何事をするにも」、「神の栄光(思い)を現わすためにしなさい」。(Ⅰコリント10:31)

コロサイ3:17 

καὶ πᾶν ὅ τι ἐὰν ποιῆτε ἐν λόγῳ ἢ ἐν ἔργῳ, πάντα ἐν ὀνόματι κυρίου ἰησοῦ, εὐχαριστοῦντες τῶ θεῶ πατρὶ δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

Ⅰペテロ4:11 

εἴ τις λαλεῖ, ὡς λόγια θεοῦ· εἴ τις διακονεῖ, ὡς ἐξ ἰσχύος ἧς χορηγεῖ ὁ θεός· ἵνα ἐν πᾶσιν δοξάζηται ὁ θεὸς διὰ ἰησοῦ χριστοῦ, ᾧ ἐστιν ἡ δόξα καὶ τὸ κράτος εἰς τοὺς αἰῶνας τῶν αἰώνων· ἀμήν.

口語訳聖書

語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。

心のデボーション0179

「さらば食ふにも飮むにも何事をなすにも、凡て神の榮光を顯すやうにせよ」 Ⅰコリント10:31 大正文語訳聖書

「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」 口語訳聖書

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」 新改訳聖書

εἴτε οὗν ἐσθίετε εἴτε πίνετε εἴτε τι ποιεῖτε, πάντα εἰς δόξαν θεοῦ ποιεῖτε.

 「スイスのパンはおいしくない」

スイスのパンはおいしくないという。スイスではその年に収穫した小麦は一年間倉庫に備蓄し、パンにして食べるのは前年度に収穫した古い小麦だからというのがその理由である。耕作地の少ないスイスでは、食料を自給するために味を後回しにする。その生き方は古くて新しい。食料を自給できない国は危うい。(Ⅰコリント10:31)

箴言24:27 

ָ֘כֵ֤ן בַּח֨וּץ׀ מְלַאכְתֶּ֗ךָ וְעַתְּדָ֣הּ בַּשָּׂדֶ֣ה לָ֑ךְ אַ֝חַ֗ר וּבָנִ֥יתָ בֵיתֶֽךָ׃ פ

ἑτοίμαζε εἰς τὴν ἔξοδον τὰ ἔργα σου καὶ παρασκευάζου εἰς τὸν ἀγρὸν καὶ πορεύου κατόπισθέν μου καὶ ἀνοικοδομήσεις τὸν οἶκόν σου

口語訳聖書

外で、あなたの仕事を整え、畑で、すべての物をおのれのために備え、その後あなたの家を建てるがよい。

ルカ14:28-30

口語訳聖書

14:28あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。 
14:29そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、 
14:30『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。

心のデボーション0180

「われはシャロンの野花 谷の百合花なり」 雅歌2:1 明治元訳聖書

「わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。」 口語訳聖書

「私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花」 新改訳聖書

אֲנִי֙ חֲבַצֶּ֣לֶת הַשָּׁרֹ֔ון שֹֽׁושַׁנַּ֖ת הָעֲמָקִֽים׃

ἐγὼ ἄνθος τοῦ πεδίου κρίνον τῶν κοιλάδων

 「好文木(こうぶんぼく)」

昔、中国では梅の木を「好文木(こうぶんぼく)」と呼んだ。晋の武帝が文学に親しまれると、宮苑の梅の木の花が開き、よい香りを放った。しかし、怠られると萎れたという故事に依る。

「御言葉」は「シャロンの野花 谷の百合花ἐγὼ ἄνθος τοῦ πεδίου κρίνον τῶν κοιλάδων」である。親しむとよい香りを放ち、怠ると萎れる。(雅歌2:1)

「感謝すべきかな、神は何時にてもキリストにより、我らを執へて凱旋し、何處にても我等によりてキリストを知る知識の馨(かをり)をあらはし給ふ」 Ⅱコリント2:14 大正文語訳聖書

イザヤ35:1-2

口語訳聖書

35:1荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、
35:2さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。これにレバノンの栄えが与えられ、カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。

イザヤ57:15

口語訳聖書

いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。

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